59.シン・ユーとお義母さんからの驚くべき提案
あの吹雪の日々が嘘のように、晴れやかで余り寒さを感じない毎日を過ごしている。
雪はすっかり解けて無くなり、すっかりいつもの風景に戻っていた。
隠居生活も二年目に突入をしている。
森の奥地での生活というものは大変なのでは、と話を聞いた当初は思っていたが暮らしてみて、案外快適だということが判明した。
と、言っても、この場所を暮らし易く思うのは、自分達の生活力があるという訳ではなく、温泉や蒸し釜という自然の恩恵、三日に一度来てくれる商人、いち早く危機を察知してくれるメイメイに、凶暴な野生動物との対峙も可能とするヨーヨー、近くにある街や管理人の援助に支えられているからだろう。
そんな恵まれた環境に感謝をしながら、私達の隠居生活は続いていく……と思っていたのに、状況は義母のある一言で変わってしまったのだ。
◇◇◇
ある日の夜。夕食に使った皿を洗い終えた後、話があると呼び出される。
「お義母さん、何~? どうしたの~?」
「大切な話よ。真面目に聞いてちょうだい」
「?」
並んで座る義母とシン・ユーは神妙な面持ちでいた。一体何ごとなのだろうかと、濡れた手を前掛けで拭いながら椅子に腰掛ける。
「あのね、少し前から二人で話していたのだけれど」
「は、はい」
「これから、ハイデアデルンに移住しようと考えているの」
「えーー!!」
「……」
「……」
突然の提案に驚いている私を、目の前の親子は冷ややかな視線で見つめている。
「あなた、本当に気がついていなかったのね」
「え、なに、が!?」
「シン・ユーが言っていたのよ。リェン・ファは気付いていないって」
「う、うん。そんな計画知らなかったよ~」
「あんなに分かりやすく、ハイデアデルンについて聞いたりしていたのにね。呆れたわ」
「……」
そうか。だから二人してハイデアデルンの言葉を覚えたり、歴史書を買ってきたり、礼儀について学んだりしていたのか。
……って、これだけ色々やっていて気付かない、私が鈍過ぎるのか!!
それにしてもハイデアデルンに帰れるのか。
何だか実感が湧かない、不思議な気分だった。
あ、でも突然帰ったら父は引っ繰り返るかもしれない。あととても堅気に見えない尖った雰囲気のあるシン・ユーや尊大な女王のような義母を見て驚かなければいいが。
「どうした?」
「え!? ああ、お父さんがびっくりするなあって」
「リェン・ファの父親とは何度か文を交わしていて、この件についても知らせてある」
「!?」
し、知らなかった。シン・ユーがお父さんと仲良く文通をしていたなんて。でも一体どのような内容を送り合っていたのだろうか?
そんな疑問が顔に出ていたのか、シン・ユーは父との文通の内容を語ってくれた。
「一応こちらの事情は伝え、移住する事も了承を貰っている」
「そ、そこまで終わっているの!?」
流石シン・ユー、仕事が早い! じゃなくて、移住の決定を知らせるのは私が最後なのか! まあ、周囲で分かりやすい程に色々やっていて気がつかない私も悪いのだけれど。
「お前が心配することは何もない。ただ、着いて来てくれるだけでいい」
「う、うん」
信じられない、夢のような話を聞いて、呆然とする私の前に、義母は二枚の細長い厚紙を置く。
「――これは?」
「ハイデアデルン行きの船の券よ」
「!!」
机に両手をついて二枚の旅券に顔を近づければ、私とシン・ユーの名前が書かれたものだと分かる。
それを見た途端に涙がぶわっと溢れ出てきた。
「な!? 何、あなた、泣いているの? 祖国に帰れる位で大袈裟ね!」
「ち、違う~~」
「はあ!?」
拭っても拭っても涙は止まらない。義母が手巾を差し出していたのは視界の片隅に見えていたが、ぐしゃぐしゃになった顔を覆っている手を離したくなくって、受け取ることが出来なかった。
何とも言えないこの気持ちを、一刻も早く説明したかったが、声が震えて出て来なかった。
ところが、シン・ユーの言葉により、私は勘違いをしていた事が発覚する。
「リェン・ファ、今回のハイデアデルン行きは旅行だ」
「え?」
「母上は留守番をすると言って聞かなかったから、旅券は二人分しかない」
「りょ、こ、え!? ど、どういう、こと?」
「そうよ、シン・ユー!! どういう事なのよ!!」
「……」
私と義母から質問攻めに遭ったシン・ユーは、眉間の皺を押さえつつ、ため息を吐きながら話す。
「リェン・ファは、ハイデアデルンへの移住に母上が来ないと思ったのだろう」
「な、なんですって!?」
「……」
事情を把握した私の涙は一瞬で止まってしまった。
私はてっきり二人分の旅券しかなかったので、義母はハイデアデルンに来ないものだと勝手に思い込んでいたのだ。
呆れた表情をする義母に向かって片目を閉じ、首を傾げながら「早とちりしちゃった! ごめ~ん!」と言わんばかりのおどけた表情を向けたが、「迷惑な!!」といった感じにキッと睨まれてしまった。
「どうせあなたのことだから、料理を作ってくれる人が居なくなって悲しかったのでしょうね!」
「……」
義母を美味しい料理を作ってくれるだけの人だと思ったことは一度もないが、これは日頃の行いが悪かったのかもしれない。こんなに大好きなのに、私の愛が伝わっていないとは。
「何を考えているのかしら?」
「お義母さん、大好きって」
「――ッ、はあ!? いきなり、訳の分からない子ね!!」
義母はツンとした表情で、私から顔を逸らしてしまった。
隣のシン・ユーは、少しだけ不機嫌顔になっている。義母に大好きだと言ったので、浮気者だと思われたのだろうか。
ここはシン・ユーも好きだよ、と言うべきなのか、それともここで言ってしまったら私の好きが軽くなるから言わない方がいいのか。
そんな悩みに頭を占領されていると、元の無表情に戻ったシン・ユーが話を再開させた。
「話を戻すが」
「は、はい、どうぞ~!!」
今回はシン・ユーと二人でハイデアデルンへと行き、父に挨拶をしたり、住む家や出来る仕事が無いか探したりすることを目的としているのだという。
「滞在は三日程だ。そして、移動は片道馬車で二日、船で六日」
「お、おお」
以前義母と渡った時は、様々な行き着く先でゆっくり観光をしたりしながら進んだので、ハイデアデルンから大華輪国の王都まで半月も掛かってしまった。
今回は最低限の道筋で旅の日程を組んでいるので、八日で到着をするという。まず馬車でハイデアデルンへ直行する船が出ている国まで行き、そこから六日間船旅をする予定らしい。
滞在が三日だけなのを考えると、弾丸的な日程だ。
けれど、義母やシン・ユーの気持ちが、父に会える事が嬉しくって、また眦から涙が溢れてくる。
「もう、仕方の無い子ね!!」
「うう……」
今度は義母が隣まで移動して来て、私の肩を抱き寄せて涙を優しく拭ってくれる。
「お、お義母さ~~ん!!」
シン・ユーの鋭い視線が刺さっているのは気付いていたが、この嬉しい気持ちを抑えきれなくなってしまい、義母の胸に顔を埋めてしまった。
あ、シン・ユー、ちょっと待ってね、もう少しで涙が止まるから。
◇◇◇
何故、シン・ユーや義母がハイデアデルンへの移住を決めたかと聞けば、隠居生活を終えて、新たな街で暮らす事になった場合、ザン家の名を捨てなければならないと、ファン・シーンより告げられていたからだという。
名を偽って、こそこそと暮らすよりは、堂々と本当の名を名乗って暮らす方がいいだろうという意見が、偶然にもシン・ユーと義母の間で一致したのだ。
けれど、異国での生活を二人が受け入れてくれるのかという不安もある。
私はどちらかと言えば楽観的なので、何でも受け入れたが、あの親子は二人揃って頑固だ。大丈夫なのかと再度聞きたくなる。
だが、そんな生活も始めてみないとどうなるか分からない。ここでの暮らしもそうだった。
きっと、ハイデアデルンでも、家族みんなで協力をして、欠けている部分だって誰かが補えばどうにかなるだろう。とりあえず不安な気持ちにぎゅっと蓋をする。
この落ち着かない気分の正体は何かと心の中を探れば、二年振りに父と再会出来ることが楽しみなのだと思い至る。
父は大人になった私を見て驚くかもしれない。鏡の中に映る自分を見つめながら考える。
……いや、ないか。
この二年での変化と言えば、少しだけ体の肉付きが良くなった位で、他はほとんど変わっていない。
母は背が高かったので、私も大人になったらすらりと高くなると思い込んでいたのに、現状は家の少し高い棚さえも背伸びをしなければ届かない、という悲惨な状態であった。
丸い顔も、少しだけ吊りあがった目も、締まりが無いと義母に言われた唇も、幼い頃のまま、成長したという実感は無い。
二十歳になって気付いたのだが、もしかして私も童顔という、大華輪国の国民のような困った特性を抱え込んでいるのだろうかと頭を傾げる。
いつになれば、針子屋の姐さん達のような色気のある女性になるのか。
この子供っぽい三つ編みが悪いのかと、解いてみるが、残念なことに印象は変わらなかった。
なんだかこのまま老いていきそうで、末恐ろしくなる。
「どうかしたのか?」
寝台の上に胡坐を掻いて本を読んでいるシン・ユーが、化粧台の前で鏡を覗き込んだまま動かなくなった私に突っ込みを入れる。
「ね、ねえ、シン・ユー、大人っぽい女性とそうでない女性、どちらが好き?」
「……」
「じ、じゃあ、胸の豊かな女性とそうでない」
「リェン・ファ」
「ん?」
「リェン・ファが」
「……?」
「おまえ以外は何も望まない」
「!?」
あ、あ~、そういうことね!!
別に好みの女性は居ないけれど、私だけが好きって、なんじゃそりゃ!! 突然何を言うのか!! 恥かしいわ!!
火照っている頬に、自分の冷えた両手を当てながら寝台へ行ってさっさと眠ろうとすれば、いつの間にか本を仕舞いこんでいたシン・ユーに捕獲をされてしまう。
「うぎゃ~~!」
「何を気にしている?」
「なんでもないの~~!! お気になさらず~~!!」
シン・ユーの隙の無い尋問は、私が本心を吐くまで続いた。




