5.壮絶な親子喧嘩
玄関から通されたのは十人以上の人達が余裕で掛けれそうな机のある部屋だった。先に来ていたシン・ユーは眉間に皺を寄せて険しい顔を見せながら腕組みをして座っていた。
挨拶もそこそこにラン・フォン様は私の両肩に手を置いて機嫌の良さそうな声色でシン・ユーに話しかけている。きっと「異国で幸せの珍品を見つけたのよ。うふふ」とでも言っているのだろう。
私は後ろで涼しい顔をしているリー・リンを振り返った。
……リー・リンよ、閉めた扉の前で他人のようにしていないで言葉を訳してくれないか。
そんな私の視線に気が付いたのか、黒髪おかっぱ少女は近くに寄って来て、ザン家の親子の会話を同時通訳をしてくれた。
「シン・ユー!! 見なさい、やっと富貴福禄を約束するモノが手に入ったのよ」
「……」
「この子!! 幸せの金と青を併せ持つ珍しい生き物なの!!」
「何を馬鹿なことを」
「馬鹿って、探すのに凄い苦労したんだから!!」
「この娘はどこから連れて来た?」
「さあ、どこだったかしら? 忘れたわ」
「返してこい。今すぐに、だ」
なにやら拾ってきた犬を家では飼えません的な会話が二人の間で繰り広げられている。個人的にこの国でポイッされたらとても困るのだが。残念な事に祖国へ帰る帰巣本能は備わっていないのだ。
「無理よ。この子、帰る家が無いのですって。可哀想でしょう?」
「……」
リー・リンを通じて私が抱える事情はラン・フォン様に話していたが、微妙に違った意味合いで伝わっているようだ。いつの間にか私は家無し子となっている。
「この娘をどう扱うつもりだ?」
「さあ? それはシートゥ・ムー先生に聞かないと」
「あの胡散臭い占術師の言葉を鵜呑みにするなと言っていただろうが!!」
「何を言っているの? シートゥ・ムー先生のお陰で今の幸せがあるのよ?」
「……」
シン・ユーは相変わらず汚いゴミを見るかのような視線を私に向けながら、ラン・フォン様の行動を批判している。
どうやら大華輪国でも人身売買は禁じられているようで、バレたら華族としての家名の剥奪や財産没収など様々な重い刑が科せられるらしい。
ラン・フォン様は私を買ってきたとは言わず、可哀想な娘を助けたのだと主張していた。
リー・リンからも自分が買われて来たことはシン・ユーには言うなと耳打ちされる。
「分かったわ。この子は使用人として雇うことにしましょう。それなら文句は無いわよね?」
ラン・フォン様の言葉に私は深く安堵をした。もしかしたら地下の牢屋に監禁を命じられたり、性的な何かをやらされるのではと心配していたのだ。これで眠れぬ夜から解放されると喜んでいたが、事態は思わぬ方向へと進む。ラン・フォン様のありがたい提案がシン・ユーの怒りに触れてしまったのだ。
「使用人としてこの娘を置けば、奴隷を買って来たと自ら主張しているようなものだろう!!」
物価や土地の価格が高いことや、独自の文化や言語に加え、気性の激しい国民性など、様々な要素が普通の異国人の移住を躊躇うものにしているという。なので、この国に滞在する異国人は奴隷として連れて来られた者が大半で、日常ではすれ違うことすら珍しいのだとリー・リンはシン・ユーの怒っている理由を解説してくれた。
「だったら、あなたの愛人として置けばいいじゃない。それなら大丈夫でしょう?」
興が醒めた様子のラン・フォン様の愛人発言を聞いた途端にシン・ユーの怒りは最大限となる。
机を拳でドンと叩き、この世の悪を見るかのような目つきで実の母親を睨みつけていた。
シン・ユーの荒ぶりたい気持ちは良く分かる。私みたいな垢抜けない貧乏貴族の娘を愛人にと勧められても速攻でお断りだろう。
二人の間に割って入って「私の為に喧嘩は止めて!!」と言いたい所だったが、生憎言葉が分からないので、状況を見守る以外に出来ることはない。決して、シン・ユーの二十代前半の青年とは思えない鋭い眼力にビビッて動けなくなっている訳ではないのだ。
「あなたはさっきから何を怒っているのかしら? 異国人であるこの子が気に入らない?」
「……王に仕え、ザン家の当主である俺が愛人なんかを囲えば、家名に傷が付くとは思わなかったのか?」
「あら、そうだったわね」
「……」
「男の人の誇りってなんだか面倒だわ」
「……」
使用人は駄目、愛人は駄目、そうなれば残りは地下監禁か性的な何かをする場所に売られる末路しか思い当たらない。何だか雲行きが怪しくなってきた。
「だったら、地下部屋に閉じ込めておくか、遊郭街に寄付するかしてバレないようにするわ」
……やっぱり。
リー・リンは遊郭とは身を売る女性達が働く街だと訳してくれた。親切に教えてくれて本当にありがとうございますと自然とお礼の言葉が口から出てくる。
シン・ユーは机を両手で叩いて立ち上がり、ズンズンと私やラン・フォン様の居る方へ迫ってくる。このまま首根っこを掴まれて地下へポイッされるのではと思って、身を固くしていたが、怒りの化身となったザン家のご当主様は思いもよらぬ行動に出たのだ。
「――恥を知れ!!」
「!!」
なんと、シン・ユーはラン・フォン様に手を挙げたのである。
『だ、駄目――――!!』
気が付けば、私はザン家の親子の間に割って入り、挙げた手がラン・フォン様に届かないようにシン・ユーの前に立ちはだかっていた。
『シンユウ!! お母さんは叩いちゃ駄目!!』
慌てまくっていた私は自国の言葉でシン・ユーに注意をしていた。シン・ユーの名前の発音すら間違っている気がしたが、挙げた手は下ろされていたので沸騰していた怒りを削ぐことには成功したらしい。
この場で一番悪いのは私だ。よく大華輪国のことを知りもせずにラン・フォン様の誘いに乗り、体の悪い父親を一人残して来たことは罪深いことだろう。
貰ったお金はもう無い。だから私は地下に行くか、遊郭街に寄付されるかしか道は無いのだ。
父は家族の為に様々なことを犠牲にして生きてきた。
だから、今度は私が犠牲になる番なのだろう。
「シンユウ、ごめんごめん!」
とりあえず覚えたての大華輪国語で謝ってみた。一度の謝罪では足りないので二回謝ってみたが、私の一言で部屋の空気は微妙なものとなる。言葉の発音がおかしかったのか、背後に居た使用人のおっさんが突然噴き出していた。目の前に居るシン・ユーは無表情で私を見下ろしている。
「私、なんでも、シンユウに、シンユウに……」
私は何でもします。シン・ユーには迷惑を掛けません、と言いたかったが、まだ習っていなかったので、言葉に詰まってしまった。
背後に居たリー・リンに通訳を頼んで、代わりに思っていることを伝えてもらう。
「分かった」
「はい?」
基本的にこの国の人達は早口だ。一度も言葉を聞き取れた試しがない。
「この娘は俺の妻として迎える。それなら問題も起きないだろう」
「な、なんですって!?」
私の体はラン・フォン様に突き飛ばされてしまった。そのまま均衡を崩して地面に転倒しそうになったが、シン・ユーが腕を取ってくれて無残な姿を晒す事にはならなかった。
「なによ!! 愛人は嫌って言った癖に!! 意味が分からないわ!!」
「家名を守る為にはそれしか方法は無いだろう」
「異国の血をザン家に入れるなんて!! こんな子、外に捨ててきてやるわ!!」
「罪の無い者を地下に追いやったり、遊郭街に追いやることは許さない。家が無いと分かっていて追い出すというのも以ての外だ」
「あなた、自分のしようとしている事が分かっているの!?」
「そろそろ年頃だから結婚しろと言っていたのはそっちだろうが」
「だからって異国人なんかを選ぶ事はないじゃない!!」
凄まじい形相のラン・フォン様に腕を取られそうになったが、シン・ユーがその手を叩いたので、捕まることは無かった。
リー・リンは完全に部外者の顔をしており、遠くからこの騒ぎを見守っている。私は通訳が無いので、何を言い争っているのか理解出来ずにいた。
唯一分かった事と言えば、大華輪国の人達は非常に短気ということを身を以って痛感したことだろうか。