61.穿いていませんの!(※諸事情がありまして)
空は澄み渡っており、気持ちのいい朝を迎えている。
とうとうハイデアデルンへ至る旅の当日となった。
朝一の馬車なので、食事を終えるとすぐに出発の時間となる。
玄関の前で、義母が見送りをしてくれた。
「リェン・ファ、知らない人に愛想良くしちゃ駄目よ」
「分かった」
「それと道端に落ちているお菓子は拾って食べないこと」
「……はい」
「外を歩くときはシン・ユーから離れてはいけないわ」
「う、うん」
「あとは――」
「母上、そろそろ」
「え? ええ、そうね」
義母はまだ私に注意し足りないような顔をしている。小さな子供ではないのだから、旅先で問題行動など起こす訳が無いのに。
「お義母さん、大丈夫だから、心配しないで」
「別に、あなたなんか、心配していないんだから」
「そ、そっか」
相変わらず素直じゃない様子の義母は、顔を背けてバレバレの嘘を言う。
私も義母のことが心配だったが、掃除・洗濯・炊事、全てを完璧にこなしてしまうので、生活面においては私が色々と口を挟む必要はないだろう。
「それじゃあ、行って来ま」
「あ、あの」
「ん?」
義母が珍しく遠慮がちな声で引き止めて来る。
何の用かと思えば、意外な事を聞いてきたのだ。
「ハイデアデルンでは、お見送りをする時に何かするのかしら?」
「え?」
「ハイデアデルン風にお見送りをしたいの」
「本当? えっと、ハイデアデルンでの行ってらっしゃいは、両手をぎゅっと握って頬に口付けするみたい」
そう言ってから、そのお見送りの仕方をするのはうちの家族だけだったかもしれないと思い直し、訂正をしようかと口を開けば、ぶらんと垂れ下がっていた両手を握られ、頬に柔らかな何かが一瞬の間触れる。
「――!?」
いきなりの義母の行動に驚いて言葉を失っていると、今度は身を引かれて抱きしめられてしまった。
「――どうか気をつけて。無事に二人揃って行って帰ってくるのよ」
「あ、ありがとう、お義母さん」
義母は私から離れ、今度はシン・ユーに抱擁と口付けを? と思ったが、「頼んだわよ」と声を掛けるだけで終わってしまった。
義母との別れが終わると、私達は馬に乗って街を目指す。
二頭居るうちの一頭の馬は昨日管理人の元へシン・ユーが連れて行った。
義母が馬の世話を出来ないので、預けるしかなかったのだ。あと、旅行用の荷物を二つ、持って行く目的もあった。
旅行商会へ行けば、当日荷物を受け取れるような仕組みになっているらしい。一頭の馬に荷物は二つも積めないので、利用をさせて貰った。
一時間後、管理人の家に馬を預け、旅行商会で荷物を受け取る。
慣れないヒラヒラとした服と踵の高い靴を身に着ているせいで、一つ一つの行動がぎこちなくなっていたが、荷物を二つ抱えているシン・ユーの袖を掴んでなんとか人と人の間を縫って、目的の旅馬車乗り場へと向かった。
◇◇◇
慈江はどこに行っても人で溢れ返っている。が、この旅馬車乗り場は今まで行った中で最大級に人で埋め尽くされていた。
流石、観光地、と言うべきか。
私が迷子にならないようにか、シン・ユーは片手に荷物を二つ持ち、もう片方の手で私の手を握っている。しかも、簡単に離れないように、互いの指と指を絡ませるような握り方をして来たのだ。
これは結構恥かしい、と思っているのも私だけなのだろう。
シン・ユーは、何も特別なことはしていないと言わんばかりの、いつもの通りの無表情だった。
やっとの思いで乗り場に着き、以前より購入していた乗車券と荷物を係員に渡した後、馬車の中へと入る。
中は八人乗りと聞いていた。乗り合いの馬車なので、知らない人達と二日間過ごさなければならないのだ。
中には先客が居て、四十代位の白髪の男性と騎士のような格好をしたお兄さんが乗っている。
シン・ユーはその人達の斜め前の席に行き、私に窓際を勧めた。
どうやらここで乗車するのは私達だけだったようで、出発時間になっていないが、御者が小さな窓から顔を出し「少し早いですが発ちます」と言って馬車は動き出した。
「……」
「……」
なんというか、少しだけ気まずい。
シン・ユーの口数が少ないのはいつもの事だったので、気にしていなかったが、馬車の中の空気は重かった。
と、いうのも、斜め前に座る中年男性の雰囲気が普通では無かったのだ。
黙っていても溢れ出ている威厳と高貴な気品。
きっと、止ん事なき身分の御方なのだろう。
そんな方が何故庶民の乗り合いの馬車に乗っているのかは謎だ。
それからずっと白髪だと思っていた中年男性のその髪は、窓から差し込む光を受けてキラキラと輝いている。初めて見るのですぐにピンと来なかったが、あの髪は銀色だ。
そして、切れ長の目の下にある隈は、どうやったらあのように濃いものが出来るのかと気になる位、酷いものだった。
隣に居る騎士は、金髪碧眼。
髪は肩で綺麗に揃えられており、剣を股の間に置いて、腕を組んで座っている。
目の色が晴天の青空のように澄んでいて、すごく綺麗だった。
そんな感じにこっそりと観察していると、騎士のお兄さんと目が合ってしまう。騎士はこちらを咎めるような視線は一切向けずに、私に向かってにっこりと微笑んでくれた。
その時になって気が付く。
騎士は、お兄さんではなくて、お姉さんだったのだ。
あまりにも精悍な顔付きで、どっしりと構えていたのでうっかり勘違いをしてしまった。
『**の**かな?』
「え!?」
『私は***』
「……」
騎士のお兄、じゃなくて、お姉さんが突然話しかけてきたので、びっくりしてしまう。
しかも、喋りかけてきた言語はハイデアデルンのものでも、大華輪国のものでもない。
あれは――そうだ、ルティーナ大国のものだ。
数年前、学士院に通っていた時代に学んだことのあるものだったので、少しだけ聞き取ることが出来たのだ。
「え、えーっと」
だが、習っていたのは七年以上前で、記憶も薄れている。
どうしようかと思っていたら、隣から意外な助けが舞い込んできた。
「出身を聞いている。あと彼らはルティーナから来たようだ」
「あ、そうなんだ! ハイデアデルンです!!」
元気良く返事をすると、騎士のお姉さんが見惚れるような笑みを浮かべていた。
うーん。どこから見ても男前だ。……女性なのは分かっているが。
それよりも、何故シン・ユーはルティーナの言葉を理解しているのかと聞けば、見習い武官時代に、商人用の門番の任に就いていた事があったようで、その時に覚えさせられたと言っていた。
大華輪国の王都は商品の流通の監査が厳しいらしく、細かな検査を武官直々に行うのだとか。外交のあるルティーナ大国やイングリード聖王国などの商人が特に多かったらしい。なので、その言語を多少は理解しているという。
シン・ユーに通訳をして貰いながら、騎士のお姉さんとのお喋りを楽しんでいる間に、一回目の休憩所へと到着をした。
昼食の時間帯だったので、食事処でお腹を満たしながらの休憩となる。
この二日間の馬車旅の日程は、大華輪国のお隣の国、七河里の大横断となっている。
この国は大華輪国と東国の文化を併せ持つという特色があり、言葉は通じないが、文字が似ているというので、筆談でなんとなく通じてしまうらしい。
七つの川と里が集まって出来た国で、長の里、佐の里、福の里、宮の里、熊の里、大の里、鹿の里の七つの街があるという。
一番端にある、鹿の里が港となっているので、そこからハイデアデルンへと直行する船に乗るのだ。
今居るのが福の里という、七河里で一番大きな街だ。
そこの屋台街で軽く昼食を摂ってから、馬車へと戻る。
福の里の端まで行って、一日目の旅は一旦終了となった。
この日は旅宿という、道の途中に宿だけがポツンとあるという不思議な施設で一泊する事となる。
あれから馬車の中は満員となり、人が増えてからは大人しく過ごしていた。
知らない人と密室で過ごすというのは疲れる。
案内された部屋で、力尽きたようにぐったりと座り込んでしまった。
「シン・ユー、お風呂入る?」
「いや、風呂に入る前にすることがあるから先に入れ」
「……そう」
馬車旅は明日も続くので早く寝たいと思い、鞄を持って洗面所へと素早く移動をした。
◇◇◇
浴室へと繋がる洗面所及び脱衣所には、寝間着が置いてあった。
一応家から持ってきてはいたが、洗濯物を増やさない為にも宿のものを借りようと、寝間着と大華輪国の言葉で書かれたものを手に取る。
その下には使い捨て下着と書かれている袋があった。
下着はさすがに……と思ったが、鞄を開けばどこに下着があるのか分からなかったので、下着も宿のものでいいかと諦めて、ありがたく使わせてもらう事にした。
使い捨てと書かれた下着の入った袋を手に取る。
使い捨ての下着って何だ? と思いながら開封をしたら、中から紙製の下着が出て来た。
……これは。
伸縮性のある紙製で出来た上下の下着は、言われなければペラペラの紙で出来たものだと分からないだろう。
きちんと胸の下を支えるものも入っているようだし、下も案外しっかりした作りになっている。
だが、紙だ。
紙製の下着を付ける事になんとなく抵抗を覚えてしまったので、着用は諦めることにした。
寝間着は大丈夫かと手に取ってみる。
なめらかな生地で作られた長袖の寝間着は、上下繋がったワンピースのような作りになっていた。踝まで覆う程の長いもので、男女兼用だと書かれている。
これは問題なく着られそうだと、一先ず安心をしながら台の上に置いて浴室へと向かった。
この宿はお湯が出る時間が決まっているらしく、残り一時間半とあった。
なので、素早く髪の毛や体を洗い、ゆっくり湯に浸かる暇も無いまま、風呂から上がる。
その後、体と髪を拭いた後、ぎゅうぎゅうに服が詰まった鞄の中を探したが、下着が見つからず、もうすぐ浴室の湯が出る時間が終わってしまうと気付き、慌てて下着を着けないままで寝間着を着て洗面所を出た。
「シン・ユー、早く入って。お湯出る時間終わ……ッ!!」
危うく悲鳴が出る所だった。
何故かと言えば、シン・ユーが薄暗い部屋の隅で、刃物の手入れをしていたからだ。
私の言葉にシン・ユーは頷き、刃物を仕舞いこむと、洗面所へ歩いて行っていた。
……あんなに沢山の武器を、一体どこに隠し持っていたのだろうか。
荷造りは私がしたので、鞄の中には服や日用品などしか入っていなかった筈だ。
「……」
一人残された部屋で、シン・ユーが身内でよかったな、と心から思ってしまった。
ふと我に返り、今までシン・ユーが座っていた椅子に座る。
とりあえず間に合って良かったとホッと胸を撫で下ろしたが、ある違和感を覚えてしまう。
「――あ!」
下着を着用していなかったのだ。
しかも、慌てて出て来たので鞄は洗面所に置いたままだ。
シン・ユーがいつ出てくるか分からないので、取りに行くのは嫌だった。なので、じっと我慢をしつつ待機をする。
数分後、シン・ユーが風呂から上がってきた。
宿の寝巻きではなく、自宅から持って来たものを着用している。
「は、早かったね」
……いやいや、シン・ユーの入浴の素早さを評価している場合ではない。
一刻も早く下着を取りに行きたいのに、不審な行動を取ってバレてしまうのが怖かったので、冷静に務めるように、自らの心を落ち着かせる。
何を動機とすれば、洗面所へ自然に行く事が出来るのか。
私は頭の中に浮かんだ一言を、シン・ユーに伝える。
「シン・ユー、もう寝て」
「……」
これで素直に寝室に行ってくれたら、私は洗面所に下着を取りに行ける。
完璧な計画だと思っていたのに、シン・ユーはじっと私を見つめるばかりだった。
もしかしてバレたのかと思い、慌てて寝間着を確認するが、肌が透けているということはなく、安堵の息を深く吐いた。
下着を身に着けていないというのは酷く心許ない気分になる。
早く、早く、下着を身に着けたい。
とうとう我慢出来なくなって、すっと立ち上がり、シン・ユーを大きく避けて洗面所へ行こうとしたが、不審に思ったからか捕獲されてしまった。
「ぎゃあ~~!!」
「一体、何を隠している?」
「何もないって!! 本当、何もないの~~!!」
シン・ユーは私の体を持ち上げてから椅子に座る。
「待って、待って、あ、あんまり触らないで!!」
触れられると下着を着用していないのが分かってしまうので抵抗したが、腕の中に取り押さえられて身動きが取れなくなってしまった。
何故か膝の上に座らされ、尋問を受ける。
「何をしようとしていた?」
「……たの」
「は?」
「お湯が出なくなると思って、下着を着けないで慌てて出てきたの」
「……」
シン・ユーは何故か私の背中を指の腹で撫で上げる。
「!!」
突然の行為に、陸に釣り上げられた魚のようにびくっと反応をしてしまった。
多分、本当に下着を着けていないのかの確認かもしれない。
いや、それは必要なのか? と疑問に思ったが、もはや突っ込む元気も無くなっていた。
沈黙に耐え切れなくなった私は、シン・ユーに許しを請う。
「し、下着、着けに行ってもいい?」
「別に、そのままでもいいのでは?」
「よくな~い!!」
そんな感じで旅行の一日目は幕を閉じた。




