49.新しい家と新しい家族
山小屋を出発してから九日後、漸く目的地へと辿り着いた。
本来ならば五日で行ける距離だったが、途中の吹雪と義母の体調が悪くなったので、上手い具合に進む事が出来なかったのだ。
馬車の客室は森の中へ入れないので、慈江という森の麓にある街に住む管理人の家に預け、二頭の馬を連れて歩いていく。
慈江に入る前、目立たないように笠を被って目元を隠し、襟巻きで口元を覆っていたが、街の中は私と同じ異国人でいっぱいだった。
迎えに来てくれた管理人に話を聞けば、ここは観光地で温泉を目当てにやって来る人で一年中賑わっているのだという。
街の至る所から立ち込めている煙は染色料を焚いていて発生したものではなく、温泉の水蒸気を一箇所に纏めて、地上へ流しているものらしい。
何故、そのような事をしているのかと管理人に聞けば、温泉は地下深く穴を掘り、特別な管を使って地上へ持ってくるようにしているが、蒸気の逃げ道を作らないと管の中に内圧が掛かって破裂をしてしまう恐れがあるからだと、丁寧に説明をしてくれた。
森の中を歩く間、先頭を隠れ家の管理人が歩き、義母はシン・ユーと共に馬に乗っていた。流石の義母も、具合が悪いので口数は少なくなっている。
こうして見ると孝行息子と穏やかな母親に見えるが、彼らの仲は相変わらずだ。移動中も喧嘩は絶えず、何度仲裁に走ったか分からない程だった。
もう一頭の馬は私が引いている。慣れていないにも関わらず、馬は大人しく付いて来てくれている。
一人では馬に乗れないので、このような形になってしまったのだ。
◇◇◇
緩やかな坂になっていた道を、途中で何度か休みを入れながら三時間程掛けて進むと、開けた場所に辿り着き、その奥には一軒の家が見えた。
ここには数日前までファン・シーンの妹姫と護衛の女性武官、女官の三名が住んでいたらしい。
元々普通の山小屋だったものを改築及び増築したようで、建物の外観は複雑なものとなっている。
ここには番犬と伝書鳥も居るというので、会えるのを楽しみにしていた。
ザン家の山小屋にも伝書鳥が居て、シン・ユーが指笛を吹くと飛んで現れ、餌の木の実を引き換えに手紙を街まで運んでくれるのだ。
真っ白い鳥は、目がくりっとしていてとても可愛らしかった。この家にはどのような伝書鳥が居るのかと、心を躍らせる。
犬と触れ合うのは、実は今日が初めてだ。ちょっとドキドキしつつ、管理人の説明を待つ。
「ふう、ご苦労さまでした。馬で走れば一時間程で街まで行けますので」
管理人は汗を拭いながら言う。年頃は五十を少し過ぎた位だろうか。辛そうにしていたので、何だか申し訳なく思ってしまった。
「今日は暖かいですね」
「ええ、ここは雪も積もりませんから」
「そうなのですか?」
「はい。温泉の地熱で一年中ほかほかです」
「へえ」
そう言われてみれば、寒さはほとんど感じない。街の人達も薄着だったのを思い出す。
家の敷地内でも、街と同じように三箇所位から蒸気がモクモクと上がっている。
こ、これは、もしかすると!?
「あ、あの、ここは、温泉が?」
「はい。家の裏にある小屋は風呂場になっておりまして、浴槽に付いている口金を捻れば温泉にいつでも入浴出来ます」
「お、おお!!」
す、素晴らしい!! なんという素敵な土地だろうか!!
毎日お風呂の薪や井戸の水が凍っている心配をしなくてもいいというのは、とても気分が楽になれる。
ふと、家の前にある蒸気が気になって見ていると、それに気がついた管理人が説明をしてくれた。
「あれは地獄釜ですね」
「で、でい、ゆー、ふ?」
謎の蒸気口は屋根付きの簡易的な台所のようなものだった。そこからもモクモクと勢い良く湯気が出てきている。
「温泉から出る蒸気熱を利用する釜元です。慈江の人達は薪を使って生活をしないのですよ。ほとんどが温泉から噴出する蒸気熱を使って暮らしています」
温泉の力とは何とも便利なものである。ちょっと変な匂いはするものの、私は平気だった。
心配なのは先ほどから黙って顔を顰めているシン・ユーと義母だ。繊細な彼らには温泉の鼻を突く匂いがきついのかもしれない。馬達は平気そうなので、良かったと安堵する。
「ああ、そうだ。ここの住人を紹介しなくては。メイメイ!」
管理人がメイメイと叫ぶと、ガサリ、という葉っぱが触れ合う音が鳴る。
「――う、うわ!!」
近くの木の上から大きなものが降って来たと思えば、それは一匹の黒い犬だった。
……び、びっくりしたー。
「この子がメイメイです。大人しくて、とても頭の良い子ですよ」
「は、はあ」
ふさふさとした漆黒の毛は輝いており、耳はピンと立っている。キリっとした凛々しい顔つきをしているが、メイメイという名前なので女の子なのだろう。
体はかなり大きい。私が四つん這いになった姿と同じ位か、それ以上にありそうだ。
「よ、よろしく」
なんとなく手を出すと、太い足をポンと置いてきた。きちんと挨拶が出来るなんて賢い子だ。
まだちょっと怖かったが、慣れたら可愛いと思うのかもしれない。
「次はヨーヨーですね」
「!!」
おお、お待ちかねの鳥さんだ。
家の斜め前には止まり木と餌を置く場所が用意されている。呼んだらあそこに来るのだろうか。
「こちらは旦那様の方がいいかもしれませんね」
管理人はそう言ってから細長い竹で出来た笛を渡す。
「二度、短く吹けばやって来ます」
私も鳥を笛で呼びたかったが、シン・ユーが伝書鳥大使に選ばれてしまったので、その任命を心の中だけで羨ましがっていた。
管理人の説明通りにシン・ユーが笛を鳴らした。
どんな鳥が来てくれるのかと、私の胸はどきどきと高鳴っている。
ところが、飛んできたのはとんでもない奴だったのだ。
「――!? ひ、ひいいいい!!」
咄嗟に近くに居た大使に抱きつく。
なんと、空から現れたのは、羽を広げたら私の身長を軽く越す程の大きさの鳥さんだったのだ。
しかも、お食事時に呼んでしまったようで、趾には得物の肉塊が握られている。鉤型に尖った嘴は研がれた金属のように鋭くなっており、きいきいと鳴きながら肉塊を餌入れの中に器用に落とすと、止まり木に着地をした。
今になってやっとシン・ユーが伝書鳥大使に選ばれた意味を理解する。あれはちょっと私には近づけそうに無い。かなり怖い部類の生き物だ。
「はは、顔は恐ろしいですが、意外と懐っこいですよ」
う、嘘だ。あんな鋭い目付きをしているのに、友好的とか。
飛んできた一瞬の間、狩られるかと思ってしまった。鳥の得物気分を味わったのは初めての事だ。
義母は目をまん丸にしながら手巾で口元を覆い、鳥からかなり距離を取っていた。シン・ユーは相変わらずの無表情である。
「朝、止まり木に居たら食事を与えて下さい」
餌は小さな鳥や鼠の類を好むという。乾燥させたものが家の中にあるので、それを食べさせて下さいとお願いされた。
「メイメイとヨーヨーは狩りのお手伝いも出来ます。ヨーヨーは扱うのに少し技術が必要なので、使う際には一度街で講習を受けに来て下さいね」
「ああ、分かった」
「あと、手紙を頼む場合は、慈江には左足に、王都には右足に着ければ運んでくれます」
それから何個か外の事について説明していたが、目の前で繰り広げられるヨーヨーの血を滴らせながらの獰猛な食事風景が気になってしまって全く頭の中に入ってこなかった。
まさか伝書鳥が肉食だなんて思いもしなかったものだ。私の頭の中にあった小鳥さんと戯れるという夢は、あっさりと崩れ去ったのである。
日暮れと共に管理人と別れ、やっと家の中へ入る事が出来た。
部屋の中はつい最近まで人が暮らしていた事もあって、綺麗な状態で保たれている。
入ってすぐの場所が台所と一体になった居間となっており、その奥が書斎で、他に寝室が二つに物置き、という構造になっている。三人で暮らすには十分な広さだった。
食材も揃っており、街で食事を済ませて来たが、山歩きをしたのでシン・ユーと義母に腹具合を聞けば、二人とも空腹では無いというので、今日はもうお風呂に入って休むだけだ。
家の後方へと回りこむと、小さな小屋があった。中には脱衣所と洗面台があり、木の扉を開くと、大きな風呂釜がある。
あるか心配だった、洗髪剤や石鹸、体を擦る海綿なども揃っている。ぱっと見て風呂釜は綺麗に見えたが、念の為に洗った。
そして、管理人に教えてもらった通りに、風呂の窓側にある管の先端にある口金を捻れば、お湯が結構な勢いで出てくる。ものの数分でお湯が満たされた事にも感動を覚えてしまった。
最初にシン・ユーに勧め、ささっと入りに行ってくれと送り出す。義母はもう疲れたからと寝室に行ってしまったようだ。布団とかは敷いてあったのだろうか。寝たばかりの所を覗き込むのも悪いと思ったので、後で水差しを持って行くついでに確認しようと決める。
風呂から上がってきたシン・ユーの濡れたままの髪の毛を雑にタオルで拭いてから、私も身を清めようと浴室へ向かう。
変装をする為にきっちりと結っていた髪の毛を解き、服は脱衣籠の中へ畳んで入れる。
浴室へ入り、お湯を手でかき混ぜれば、少し温度が低い気がしたので、少しだけお湯を追加した。
お湯の色は白濁しており、少しだけトロリとしているような感じがしていた。匂いは慣れてしまったのか、そこまで気にならない。なんでも美肌に効果があると聞いたので、体を洗った後、ゆっくりと浸からせて貰った。
脱衣所の洗面台の前にある椅子に座って髪をよく乾かし、いつものように髪の毛が跳ね広がらないように三つ編みにしてから部屋に戻る。
ちなみに今着ている寝間着はここに住んでいた女官さんの使っていたものだ。ファン・シーンより、この家の中の物は全て進呈してくれるという手紙が残されていたので、ありがたく使わせて貰っている。
同じような背格好の人が居て良かったなと考えつつ、義母への水差し(中身は街で購入した水、ここの生水は危険らしい)と陶器製の杯を寝室へ運んだ。小腹が空いた時の事も考えて、街で買った饅頭も添えておく。
お湯を沸かす事が出来れば良かったのだが、暗闇の中地獄釜を使うのも怖い気がしたので、とりあえず今日は買ってきた水で我慢をした。
それから歯を磨いて、寝所の準備をする。
この部屋は女官と武官の二人が寝ていた場所らしい。義母はお姫様の使っていた部屋を選んでいた。
綺麗に寝台の上に敷いていた布団や枕などは新品だった。わざわざ用意をしてくれたのだろうか。
と、いうか、かなり大きな寝台だ。ここで女性二人で寝ていたからだろうが。
そして、この時になって私は重要な事に気が付く。
――あれ、これって夫婦の寝室なの!? と。
寝台の前で呆然としていると、シン・ユーが部屋に入ってくる。
「……」
「……」
私は書斎で寝た方がいいのかと考える。確か大きな長椅子があった気がする。
「もう寝るの?」
「ああ」
「そっか、じ、じゃあ」
引き攣り笑いを浮かべながら部屋を出て行こうとすれば、どこに行くのだと引き止められてしまった。
やっぱりここで眠るしかないようだ。
い、いや、分かっている。色々分かっている。分かってはいるのだが、ちょっとまだ決心が……。
目の前で私を見下ろしていたシン・ユーが、急に天井を仰いだ。
何事かとつられて私も天井を見上げる。
「――ヒッ!?」
上を向いた瞬間に体がふわりと持ち上がり、寝台の上に転がされてしまった。「今日は疲れているから何もしない」と真面目な顔で言いながら、シン・ユーも隣に寝転がる。
こんな場所で眠れる訳ないじゃない!! と思っていたが、数分後には意識が無くなっていた。
人って疲れていたらどんな状況でも眠れるんだな、と実感した日の話であった。




