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没落令嬢の異国結婚録  作者: 江本マシメサ
一章【星を胸に旅立つ少女】
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6.珍名授与

「おめでとうございます」

「!!」


 リン・リーは私にも聞き取れる速さの大華輪国語で話しかけてきた。初めて日常の中で言葉を聞き取れたので、少しだけ感動してしまう。しかしながら、「おめでとうございます」とはどういう意味なのだろうか。


「リリン、何? いみ、教えて」


 得意になってこの国の言葉で返すが、相変わらず片言で発音も怪しい。


「シン・ユー様との婚約が決まりましたので」

「シンユウ?」


 駄目だ。シン・ユーの名前しか分からない。調子に乗った途端にこれだ。


 それにしても、一体シン・ユーの何がおめでたいのか。本人を見たが、相変わらず殺気と見紛うような恐ろしい視線をこちらに向けていた。ラン・フォン様も依然として酷く不機嫌なご様子で、とてもおめでたいことがあったようには見えない。


 リー・リンの傍に寄って何がおめでたいのか聞いてみれば、シン・ユーの婚約が決まったと教えてくれた。


 なるほど、なるほど。それはめでたいことだ。


「ん?」


 いや、待てよ。リー・リンは私に対しておめでとうと言っていた。もしかしなくても、この険悪な雰囲気といい、おめでたい空気感が一切無い事といい、結婚相手は私なのだろうか!?


 あ、ありえない!! 異国でうっかり結婚だなんて!!


 多分お堅い華族の体面を保つ為の処置だろう。この国で異国人は珍しく、奴隷として連れて来た者達も多い。正当な理由無くこの家に滞在すれば悪い噂も広まると。


 だが、見て分かるようにラン・フォン様は納得していないようだ。


 かの、黒髪の美しいご婦人は、なんと言うか、自由なお方なのだ。華族の道理に囚われず、空を舞う蝶のように生きてきたに違いない。

 一方の、解ける事無く固く結われた三つ編みと同じようにガッチガチのお堅い教育を受けて育ったお坊ちゃまは、華族に相応しい振る舞いを周囲から強要されてきたのかもしれない。


 よく理解している訳ではないが、この二人は根本的な思想が違っているから、こうして衝突をしてしまうのだ。


 ラン・フォン様は異国の娘など、こちらの都合が悪くなったから捨ててしまえばいい。

 シン・ユーは華族としての体面があるから、非道な行いは出来ない。


 相互理解が深まる事は絶望的に無いように思える。


 結婚が決まったと言うので、二人の力関係はザン家の当主であるシン・ユーの方が強いことが分かる。

 あんなに私を空気のように扱っていたラン・フォン様は、忌々しいとばかりに冷たい目でこちらを見ていた。


 ……私個人としてはこのように事態を収拾する目的で結婚相手を決めることは、シン・ユーにとって良くないし、ラン・フォン様にも理想の嫁像というものがあるだろう。


 なので、本日二回目の二人の間に割って入るという暴挙に出てみた。


「シンユウ、私、いい子、する」

「……何の話だ?」


 シン・ユーから怪しいものを見るかのような表情で「お前、いきなり何言ってんの?」的な言葉を返される。今の反応は通訳して貰わなくても、顔を見れば一目瞭然だった。


 言葉も文化も分からない私が、民の模範となるような行いを良しとするザン家に嫁ぐというのは無理な話だ。


 お金は返せない。それ以外で迷惑を掛けずに自分に出来る事と言えば、このお屋敷の地下に篭って、異国から来た幸せの珍品らしくザン家の繁栄を祈ること位だろう。


 そのことをリー・リンに伝えてもらった。


「シン・ユー様、異国のお嬢様は地下で祈祷をすることをお望みのようです」

「なんだと?」

「言葉も文化も違う者同士結婚をすれば、双方苦になると仰っております」

「……」


 シン・ユーは納得したという表情を見せていない。なんという頑固者だろうか。


「ねえ、この子も結婚はしたくないと言っているでしょう?」


 ラン・フォン様は私を指差し、取り繕うかのようにシン・ユーに話しかけていた。話していることも大体予想出来る。


「ねえ、地下で不自由の無い暮らしをさせるのであれば問題は無いでしょう?」


 先ほどからリー・リンが会話の同時通訳を再開してくれる。


 私としては針仕事でもしながら暮らせればそれで幸せだ。多くのものは望んでいない。なので、薄暗い地下でもそれなりに満足出来る生涯は送れるだろう。……唯一、父親のことだけは心残りではあるが。


「……この娘の名前は何と?」

「名前? チン・コンよ」

「大華輪国の生まれなのか?」

「いいえ。私が付けたのよ。あの子の名前、言い難いの」

「……」


 ラン・フォン様は私の名前を呼び難いからと、大華輪国でも通用する名前を決めてくれたのだ。

 チン・コンというのは大華輪国の古代語で【青空】という意味らしい。

 私の青い目にちなんで付けてくれたのだが、呼ばれる度に微妙な気持になっていた。


「でもこの子、名前を全然気に入っていないのよ。失礼しちゃうわ」


 そりゃあ由来は素晴らしいが、なんと言っても響きが股間の別称に似ている。

 この湧き上がる残念な感情は、ハイデアデルン出身の私にしか分からないだろう。


「リェン・ファ」

「は、はい?」


 思わず自分の名前の発音に似ていたので、つい反応をしてしまった。【リェン・ファ】と低い声で言ったシン・ユーと目が合ってしまう。


「お前はこれからザン=リェン・ファと名乗れ。それからこの家の女当主としての振る舞いを身に付けろ」

「ちょっとシン・ユー!! どういう、あなた、待ちなさい!!」

「??」


 また、訳の分からぬうちに何かが決まったようである。


 シン・ユーとラン・フォン様が居なくなってしまった部屋で、リー・リンが再び「ご婚約おめでとうございます」と言ってきた。


 どうやらラン・フォン様の抗議行動も空しく、私と殺気生産貴公子との結婚が決まってしまったようだ。


 それから数日後に発覚したことだが、私の名前がチン・コンからシン・ユーの考えたリェン・ファになったらしい。


 リェン・ファ、うん。良い名前だ。


 ◇◇◇


「違います!!」

「!!」


 ダン! と机の上をリー・リンは太い棒で力いっぱい叩く。


「ご、ごめん~」

「何回同じ場所を間違えるのですか!?」

「うう……もう、一回」


 シン・ユーとの結婚が決まった私は数日前に大華輪国語を覚えるようにと言われ、リー・リンの厳しい教育を受けていた。

 彼女が常に手にしている棒は、この国の教師が持つように定められている品らしい。ヂュという神の小手先とも呼ばれる素材で作られた棒は硬く、叩きつければ高い音が鳴る。それから竹で殴っても、神罰扱いになるので暴力にはならないという謂れがあるらしい。なんとも怖ろしい国だ。

 まだ一度も直接体を殴られたことは無かったが、鬼気迫ったリー・リンに怯えながら過ごしていた。


 この件に関してリー・リンは全く悪くない。

 私が絶望的なまでに物覚えが悪いのだ。


 みっちり数日間大華輪国語について学んでいたが、一向に上達しない様子を見て、ラン・フォン様が竹を使って教えなさいと言ったのだ。


 聞き取りはこの数日で随分上達をしたように思える。問題は発音だった。

 特に敬語を喋る時の発音が酷いようで、何度も注意されている。


「敬語は本当に酷いので人前で使わないで下さい。私が変な喋り方を教えたと思われても困りますから」

「は、はい。きっと大丈夫。心配、無い」

「……」


 一日のほとんどをリー・リンの教えで勉学に励み、残りはラン・フォン様のお茶会に付き合ったりして終わる。お茶会は近所のお上品な奥様を呼んで行われているものだが、異国の娘が珍しいようで毎回珍獣を見るかのような好奇の視線に晒されるのだ。


 そして、シン・ユーとの関係も相変わらずで、上手く交流を図れずにいる。


 武官をしているというシン・ユーは朝から晩まで働いている。

 気の毒なことに帰りは日付が変わるような時間帯なのだ。


 朝は日の出前に出勤するので休日以外に会うことはないし、休みの日も部屋に篭っていて居間や食堂に顔を出さない日もあるので、余計に仲良くなる機会がないのだ。


 まあ、貴族もとい華族の結婚とはこんなものなのかもしれない。きっと私の両親が規格外だったのだ。


 深夜、喉の渇きを覚えて目を覚ます。

 寝台の近くに使用人が置いてくれた水差しの中身は酒だった。異国人は酒を水のように飲むという間違った認識が広がっていて、後で訂正をしようと思っていた弊害が今発生してしまった。


 どうしようか迷ったが、気になって眠れそうにないので、起き上がる。


 寝台の近くに掛けてあった上着を羽織り、食堂へ水を貰いに行こうと暖を取る為に置かれた火鉢の中から火種を貰って角灯に火を灯す。

 灯りの無い廊下を、自分で持っている角灯の光だけを頼りに歩き、食堂を目指す。


「――ッ!!」


 廊下の角を曲がろうとしたその時、人と鉢合わせになってしまい、とっさに悲鳴を呑み込んだ。


 深夜の廊下を気配無く歩いていたのはシン・ユーだった。


「お、おかえり。シンユウ」

「……」


 驚きでドキドキと高鳴る胸を押さえながら、シン・ユーに声を掛ける。相手にはこちらの接近が分かっていたのか驚いた様子は無かった。


「ん? ナニ?」


 なにやら冷たい視線を先ほどから感じていた。

 深夜に部屋を抜け出しているのが不審だったか、はたまた片言の喋りに呆れているのか。

 感情が表情だけでは読み取れず、不安を押し隠すように自分の結んでいた髪をぎゅっと握った。これは幼い頃からの癖である。


「――あ!!」


 髪、そうだ!!

 今の私は髪の毛を左右に分けて編んで下げている。この国で三つ編みといえば高貴な身分の者にしか許されていない。この髪型にして寝ないと、翌日髪の毛が四方八方に跳ねるので、こっそりとしていたが、こんな所でバレるとは思ってもいなかった。


「ご」

「?」

「ご、ごめんなしゃーい!!」


 私はリー・リンに禁じられていた敬語を使って謝り、相手の反応を見る前に回れ右をして、自分の部屋へ全力疾走をした。


 私の敬語は発音が怪しいと言われていたが、前のように「ごめんごめん」と軽く謝る訳にはいかなかったのだ。


 多分私の誠意はシン・ユーに伝わったことだろう。


 次に会った時に咎められませんように。――そう願いながら、喉の渇きを我慢しつつ眠りについた。


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