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没落令嬢の異国結婚録  作者: 江本マシメサ
三章【満天の星空が見える森でのご隠居生活】

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46.休息を

 全てが終わった今、私達、というか、シン・ユーに必要なのは休養だ。

 なのに、当の本人は難しい顔をしながら地図を眺めている。


 今日はこの山小屋で一晩過ごし、明日からとある地方の山奥へ移動を始めるという。

 シン・ユーはその移動の為の道順を調べているのだろう。


 この山小屋の裏にはお風呂があった。湯でも浸かって疲れを取って貰おうと思い、暖炉の中の火の付いた薪を火鋏で掴んで外に出る。


 風呂小屋には石で出来た洗面台と、鋳鉄製の風呂釜がある。洗髪剤や石鹸、タオルなども揃っており、あとは湯を張るだけとなっていた。


 水は井戸から持って来て、半分位まで入れたら、外にむき出しになっている竈に薪を入れて、鉄の皿の上に置いていた火種を放り込む。


 空洞になった竹筒で火に息を吹きかけ、火種を大きくしてからしばらくは放置だ。


 一仕事が終わり、誰も見ていないと思って袖で額の汗を拭っていると、背後から名前を呼ばれて、口から心臓が飛び出る思いをしてしまう。気配も無く近づいて来た犯人は勿論シン・ユーだ。


「何をしている」

「お、お風呂沸かしてたの」

「居なくなる時は言ってから行け」

「ご、ごめん」


 私が居なくなったのも分からない位に集中していたのだろうか。それとも寝不足で注意散漫になっているのか。


 どちらにせよ、お湯にゆっくり浸かって十分な休養を取らなければならない。


 シン・ユーの疲れた表情に、顔の傷と青痣が痛々しい。


 傷に効く薬草や、薬湯の素でもあれば良かったが、流石にそこまでの準備はされていなかった。


 あと、私に出来る事と言えば食事を作る位だ。シン・ユーがお風呂に入っている間にお粥を準備しようと考える。


「お風呂、もう少し掛かるよ」

「そうか」


 小さな竈だったので、どうしても時間が掛かってしまうのだ。ハイデアデルンにあった風呂に似ていたので、良く分かる。

 こういう時、実家が貧乏で良かったと思う。私が普通のお嬢様だったら、お風呂の沸かし方も知らなかっただろう。


 そして、先ほどから少しだけ気になっていたことも、勇気を出して言ってみる。


「ねえ、シン・ユー。髪の毛、少し切った方がいいかも」


 三つ編みが無くなったシン・ユーの髪の毛は、縦横関係なく跳ね広がっており、纏まりの無いものとなっていた。元からシン・ユーの髪は外側にぴょこんと跳ねていたが、武官の雑な切り方が悪かったのか、襟足がブツ切りになっていて酷い感じになっている。


「ちょっとだけ揃えてもいい?」

「ああ、頼む」


 嫌な顔をするかと思って恐る恐る聞いたのに、案外すんなりと承諾をしてくれた。


 鋏が無かったので、剃刀で切る事となる。

 少し前まで父親の髪を切っていたので、なんとかなるだろうと思っていたが、少々事情が違っていた。


 柔らかい中年の薄毛と、若い青年の髪は全然違う。

 それに加えてシン・ユーは癖毛だったので、更に苦戦を強いられた。どう頑張っても左右対称にならず、髪の毛はどんどん短くなっていく。


 とりあえず後ろと揉み上げの髪は放置して、前髪を切ろうと回り込んだ。


「――ご、ごめん、シン・ユー。目、閉じて」


 前に回りこんだ私を、シン・ユーは目を逸らすことなく注視していたので、見ないでくれとお願いをする。


 何だかじっと見つめられていると、背筋がぞわぞわするのだ。


 シン・ユーが素直に目を閉じてくれたので、作業を再開する。


 前髪は目に掛かっていたのがずっと気になっていたので、遠慮なくザクザクと切っていく。

 仕上げに正面から見た状態で髪を梳いていき、ちょっとだけ気になる部位はあったものの、これ以上悪化させてはいけないと思って切るのを止めた。


「……終わった、かな?」

「……」


 瞼を見開いたシン・ユーは、目を合わせようとしない私に訝しげな視線を送る。


「わ、わあ、男前になったなあ」

「……」


 私の白々しい言葉に、シン・ユーは眉を顰めていた。


「……こんな、素敵な人、見た事なーい」

「……」


 まあ、何と言えばいいのか。失敗、では無いと思われる。多分。


 今まで鬱陶しい感じに顔に掛かっていた髪の毛が無くなって、逆に若々しくなったように見える。


 今までが、ザン=シン・ユー(二十九歳)だったのが、今は、ザン=シン・ユー(二十五歳)位まで若返ったようだ。


 ……あ、あれ、シン・ユーって幾つだったっけ? 私の四つ上だから、二十一歳、かな?


 もう少し表情を柔らかくしたら、ザン=シン・ユー(二十一歳)になれるかもしれない。


 そして、風呂場の鏡で自分の髪型を確認して、不機嫌になりませんようにと心から願った。


 ◇◇◇


 シン・ユーがお風呂に入っている間に、食事の準備を行う。


 前回来た時と同じように、管理人さんが来ていたからか、食材は豊富にあった。


 シン・ユーは何だかバテているように見えたので、あっさり目の味付けの粥を作る。


 今回は鳥の骨で出汁を取らずに、魚の身を乾燥させたあと、粉末状にしたもので出汁を取った。

 味をこってりさせないために、お肉は入れない。新鮮な野菜と薬味をたっぷり入れて、強火で煮込む。


 粥を沸騰させている間に、義母の具合を確認することにした。

 山小屋には仮眠用の薄い布団しかなかったが、そんなことを気にする余裕も無かったようで、部屋の端っこでぐっすりと眠っている。


 多分、よく眠って頭がすっきりなったら、大変な事態になりそうだなと戦慄しながらも、とりあえず穏やかな寝顔をしているので安心出来た。


 そんな感じに時間を潰していると、風呂から上がってきたシン・ユーが部屋に戻ってくる。


 髪型に不満は無いようで、特別不機嫌な顔は見せていなかった。


 ◇◇◇


 野菜と薬味の粥を食べながら、これからの予定を話す。


「今日は一晩ここで過ごし、明日から移動を始める」


 私達が行くのは、ここから馬車で五日掛かる慈江という街の近くにある森だという。

 森の奥地にはこの山小屋と似たような家があり、そこに三年から五年位隠れ住むことになるようだ。

 その場所は最近まで人が住んでいた所で、生活に必要なものは揃っているらしい。なんでも王族の娘さん達が、国王の魔の手から逃れる為に隠居をしていたとか。


「商人も三日に一度訪れるようになっている。必要な品があれば、頼めば買って来てくれるという」

「そっか」


 森の麓にある街にはなるべく近付かないようにしなければならない。特に、大華輪国には存在しない、金髪碧眼の目立つ容姿をしている私が居ることが露見すれば、隠れ住む意味が無くなるだろう。


「稼ぎについては、街で依頼が出る害獣退治が中心になるだろう」

「……」


 う、うーん。害獣退治か。


 シン・ユーの体のことを考えると、諸手を挙げて喜べる仕事ではない。他に体力を使わないで出来る仕事があればいいのだが。


「まあ、これは行ってみないと分からないがな」

「……うん」


 この先は考えれば考える程、不安要素は山積みだが、それでも、シン・ユーの顔は穏やかだ。


 きっと、長年背負っていた、様々な重荷から解放されたからだろう。


 山小屋の管理人は、私達の急な移動の為に馬車を用意してくれるらしい。翌日、それが届き次第の出発だという。


「何か必要な品があれば伝書鳥を管理人に放って頼めるが」

「ううん。何もない」


 最低限の着替えや生活に必要な消耗品、保存食などはここにあったし、化粧品などは必要ない。義母はどうだろうかと心配していると、それを聞いていたら破産するから止めておけと制止された。


「シン・ユーも少し寝た方がいいよ。火の番は私がしているから」


 近くにあった毛皮をくるくると折り畳み、簡易的な枕のようなものを作って差し出す。

 布団は一組しかないので、自分達は薄い絨毯の上でごろ寝をするしかないのだ。


 私の言葉を素直に聞いて眠ってくれたシン・ユーを眺めながら――やっぱ、髪の毛切りすぎたわ、と一人反省をする事となった。


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