47.一生に一度の、大告白
「――なんって事をしてくれたのよ!!」
義母の渾身の平手打ちが、シン・ユーの頬に見事に直撃する。叩かれた頬には手形がくっきりと残り、歯を敢えて食いしばらなかったのか、口の端からは血が滲み出ていた。
落ち着いて、座ってから話すように勧めるも、椅子も何もない所に座りたくないと義母は言うので、立ったままでの睨み合いとなっている。
二人の間であわあわしているだけの私も「お義母さん、さっきまで毛皮の上に座ってお粥食べていたじゃない」という気の利かない突っ込みは入れない。
一体、どうしてこうなったのだと頭を抱えるが、問題は簡単には解決しなかった。
◇◇◇
義母が目を覚ましたのは夕方だった。空腹状態だったのか、私の作った粥を黙って食べてくれた所までは良かったが、だんだんと状況が分かってきた義母は寝ているシン・ユーを起こして、説明を求めた。
お義母さん、このまま大人しく隠居先まで付いて来ないかな~と期待していたが、その願望はあっさりと崩れ去る。
シン・ユーとファン・シーンの謀反計画の話を聞いた義母は、見た事も無いほどに激昂した。何故、相談も無しに勝手なことをするのだと、シン・ユーを責める。
シン・ユーもこの時だけは殊勝な態度で反省をしている振りでもしていればいいものの、義母に負けない勢いで怒り始めたので、先ほどの一撃を喰らってしまったのだ。
――だ、駄目だ、この親子。
間に挟まれた状態の私はそう思ったが、勿論口に出して言える訳もなく、唇から血を流しているシン・ユーにそっと手巾を手渡す事しか出来なかった。
今回の件に関しては、シン・ユーは間違った事をしたとは思っていない。が、義母に何も相談もなく、行動を起こしたのはちょっと良くなかったかな、と思う。まあ、義母が、理解のあるご婦人だった場合のみ有効な作戦である、という注釈が付くが。
義母は石のように頭の固い頑固者だ。シン・ユーがいくら説明しても、謀反に関して理解して貰うのは難しかっただろう。
そう言った事情もあったので、義母に何の説明も無く行動を起こしたのは、ある意味正解なのかもしれない。
だが、その後のシン・ユーが駄目駄目だった。
正直に話せば義母が怒って手が付けられなくなることは分かっているのに、「謀反は自分が起こした」と言ってしまったのだ。
適当に、ファン・シーンに権力を笠にして脅されたとか、下町の反乱組織に「謀反を起こさないと家族諸共危害を加える」と脅迫されたとか、義母の納得する嘘も言えた筈だ。
なのに、シン・ユーはありのままの計画内容を義母に話したのだ。
――正直に生きるのもいいだろう。真面目に生きるのもいいだろう。それがシン・ユーの良い所であり、困ったというか、不器用な所でもある。
けれど、もう良い大人なのだから、義母の扱い位は覚えて欲しかった。
義母もシン・ユーもある意味似たもの同士なので、無理な話であることは見て取れたが。
依然として、二人は息つく暇も無く口論を続けている。
それを諌めるのは、残念ながら私しか居ない。
本日二度目の勇気を振り絞ってみる。
「これからどうやって暮らしていくのよ!! 仕事もお屋敷も無いなんて!!」
「家はある。仕事も探せばなんとかなるだろう」
「家ってこの山小屋みたいなものでしょう!?」
「まだ見ていないから分からない」
「まあ、下見もしていない場所に移り住めって言うの!?」
――凄い。ああ言えば、こう言う、みたいな。
息ぴったりの親子喧嘩に、私が突っ込みを入れる隙間は微塵たりとも無いように思える。感心している場合では無いので、二人に少しだけ近付いて、会話の間に入った。
「あ、あの~」
「なによ!!」
義母が怒っている最中の恐ろしい形相で、私に視線を向けた。
「ふ、二人とも、落ち着いてから、あ、あの、それで」
はっきりとしない私の態度に、義母の顔がどんどん険しくなってくる。
そして、何故か義母の怒りの砲火は私に向けられてしまったのだ。
「元はと言えば、シン・ユーが馬鹿な事をしようと思い至ったのは、あなたのせいじゃないの!?」
「!!」
シン・ユーが横から止めろと制止するが、義母の勢いは止まる事を知らない。
「あなたが後宮に呼ばれたから、あの子は気が狂って謀反なんか起こしちゃったのよ!!」
「そ、それは」
「おい、リェン・ファは関係ないだろう!!」
「まあ!!」
私を庇うような発言を聞いて、義母は目を丸くしていた。が、それも一瞬のことで、すぐに表情は怒りに変わる。
「あなた、さっきからこの子ばっかり庇うけれど、私とこの子、どっちが大事なのよ!!」
「何を言っている!」
「だって、その為に謀反を起こしたのでしょう!?」
「違う。これは前から計画していたことだ」
「嘘よ!! シン・ユーは、この子さえ居ればいいのね!?」
「そういうことは一言も言っていない!!」
わ~!! 止めて~!! 私の為に、喧嘩は止めて~!!
この言葉を頭に思い浮かべるのは、大華輪国に来てから何度目だろうか。……辛い。
とりあえず、どうにかして喧嘩は止めさせなければ。
そう決意した後の私の一言がいけないものだった。
「お義母さん、シン・ユーは、お義母さんが一番大事だから」
「あ、あなたに何が分かるのよ!! シン・ユーも、私の気持ちも知らないで!!」
「……ごめん、なさい」
「おい、止めろ」
「シン・ユーも黙っていて!! 何が【幸せを齎す異国の珍品】よ!! あなたが運んで来たのは不幸だわ!!」
「お、お義母さん」
「――だ、誰が、あなたの、お、お母さんよ!!」
その瞬間に義母は私に向かって片手を高く掲げる。
「わわ!」
「!!」
シン・ユーが動いたのと、私が動いたのは同時だった。
「――ッ、ああっ!!」
「!?」
「リェン・ファ!!」
後頭部に激しい衝撃。
義母の手は振り下ろされる前にシン・ユーが掴んでいたので、私には届かなかった。
では何故、こんなのも景色がぐるぐると回っているかと言えば、なんと、私は義母の攻撃から避ける為に、素早く回避行動をしたまでは良かったが、何故か部屋のど真ん中にある柱の角に頭を強打して、意識を失ってしまったのだった。
……む、無念、なり。
◇◇◇
目覚めれば、私は知らない部屋の寝台の上に俯せの状態で居た。
後頭部には冷たい何かが置かれている。
時刻は夜遅くだろうか。小さな角灯に照らされた壁は、全く見覚えが無い。
首を壁側から反対方向に向ければ、思いつめた顔をしたシン・ユーと目が合ってびっくりする。
「――う、うわ!!」
「リェン・ファ!!」
目覚めたばかりの私に、シン・ユーは椅子から立ち上がって大丈夫か、痛い所は無いかと続け様に質問してきたが、起き抜けの働かない頭では「お、おお……」しか言えなかった。だが、シン・ユーはその返事で満足したようで、椅子に座りなおしてため息を吐いていた。
ここは近くの街の診療所で、倒れた私をシン・ユーが連れて来てくれたらしい。馬も何も無いので、私を背負ってここまで来てくれたのだろうか。だとしたら、申し訳が無い。
「シン・ユー、大丈夫? 顔、疲れているよ」
シン・ユーは酷い顔をしていた。義母と喧嘩をして、精神的に追い詰められてしまったのか。
私の言葉にシン・ユーは心配ないと掠れた声で呟く。全く説得力の無い一言だった。
「ここに来てから、ずっと考えていた」
「?」
「リェン・ファ、お前はハイデアデルンに帰った方がいい」
「!!」
突然の離縁宣言に私は言葉を失う。どういうことかと起き上がって話を聞こうとしたが、シン・ユーに寝ていろと背中を押されてしまった。
「……」
「……」
長い長い沈黙が、部屋の中を支配する。
だが、納得のいかなかった私は、疑問を声に出す。
「ど、どうして、そういうこと、言うの? 私のこと、嫌いになった?」
震える声で問い質しても、顔を背けるシン・ユーから答えを聞きだすことは出来ない。
「シン・ユー」
私は起き上がって、シン・ユーの膝の上で握り締めていた手を取った。
名前を呼んで交わった視線は、逸らされることなく、私を見つめ返す。その、黒い目には迷いがあるように揺らめいて見えた。
「納得する答えを聞かせて。じゃないと離さない」
私はぎゅっと口を閉ざしたシン・ユーの手の上に自らの手を重ねた状態で、必死に揺さぶりを掛ける。寝台の上に正座は疲れるので、足をぷらんと床に向かって伸ばして寝台の端の位置に座れば、こちらを見つめる怖い顔の人と距離が近付いてしまった。
だが、怖い顔に負ける訳にはいかない。そう、自分を奮い立たせながら、じっと顔を見つめ返す。
そんな私の威圧的な態度に負けたのか(?)シン・ユーはポツリ、ポツリと語り始めた。
「……この先、また母がリェン・ファに手を上げるような事があれば、俺は、母親を見捨てるかもしれない」
「え!?」
「また、母がお前に暴力を振るおうとしたら、縁を切ると思う」
「な、それ、は、どうして?」
「これから先、常に二人の傍に居て監視することは不可能だ。それに、その場に居ても、先ほどのような事故に繋がる場合だってある」
「!!」
「世間知らずな母親を、見捨てることなんて、あってはならないことだ。だから――」
「……」
確かに、この先義母が私に噛み付いて来ることもあるかもしれない。前にも手を上げることはあったが、その手が振り下ろされたことは一度もなかった。それに、義母の癇癪はいつものことなので、私は気にしていない。が、シン・ユーは違うと言う。
「もう、リェン・ファが責められるのを見たくない」
「シン・ユー、私、平気だよ。今回だって、私がドジだったから」
「無理だ。母の言葉を聞いただろう? お前は幸福を呼び寄せる存在では無かったと。それに、これから先、付いて来ても苦労をするだけだ」
「そんなの、してみないと分からないよ!」
「……」
シン・ユーは軍の見習い期間に一通り生活する為の知恵を教わったという。だから、義母と二人でも何とかなると言った。
「シン・ユー、聞いて! あのね、お義母さんは今、混乱しているの。普通の状態じゃないの!」
大切なモノを失ったとき、人は心身喪失状態になる。
私も、六年前に母親を喪った時そうだった。
食事も喉に通らなくなって、心配する父親に「お父さんが居なくなればよかったのに!!」と当り散らしたこともあった。
今思い出すと父に申し訳なくって、胸が苦しくなる。
大切なものを突然失くしてしまえば、心の傷として残り、開いた穴を何かで塞ごうとして、でも、出来なくて、思い通りにならない鬱憤を怒りとして吐き出すこともある。
それ程に、何かを失うというのは悲しいことなのだ。
義母にとってザン家とは、誇りであり、シン・ユーのお父さんが必死になって守り、そして自らも守ってきた、掛け替えの無い大切なモノなのだ。
それが、ある日突然無くなりましたから納得して下さいと言われても、すんなりと受け入れるのは難しい話だろう。
「何かを失った時に出来る傷は一生治らない。思い出しては悲しくって、忘れてもまた思い出してしまう。……でも、時間が経てば、人はまた前を向くことが出来る。誰かに支えてもらって、その悲しさと付き合えるようになるの」
「……」
「私は、お義母さんが本当は優しい人だって事を知っている。だから、何を言われても平気。いつも、心にもないことを言っているって、分かっているよ」
「だが!」
「それに、掃除も、洗濯も、炊事も、あんまり得意じゃないけれど、ハイデアデルンでは毎日していたの。だから、私に任せて」
「……」
シン・ユーは、交わっていた目を伏せ、私から視線を逸らす。
だが、私は逃すまいとその頬を両手で掴んで、無理矢理前を向かせた。
驚いた顔を見せるシン・ユーに、私は慕う心の全てを言葉にしてぶつける。
「――どんな状況でも、幸せになれる方法を私は知っている。だから、一緒に連れて行って」
私は、母が父を口説き落とした言葉を口にした。
気が弱そうに見えて、実は頑固な父を陥落させた、とっておきの台詞だ。
母は結婚を渋る父にこの言葉を何度も言ったと話していた。
だから、私も何度だって言おうと思う。
この頑固者が頷く瞬間まで。
「シン・ユー」
「……どうして、いう事を聞かない、んだ」
「私も、結構頑固なんだと思う。だから、今日はシン・ユーが折れて」
「……」
シン・ユーの黒い目が、今まで見た事のないような光彩を放つ。
その顔を見てはいけない気がして、私は頬から手を離し、寝台から下りて、片手で潤んだ目を覆うシン・ユーの体を抱き締めた。




