57.温泉豆腐
大華輪国に来てから、三度目の冬を迎える。
美しく色付いた葉は散って無くなり、剥き出しとなった木々は暖かな季節を静かに待つ。
十八で大華輪国に渡り、早二年。私は二十歳になった。
まあ、二十年の節目を迎えたからといって、何か変わるわけでもなく、毎日は平穏に過ぎていく。
◇◇◇
「うう、寒~い!」
毎年暖かな冬を迎えていたこの隠居先だったが、ここ数日は暖炉に火を灯さなければならぬ程の、肌寒い日が続いていた。
外は少し前から吹雪いており、景色は何も見えない。
メイメイも綺麗に洗って家に上げているが、義母は獣臭い、折角綺麗に掃除をしたのに毛が舞い散る、とブツブツ文句を言っている。
だが、私はメイメイと義母が人目に付かない場所では仲良しさんなのを知っているので、話半分に聞いていた。
ヨーヨーも気掛かりだが、シン・ユー曰く鳥は自然の脅威から身を守る術を知っているから心配することはないというので、その言葉を信じることにしている。
「寒いのなら暖炉の前に居ればいいじゃない」
「う、うん」
現在私は玄関の向こう側が見える窓に張り付いていた。何故かと言えば、数時間前に雪が止んだからと言って出掛けたシン・ユーの帰りを待っているのだ。
「そこで待っていても、暖炉の前で待っていても同じよ」
「分かっているけど~~」
なんだかぬくぬくしながら待つのも落ち着かない。義母にはもう少しだけ、と言ってここで待つことにする。
「まるで忠犬、じゃなくて、鼠……いえ、なんでもないわ」
「え!?」
どうしてここで鼠が出てくるのだろうか。
少しだけ気になる発言だったが、義母は私に温かいお茶の入ったカップを手渡すと、自分の部屋へと戻って行ってしまった。
数日前に商人が訪れた際に、もうすぐ寒波が来ると天候予報師が言っているという情報を提供してくれたお陰で、色々と備える事が出来た。
畑の野菜は収穫したし、食材も保存が効く物は多めに買っている。
寒くないように、シン・ユーには耳当てが付いた帽子を作り、去年作った外套の内側にはふかふかで暖かな毛皮を縫い付けた。義母にも毛糸で編んだ肩掛けを作って贈った。
自分用の防寒具は腹巻を毛糸で作って昨晩から早速巻いて寝たが、お腹周りがふくふくなのを、隣に寝転がっていたシン・ユーが気付き、即座に寝間着を捲って確認されるという悲しい事件も起こったりした。
そんな目敏いシン・ユーは、仕事の完成原稿を街に持って行っている。
天候が怪しいから別の日にすれば? と言ったが、今日持って行く約束をしているからと言って出掛けてしまった。
それから一時間後、横殴りに降る雪の中からシン・ユーが帰宅をしてくる。
「わあ、大丈夫!?」
「問題ない」
全身雪塗れになっていたシン・ユーの雪を玄関の外で払い、脱いだ上着や帽子は後で洗うので籠の中へと放り込む。
顔が真っ青だったので、背伸びをしつつ両手でシン・ユーの頬を包み込むように触れたら、ヒヤリとした体温に驚いてしまった。
「つ、冷たくなってる!!」
「……」
早く中で温まって貰おうと、手を引いて暖炉の前まで連れて行った。
◇◇◇
夕食は干し貝の粥に、木の実と根菜と鶏肉を塩と香辛料で炒めたものに、辛味の効いた挽肉と葉野菜たっぷりのスープ、揚げた魚のあつあつ餡かけに、自家製野菜を蒸したものと本日も美味しそうな料理が並んでいる。勿論全て義母の作品だ。
最近は店で出せるのでは!? と言ってもいい位の水準まで達している。そんな料理を毎日食べられる私は果報者なのだ。
義母の作った料理に幸せを感じながら噛み締めていると、またしても並んで座る親子の空気が冷たくなっているのに気が付いてしまった。
「こんな日に出掛けなくってもいいのに」
「今日が締め切り日だったから、仕方がないだろう」
「けど、こんな天候で、うっかり死んだら元も子もないわ」
「悪天候でも馬は問題なく進める」
ああ、食事の時位楽しく食べればいいのに。目線すら合わせようとしないで言い合う二人を見ながら思う。
「べ、別にね、私は心配していた訳じゃないのよ?」
「……」
う~ん。義母はシン・ユーに無理をして欲しくないんだろうなあ。
シン・ユーも、生活の為だと思って無理をしている事に気が付いていないと。
何という困った人達だろうか。
とりあえず、私に出来ることは仲裁をする位だった。
「ね、喧嘩は止めよ? シン・ユーも、お義母さんも」
義母には料理が素晴らしく美味しいことを伝え、シン・ユーには炒め物を皿に盛って手渡す。
人の性格や根本的な考えは簡単には変わらない。なので、この親子喧嘩とも上手く付き合っていかなければならないのだ。
◇◇◇
翌日は気持ちがいいほどの青空が広がっていた。
義母と二人で三日間分の洗濯物を干し、窓も全開にして掃除をする。ちょっと肌寒いが、ここ数日の寒さに比べたらどうってことも無かった。
そして、畑で収穫をしていた白菜を洗って塩漬けを作る。
漬物用に使ったのは三つ程。まだあと五個も残っている。数日前に寒波が来るからと聞いた為、雪で駄目になる前に発育途中のものも含めて全部収穫してしまったのだ。
「まだ沢山あるね」
「大丈夫よ、これ位」
義母が大丈夫だというので、残りの白菜の管理は任せることにした。
「あ、そうそう」
「ん?」
「あなた達、夕方まで出掛けてくれないかしら?」
「え?」
「家ですることがあるから邪魔なの」
「……は、は~い」
突然邪魔者扱いをされた私とシン・ユーは、街へ出掛ける事となった。
◇◇◇
久々に来た慈江は、相変わらず寒波の後も気にしないと言った感じに賑わっている。
目的も無く街をぶらつき、途中にあった本屋で【月刊・選良奥様の家庭把握術】を購入し、最終的には行き付けとなった東国の店で時間を潰す事になった。
「いらっしゃいマセ~」
いつもの片言喋りの店員がやって来て、料理の品目が書かれた紙を渡してくれる。
「本日のお勧めは温泉豆腐、デス!」
「え!? なにそれ……ですか!?」
「温泉の湯で煮込んだ豆腐デス。豆腐は角が取れて、見た目も食感もトロトロ美味しいデスヨ~」
一瞬頭の中に豆腐が大きな器の中で、温泉に浸かっているようにぷかぷかと浮いている料理が浮かんだ。が、その想像はあながち間違いでは無かった。興味が湧いて頼んだ温泉豆腐とやらは、土鍋の中に白い液体が満たされており、切り分けた豆腐が入っているだけのものだったのだ。
細かな穴の開いたお玉で豆腐を掬う。
店員の言った通り、豆腐の角が取れて、つるりとした滑らかな見た目となっている。
取り分ける器に入っているのは、柑橘汁と薬味の入った酢醤油だ。その中に豆腐を入れて、シン・ユーに渡した。
自分の器にも豆腐を入れたが、初めて食べるものは味見大使の感想を聞いてからにしようと決めている。
「ねえ、どう?」
「豆腐だな」
「……」
今回も味見大使はあまり仕事をしなかった。
私はれんげで豆腐を掬い、千切りにされた薬味も箸で乗せる。持ち上げればふわっと湯気が上がったので、冷めるまで待ってから口の中に入れた。
「――!!」
なんだこれは!!
豆腐というのは大豆を煮込んだ絞り汁に凝固液を加えて固体にした食べ物なのだが、基本的に食感はモソモソしているのだ。が、この温泉豆腐はそんな事は無く、蕩けるような舌触りとまろやかな素材の味が口の中を楽しませてくれる。
あの豆腐の食感が温泉の力でここまで滑らかになることが驚きだった。文句なしに美味しい。
あっという間に食べ終え、しばらくすると食後の甘味が運ばれてくる。
「お待たせいたしマシタ」
この店は食事を頼むと勝手に食後に甘味が付いてくる。今回はドラ焼きという、東国で和菓子と呼ばれるものだった。
ドラ焼きは何度かこの店で食べたことがある。二枚のふっくらとした円形の生地に、小豆を甘く炊いて作った餡を挟んだものだ。
皿の上には小さな一口大のドラ焼きが三個並んでいる。それを手に取って、一口で食べた。
「――あ!」
中の餡の味に覚えがあったので中身を覗けば、その餡の色は紫色。これは紫甘芋のドラ焼きだったのだ。
その出来栄えに思わず感心してしまう。
私も何度か紫甘芋の調理に挑戦をしたのだが、どれも失敗に終わった。お粥は全体的に紫に染まり、蒸しパンも毒々しい色合いになった。どれも悲惨で、涙ながらに食べたのを悲しい気持ちで思い出す。
だが、これは紫甘芋と外側の皮と別々に作ってあるので、紫色に染まりようがないのだ。
うーん、美味しい。餡の色は壊滅的だが、味は優しい。
紫甘芋はこうして使えばいいのかと勉強になった。……この先栽培の予定はないが。
その後、街の中央部にある図書館で本を読み漁り、夕刻になると家路に着いた。
「――わあ!」
帰宅後、食卓の上に用意されていたのは餃子を使った料理だった。
義母は白菜を消費する為に大量に餃子を作ったらしい。
水餃子に揚餃子、焼餃子に餃子汁、蒸餃子に餡掛餃子と種類も豊富だ。
味の濃い餃子ばかりなので、お粥は塩味のみというさっぱりしたものだった。
もっちり皮に齧りつくと中身からは肉汁が溢れ、白菜のしゃきしゃきしとした食感と甘さがタレに良く合う。とても美味しいが、あることを疑問に感じたので聞いてみた。
「お義母さん、どうして餃子ばかりなの?」
白菜を使った料理は数多く存在する。なのに、皮から作らなければならない、面倒な餃子ばかりだったので、不思議に思っていたのだ。
「あら、あなた知らなかったの?」
「?」
「餃子は子孫繁栄を齎すありがたい食べ物なのよ」
「!!」
義母の発言を聞いて、危うく口に含んでいた餃子を噴き出しそうになってしまった。
「……子を授かる、という意味の交子という言葉と餃子の古代文字の発音が同じ所から由来をしている」
「へ、へえ~」
シン・ユーの解説を聞きながら、勉強になるなあ~と頷く。
そうか、そうか。義母はお子様をご所望という訳で。だからこのように大量の餃子を作ったということなのか。
「子育ては体力勝負だから、沢山食べなさい。あなた、細すぎるわ」
「……はい」
「ま、まあ、子供の面倒位私も見れなくはないけれど!」
「う、うわ~、嬉しい」
義母の期待をビシバシと感じつつ、皿の上の餃子を平らげることにした。
◇◇◇
このようにして、私達の一年は過ぎていく。
義母が熱望していた新しい家族を迎えるのは、もう少し先の話だった。




