52.なぜ、そのように荒ぶるのか!?
昨晩のお願いも空しく、シン・ユーは生活を改める様子も無いようで、せっせと毎日狩りに出掛けている。義母の落ち込み具合も変わらずに、部屋に引きこもりがちだ。
完全復活までには時間が掛かりそうだな、と思っていたが、最近は少しだけ居間に出てきて裁縫をするようになった。
ハイデアデルンの貴族令嬢は刺繍を当たり前のようにたしなむが、華族のご婦人方はそういったものを身に付けていないらしい。なんでも布物を扱うのは織物職人の仕事だという認識なので、義母は針を触るのも初めてだと言っていた。
流石、器用なシン・ユーの母親と言うべきか。
義母は私の教える針使いをすぐに覚え、細かな花模様を縫って見せたのだ。
現在二人で作っているのは、食卓に掛ける布だ。
私の祖国では、嫁入り前の娘と送り出す母親とで机掛けの刺繍を行う習慣があるのだが、それを義母と一緒にやっていたのだ。
勿論義母はそのような事をしているとは知らない。
言ったら怒られそうだし、私の自己満足なので何も問題では無かったのだ。
だが、その作業も一日一時間もすれば飽きるのか、疲れたと言って部屋に帰ってしまう。
翌日になれば暇だと言って縫い始めるので、ゆっくり作ればいいかと思っていた。
義母は何だかんだ言って、日に日に元気を取り戻しつつある。
が、やはり、問題はシン・ユーの方だろう。
先日は私がお願いの方法を間違ってしまった。
お願いをする時は自分の要望を一方的に通そうとするのではなく、シン・ユーの要望も聞かなければならなかったのだ。
その前にシン・ユーのピリピリした状態を何とかしなくてはならないと考える。
また、ザン家の事や国の改革について一人で背負い込んでいた時のように、今回も一人で何とかしなくては、と躍起になっているに違いない。
今までとは違い、私はシン・ユーの本当の奥さんになる為にここまで付いて来たのだ。
お飾りの妻ではないので、夫の間違いは正さなければならない。
ところが、どうやってその助言というのか、お願いを聞き入れて貰うのかが課題だ。このままでは過労が溜まって大変なことになるのは確実に決まっている。
夫婦とは、苦楽を共に分かち合うものなのだ。
……その前に、夫婦とは何かを私自身がよく分かっていないのかもしれない。
よく知る夫婦と言えば、私の両親が思い浮かんだ。
二人は本当に仲が良く、出かけ際なんかは手と手を握り合って、今生での別れかのようにしていたのだ。
行ってらっしゃいの口付けなんかも毎回のようにしていた気がする。
……いや、これはハイデアデルンの習慣だろうから、わざわざする必要は無いな。
そうだ! 私達は夫婦としての触れ合いが足りないのかもしれない。
そう思って自分の行動を振り返ってみたが、シン・ユーへの対応は他人同然の酷いものばかりだった。
なんと言うか、恋人同士のような触れ合いは、決して嫌な訳ではないのだが、慣れていないので嬉しさよりも恥ずかしさが勝ってしまう。
世の女性は、どうやって羞恥を抑えているのか、とても気になる所だ。
シン・ユーが私の事を好きなのは分かっている。
膝を付いた状態での熱烈な告白も聞いたし、ここの生活の中での接触は好ましい相手にするものばかりだ。話に聞いたものや、本で読んだ知識の中での情報だが。
私も、シン・ユーと同じ気持ちなのは自覚している。
だから、ハイデアデルンに帰れと言っていたシン・ユーに逆らってまで付いて来たのだ。
この国での、きちんとした妻の在り方が分からないので、頭を悩ませる。今になって感じる文化の違いに苦しんだ。
好き、というだけではどうにもならない事は沢山ある。今回の件もそういう事なのだろうか?
……こんなに一生懸命考えているのに、考えれば考える程、答えは出てこない。
とにかく、触れ合う中で相手を知り、信用を育てていく、ということでいいのだろうか?
とりあえず、あまり恥ずかしくない肩叩きから始めてみる事にした。
◇◇◇
家事もほとんど済ませた午後。
暇な私は地獄釜でメイメイのおやつの蒸し鳥を作っていた。
作ると言っても犬用なので味付けは必要ない。
小さな骨を全部抜き取って、平らな籠に葉っぱを敷いて、蒸気口に籠を置いてから蓋をするだけの簡単料理だ。
メイメイは自分の物と分かっているのか、私の隣で尻尾を振りながら待っている。
準備が終わって蒸している間、木の棒を遠くに投げてメイメイが拾ってくるという遊びをしていた。私の運動不足解消にもなるので、一日に一回行うようにしている。
たまに上空をヨーヨーが飛んでいて、投げた木の棒を爪で掴んでどこかへ行ってしまうこともあった。その時のメイメイの荒ぶり方はちょっとだけ笑ってしまう。
そんな風に遊んでいると、急にメイメイが森の奥の方へ向かって吼え始めた。
獰猛な吼え方をするのは初めてだったので、どうしたものかと疑問に思う。
何か居るのかと背伸びをして森を覗き込むと、メイメイが私を庇うように前に出てきた。
それと同時に現れたのは、額に長い角を生やした豚のような生き物だった。
「――!!」
咄嗟の事で悲鳴も何も出てこない。
メイメイは全身の毛を逆立てて、唸っている。
あれは、角猪だ。
商人の奥さんが行っていた、茶色い剛毛に豚に似た外見、長い角に赤い目。全ての特徴が一致している。
一体どうして!?
この辺りには、小型の野生動物しか出ないと管理人も言っていた筈だ。
角猪は背中の毛を逆立てており、牙がギリギリと音を鳴らしている。
あれは威嚇行為なのだろうか。
危険だから早く逃げろと、身の危険を知らせる自らの中にある警鐘が鳴り響いていたが、声もでなければ体も動かないで、角猪と見詰め合っている状態にあった。
角猪はメイメイよりも大きな体をしている。
突進でもしてきたら、私やメイメイは吹き飛ばされてしまうだろう。
メイメイが激しく吠え出したのと、角猪がこちらに向かって地面を蹴ったのは同時だった。
私はしゃがみ込んで頭を守った、が、予想していた衝撃は訪れない。
「――!?」
上空から、聞き慣れた鳴き声が聞こえた。
それは、鋭い爪で襲って来る角猪を攻撃している。
「!? ヨーヨー!!」
どこからか飛んで来たヨーヨーが私達を助けてくれたようだ。
ヨーヨーの爪で首の一部を裂かれた角猪は、血を流しながら森の中へと消えていく。それを逃すまいとヨーヨーは猛追していた。
助かった事が分かると、私はその場にペタンと座り込んでしまった。
危なかった。シン・ユーがメイメイとヨーヨーを狩りに連れて行っていれば、私は角猪の突進を喰らって大変なことになっていたのかもしれない。
まだ角猪が逃げ込んだ森の方へ吼えているメイメイの体を抱きしめて、落ち着くようにと宥めた。
メイメイの温もりを感じながら、私自身も落ち着くことが出来たのである。
◇◇◇
昼間に起きた事件をシン・ユーに報告すれば、珍しく動揺を見せていた。
シン・ユーも管理人の言葉を信じて、このような森の奥地には角猪が出ないと信じていたらしい。
何を思ったのか、シン・ユーはその日から害獣退治の日以外は外出を控えるようになった。
一体何をしているのかと言えば、職人を雇って家の周囲を守る柵を作り始めたのだ。
どこからか太い木を持って来て、先を尖らせて地面に打ち込み、木と木の間には角猪が嫌う竹で編んだ垣根を入れている。この辺りでは竹は貴重なので、高かった筈だが、お金を稼いでいるのはシン・ユーなので、文句など言える訳もない。
出来上がったその柵は私の身長よりも高く、外部からの侵入者を絶対に許さないという執念が垣間見えていた。
今回の事件のせいで、今まで以上にシン・ユーの雰囲気がピリピリとしたものになっている。
あの日、私が暢気に外で遊んでいなければ、このような事態は起こっていなかったのだろうか? 考えても仕方が無いことなので、思考を止める。
それにしても、メイメイは狩猟に同行する事もあったからか、角猪に臆することなく、勇敢に立ち向かっていたのには驚いた。本当に、あの日の彼女の存在はありがたかった。
でも、その後のメイメイは甘えん坊になっていたので、多少は怖かったのかもしれない。
「――あ!」
その日のことを考えていると、ある事に気が付く。
荒ぶっていたメイメイは、私が抱きしめて宥めると大人しくなった。
なので、目の前で荒ぶるシン・ユーも私が抱きしめたら大人しくなるのでは!? という名案が浮かんでいたのだ。
先日、自分達に必要なのは触れ合いだと答えが出ていたのに、害獣事件のせいですっかり忘れていた事を思い出す。
シン・ユーは寝台の上に胡坐を掻いて、家を囲む柵の設計図を見ている。
その後姿には一切の隙がないように思える。
抱きついたら、不審者だと思ってそのまま押し倒されたりしそうな雰囲気がビシバシと出ていたが、勇気を出して、その肩に触れる。
「シン・ユー、もう休もう」
「……」
シン・ユーも私を守ってくれたメイメイと同じで、色々と頑張ってくれるのはありがたいと感謝していた。だが、いつも働きすぎてしまうのが残念な所だった。きっと彼の頭の中には「ほどほどに」という言葉は無いのだろう。
返事は無かったが、勝手に本題に移ることにした。
「ねえ、シン・ユー」
「……」
「この前のお願い覚えてる?」
「……ああ」
危ない仕事は辞めて欲しい、きっちりと体を休める為に休日を入れて欲しい。その願いをシン・ユーは覚えてくれていた。
その言葉を聞いて安堵したこともあり、背中をぎゅっと抱きしめる事が出来た。
「――私も、シン・ユーのお願いなんでも聞くから、だから、この二つだけは守って」
「願いは何でも聞く、その言葉に偽りは無いな」
「え!? う、うん」
私から離れて、こちらを振り返ったシン・ユーは、抱きしめた効果も空しく、いつもと変わらない無表情だ。
シン・ユーがメイメイのように、すぐに従順になる訳がなかったのだ。
手を引かれて寝台の上に連れ込まれる。
シン・ユーの前に座ると、目を閉じてくれと言われた。
何でも言うことを聞くと言ってしまったので、その言葉の通りに目を瞑る。
「嫌だと思ったら、拒否しろ」
「は、はい?」
何のことだと首を傾げた瞬間に、唇に何かが押し当てられた。
それが何かと理解するのに、数秒時間が掛かってしまう。
これは、もしかしなくっても、口付けをされているのだろう。
いきなりの行為に頭の中は大混乱だった。
息はどうすればいいのか!?
口を付けている間は息を我慢するのか!?
だんだん苦しくなってきたが、どうすればいいのか!?
その時の私は鼻呼吸という誰もが知っている素晴らしい技術を、すっかり失念していた。
息が出来ない苦しさと、訳の分からぬ脱力感で、ヘロヘロになっていた。
口が離されると、私は息を弾ませながら、赤面した情けない顔でシン・ユーを見上げる。
すると、腰を抱き寄せられて、更に密着をする事となった。
外は土砂降りの雨だ。
私が声を漏らしても、雨の音でかき消されてしまう。
「――!?」
が、途中で稲光が薄暗い部屋を照らし、雷が落ちた。
「きゃーーーー!!」
「……」
「……」
遠くから義母の叫び声が聞こえる。
もう一度、雷が落ちると、再び義母の悲鳴が響き渡った。
心配になった私達は、義母の部屋へと向かう。
部屋を覗き込めば、毛布の中に丸まった義母の姿があった。
「……お義母さん?」
「きゃあ!」
部屋に入って来た事に気がついていなかったのか、義母はビクリと体を揺らしていた。そして、顔を出さずに「な、なによ」と力なく呟く。
「大丈夫?」
「何の話――ヒッ!」
突然の稲光が部屋を照らす。
今度は遠い場所に落ちたようで、そこまで大きな音は届かなかった。
「あ、あの、平気、かなって」
「べ、別に、雷が、怖い訳じゃ、ない、んだか、きゃあ!!」
またしても、ピカッとした光に驚く義母。
「は、早く、部屋に帰ってちょうだい。眠れない、じゃない」
「う、うん」
ここまで分かりやすく意地っ張りだと、逆に清清しいものだ。シン・ユーと顔を見合わせ、好きにしろというような顔をしたので、私は義母にとある提案をする。
「お義母さん」
「……」
「私ね、雷怖いから、一緒に寝ていい?」
「え?」
「今日だけ、お願い」
シン・ユーは付き合ってられないと言わんばかりの呆れた顔で部屋に帰ってしまった。
毛布から顔を出した義母に、再びお願いをする。
「お義母さん、駄目?」
「べ、別に、今日だけだったら、好きにするといいわ!」
そう言って、寝台の隣を空けてくれた。
絨毯の上に布団を敷いて眠ろうと思っていたのに、まさかの添い寝だった。
「……はあ」
なんだか色々あって、ほとんどの行動が空回っていた気がするけれど、もう疲れたので明日ゆっくり考えようと、思考にぎゅっと蓋をした。
◇◇◇
それから私の願いを聞き入れてくれたシン・ユーは、新しい仕事を探して来た。
業務内容は、図書館の希少本を別の紙に写すというものだった。
一日中書斎に篭ってせっせと文字を書く毎日を送っている。
シン・ユーが書き写したものは、写本として別の図書館へ届けられるという。
六日に一度の休日は、狩りに出掛けたり、街で買ってきた本を読んで過ごしているようだ。
心配事も減って、私も今まで以上に気楽な生活を送っている。
後は義母が元気になれば完璧なのだが、こればっかりはどうにも出来ないと、自然の成り行きに任せている。




