48.【挿話】孤独な嵐風
◇47話の義母サイドの話(三人称)です。
ザン=ラン・フォン。
大華輪国でも五本の指に入る程の金持ちの家に生まれ、十三歳の時にザン家へと嫁ぎ、十五歳の時に一人息子を産んだ。その後、子供に恵まれないまま夫、ザン=ユー・ジンと死に別れ、四年もの間ザン家の当主として領地を支える。それから十五歳になった息子、ザン=シン・ユーに当主の座を譲った後は、顧問占術師シートゥー・ムーの甘言に乗せられるがまま、意味の無い浪費を繰り返していた。
そんな彼女の、当たり前のようにあった豊かな生活は、息子が起こした謀反によって一気に崩れ去ってしまう。
◇◇◇
――喧嘩の始まりは何だったのか。
意識が朦朧とする中、連れて来られた山小屋で、息子、シン・ユーから聞いた話は、信じがたいものだった。
国王と直系王族、国家占術師を殺し、国を建て直す為の行動を起こした、と。
ラン・フォンは知らなかった。
偶に遊びに来ていた、浮ついた振る舞いをする軽薄な男が王族だったということを。ファン・シーンと名乗っていた青年は別に名前があり、シン・ユーもきちんと紹介していなかったのだ。
何度かファン・シーンに食事に誘われたことがあったが、そんな暇は無いからと犬を追い払うかのように冷たく断っていた自分の行為を思い出し、知らなかった事とは言え、王族相手に不敬な態度を取っていたのだと恐ろしくなる。
国の情勢は華族の夫人達の集まる茶会でも度々噂になっていたが、ラン・フォンは他人事のように聞き流していたのだ。
そして、ちょっとした言い合いから、大声を張り上げる喧嘩へと変わっていく。
その喧嘩を止めようとしたのが、シン・ユーの嫁、リェン・ファだった。が、ラン・フォンが威嚇のつもりで振り上げた手にリェン・ファが大袈裟に驚き、背後に下がった先にあった柱で、後頭部を強打して転倒してしまったという不慮の事故が起きた。
「――ッ、ああ!!」
悲鳴を上げながら地面に伏したリェン・ファは、ぴくりとも動かない。
「や、やだ!! リェン・ファ!! リェン・ファ!! 大丈夫なの!?」
ラン・フォンは慌てて地面に膝を付き、動かない義理の娘の体を揺さぶろうとしたが、息子に止められてしまう。
「待て、動かすな!!」
「どうして!? ねえ、意識が無いのよ!?」
シン・ユーは母親の疑問に答えずに、リェン・ファの意識の有無とぶつけた後頭部の様子を確認し、出血が無い事が分かれば、念のために横に寝かせて気道の確保をする。それからリェン・ファの背中を支えているようにラン・フォンに言ってから立ち上がり、台所から皮袋を持って外に出て行く。
数秒後、戻ってきたシン・ユーの手には膨らんだ皮袋があり、その中には雪が詰まっていた。それを患部に当てて、しばらく様子を見る。
ところが、いくら待ってもリェン・ファの意識は戻らなかった。
「病院に行って来る」
「え!?」
「走っていけばここから一時間位で街に着くだろう」
「でも、病院って」
「また占い師に頼るとか馬鹿なことを言うんじゃないだろうな!?」
「……」
占い師が胡散臭いということは、ラン・フォンもうっすらと自覚していた。だが、十年前の奇跡が、シン・ユーの病気を快方に向かわせてくれたという事実が、占い師を盲信してしまう引き金になっていたのだ。
占い師に突き飛ばされたラン・フォンは、やはり自分はいいように利用されていたのだな、と確信してしまう。身が引き裂かれるような悲しい事実だった。
痛い所を突かれ、押し黙っているうちに、毛布で包まれたリェン・ファを抱き上げたシン・ユーは出入り口へ向かおうとする。
「ちょっと待って!!」
ラン・フォンは自分が身に着けていた襟巻きを掴むと、抱き上げられたリェン・ファの首に巻いた。更に袖に入っていた大き目の手巾で金色の髪の毛を纏め、目立たないようにする。ついでに雪の入った氷嚢も後頭部に当たるように押し込んだ。
「私も――」
「駄目だ。ここに居ろ」
「……」
心配だったので、付いて行きたい気持ちはあったが、足手纏いだと言われ、山小屋での待機を余儀なくされる。
二人を見送った後、一人で部屋の中へと戻り、暖炉の前にしゃがみ込んだ。
――もしも、このままリェン・ファが目覚めなかったらどうしよう……。
暖炉の火の光しかない薄暗い部屋の中で、不安が過ぎる。
ハイデアデルンで出会った少女、リェン・ファは不思議な娘だった。
こちらが酷く冷たい態度で接しても、時間が経てばコロリと忘れ、ラン・フォンに寄って来るという非常に太い神経を持ち合わせていたのだ。
皆、ラン・フォンには腫れ物を扱うように接してくるのに、彼女だけは違った。
ラン・フォンに向かって「手を繋ごう」とか「膝枕を貸してくれ」などと言えるのは、リェン・ファだけかもしれないとラン・フォンは考える。
そうお願いされるのは嫌じゃなかったが、どうしても素直になれなかったのだ。
彼女と接する機会が増えると、娘が居たらこんな感じなのかしら? とも考えるようになった。不思議な感情だったと振り返る。
ラン・フォンが素直になれないのは、元々の困った性格もあったが、何よりも、華族社会で馬鹿にされない為の虚栄心が災いしていたのだ。
堂々としていなければ、隙を突かれて関係の無いザン家まで笑いものにされる。
いざとなった時に、信じられるのは自分だけだ。
そんな長年にも及ぶ独り善がりな考えが、本当の自分を歪めていたのだった。
今更この折れ曲がった性根は治らないなと嘲笑いながら、溢れてくる涙を指先で拭った。
◇◇◇
ふと気がつけば、暖炉の火は消えて無くなりそうになっていた。
どうすれば元の大きさに戻るのかと考えるも、火を熾す方法が全く分からなかった。
今までは全て使用人がしてくれた。
髪を梳くのも、化粧も、着替えの準備や食事の配膳も、全て誰かがやってくれたのだ。
真っ暗になってしまった山小屋の中で、恐怖を覚える。
このままシン・ユーやリェン・ファが帰って来なかったらどうすればいいのか、と。
自分は何も出来ない。生活手段など何も知らない。
シン・ユーに見離されたらどうやって生きていけばいいのか。
三十七年生きてきて、今更ながらに空っぽな自分に気付く事となる。
この山小屋も国の管理下に置かれるだろうから、いずれは追い出される。一人になって、これからどうすればいいのかと考えたら震えが止まらなくなった。
結局、その夜は部屋の中が白い息が出る程に寒かったからか、将来を悲観していた不安感からか、一睡も出来ずに一晩が過ぎてしまった。
◇◇◇
早朝、ラン・フォンは、山小屋の切り株の上に座っていた。
外に居るのも部屋の中に居るのも、気温の変化が無いからだと自分に言い聞かせつつ、シン・ユーとリェン・ファの帰りを待っていたのだ。
日の出を待ちながら待機をすること数時間。
こちらへ向かってくる馬の影が、日の出前の薄暗く長い一本道に浮かび上がる。
ラン・フォンは、無意識のうちに走り出していた。
――リェン・ファは、リェン・ファは一緒なの!?
そう、叫びながら。
「――お義母さん!!」
馬上から元気良く振る手は、望んでいた娘のものだった。
「!!」
娘――リェン・ファはシン・ユーの手を借りて馬を降り、ラン・フォンに駆け寄る。
「お義母さん、ただいま」
「……」
元気そうな声を確認するや否や、ラン・フォンはリェン・ファから顔を背けた。眦から溢れ出ていたものを暗闇に紛れて誤魔化す為でもあった。
そんなラン・フォンの行動を気にも留めずに、リェン・ファは話を続ける。
「心配掛けてごめんなさい。もう、大丈夫だから」
聞きたかった言葉を耳にして、ラン・フォンはリェン・ファに背中を向けた。嗚咽を我慢しようとして、肩が微かに震えていた。
更に、こんな情けない姿を見られたくないという、見栄っ張りな心が、とんでもない発言に繋がってしまう。
「ぜ」
「ん? なに?」
「――ぜ、全然、あなたのことなんて、し、心配していなかったん、だから」
「……そ、そっか」
「……」
背後から突き刺さる、氷のような視線はシン・ユーのものだろうと分かっていた。
どうしてこのような発言をしてしまったのかは、ラン・フォンにも分からなかった。
「――!?」
そんなラン・フォンの手を、リェン・ファは突然握ってきた。一体何事かと、涙で濡れた頬を気にする余裕も無い状態で振り返る。
「わ、お義母さんの手、冷たい! 早く家に帰って昨日のお粥を温めて食べなきゃ!」
そう言うと、リェン・ファは山小屋の方角に走り去ってしまった。
その後姿を呆然と眺めていると、シン・ユーが馬を引きながら歩いてくる。
また怒られるのでは、と身を竦めていたが、息子から発せられた言葉は意外なものだった。
「――色々と、すまなかった」
「え?」
それだけ言うと、足早に山小屋の方へと歩き出してしまう。
シン・ユーの殊勝な態度に驚きつつ、ラン・フォンも山小屋へ戻る事となった。
◇◇◇
結局、ラン・フォンとシン・ユーの悪い病気は快方に向かわないまま、隠居先への旅は続いていた。
親子喧嘩が始まる度にリェン・ファは後頭部を押さえ、「ウッ、古傷が疼く!!」と言って二人を黙らせることに成功していた。
そんなラン・フォンが素直になる自分を思い出すのは、もう少し後のことになる。
それまで、リェン・ファの気苦労は絶えないのであった。
挿話・孤独な嵐風 完。




