43.仕事の早いシン・ユー。その参
薄暗い通路を通り抜けて、梯子を上がって出た先は、下町の近くにある大井戸だった。木々が生い茂るこの場所は、広い範囲を柵で囲み、常に閉鎖されている。井戸のように見せかけて、実は隠し通路の出口という仕様なので、人が近づけないようにしているらしい。
外は雪が積もっていて、冷たい風が吹き荒れている。
華族街の方を見れば、その周囲は赤く染まっていた。ザン家だけでなく、他の家にも火が放たれているのだろうか。見ていると、なんとも言えない感情が胸を締め付ける。
「お義母さん、大丈夫?」
「……」
寝間着に上着を着ただけの姿では寒いのだろう。支える義母の背中は微かに震えている。私は意外と平気だったので、上に着ていたものを脱いで掛けようとしたが、シン・ユーに止められてしまった。
「そのままでいろ」
「で、でも、お義母さんが」
「……」
シン・ユーは背中に担いでいたシートゥー・ムーを雑に下し、無言で自分の着ていた黒い外套を脱ぐと、雪の上に力なくしゃがみ込む義母に掛ける。ついでに俯せに置いていたシートゥー・ムーを息が出来るように足先で裏返していた。
「シン・ユー、これからどうするの?」
「もうすぐ迎えが来るから」
「迎え?」
そう言いながら、シン・ユーはまたシートゥー・ムーの体を足先で乱暴に裏返していた。いや、両面焼きじゃないのだから、と思ったが、もしかしたら凍傷にならない為の対策なのかもしれない。だが、流石に俯せでは息ができないので、顔を横に向けてやった。
そして、シートゥー・ムーを雪の上で転がしつつ、暇を潰すこと数分、背後から聞いたことのある声がして振り返った。
「すみません、遅くなりました」
「リー・リン!!」
迎えの者とはリー・リンだった。しかし、一体何故!?
「ど、どうして、リー・リンがここに!?」
「事情は後で説明します」
他にも人が何人か来ているようで、シートゥ・ムーは大きな袋に詰められて、荷台の上に置かれ、義母は大柄な女性が抱きかかえていた。
手際のいい仕事振りに感心していると、
「リェン・ファさん、離れないように付いて来て下さい」
「!!」
「……なんですか?」
「名前、は、初めて名前、呼んでくれたから」
「……」
リー・リンは私のことをずっと「奥様」と呼んでいた。今は雇用状態ではないので、名前の方で呼んだだけかもしれないが、何だか嬉しかった。
「リー・リン、手、繋ぐ?」
「嫌です。ザンさんの空いている手でも握っていて下さい」
名前を呼んでくれたと思って、調子に乗ったらこれだ。本日も釣果無しである。
義母もリー・リンも簡単に釣り上げることは出来ないのだ。
◇◇◇
連れて来られたのはリー・リンのお兄さんが代表を務める商会の、出来たばかりの製菓工場だった。
具合が悪そうにしていた義母は従業員用の寝室に連れて行かれ、しばらく休ませるとリー・リンが言っていた。私も服を渡され、寝間着姿から着替える。
丁寧に袋詰めされたシートゥー・ムーは袋から取り出され、冷たい石の地面の上に放置されている。ちょっと可哀想に思ったので、その辺にあった新聞紙を優しく掛けてやった。
白目を剥いて横たわるおっさん(※一応生きている。一回目覚めたので、薬で眠らせているらしい)の、シン・ユーに殴られた背中は大丈夫かと考えていたら、突然何者かに背後から手を取られて連れ去られてしまった。
「な、なにかな?」
「……」
私の手を握り締めているのはシン・ユーで、休憩用にと貸してくれた個室で二人、黙り込んだまま気まずい時間が流れる。何か不満があったからか、表情は不機嫌そのものだ。
占い師のおっさんから助けてくれた件についてはきちんとお礼を言った。もしかして下が寝間着姿だったのに、上着を脱いで義母に着せようとしていたことを怒っているのだろうか。確かに、緊急事態とはいえ、寝間着で外をうろつくのは良くない。
「ご、ごめんなさい」
何だかよく分からないが、怒りが治まればと思って謝ってみる。
「……いや、リェン・ファは悪くない」
な、何だソレ。どういう意味でシン・ユーはそんなに穏やかではない顔をしているのか。
「……」
「……」
……いや、違う。きっと私が鈍すぎて状況を分かっていないだけだ。
ちょっと考えても分からなかったので、自分がしでかした、少し前の行動を振り返ってみることにした。
えーっと、私は先ほどまでシートゥー・ムーが安らかに眠れるように、そっと新聞紙を掛けていた。そして、背後から無言で殴打された場所の心配をする。
……うん、これだ。
私は自分を襲った男の世話を焼いて、挙句心配までしていたのだ。助けた人からしたら、裏切りの行為に見えただろう。
私だってあのおっさんのことは割りとどうでもいい。だが、目に見える、ちょっと酷い場所に放置されていたから、つい気になってしまったのだ。
「……ごめんなさい。私、気が利かなくって、馬鹿なことばかりしてる」
シン・ユーはそんなことはないと否定してくれたが、頭の中身が足りないことは自分でも分かっている。だから、何か気になることがあれば言って欲しいとお願いした。
「リェン・ファ」
「は、はい?」
「全てが終わってから言おうと思っていたが、今すぐにでも言って欲しいみたいだから、話しておく」
「え?」
なんだ、その前置きは。何だか聞いてはいけない話な気がする。
「お前が言っていた金の話だ」
「……」
……やっぱり。
国王が崩御して、私の後宮行きは無くなってしまった。だから、罪悪感を背負ったままの私はこれからどうすればいいのかというのを、頭の隅に追いやっていたのだ。
「そのお金は気にしなくていいと言っても聞かないのだろうな」
「……」
「だったら、一千万金を二人で稼いで国に返そう」
「え?」
「華族制度は廃止になる。ザン家の財産はすべて没収されるだろう。……リェン・ファに渡した金も、元はザン家の財産だ。だから、頑張って、一緒に貯めて、返せばいい」
「そ、そんなの、シン・ユーも、大変、なのに」
「リェン・ファの気が治まるのなら、何の問題ではない」
「……」
信じがたい話を聞いて、呆然と立ち尽くす私の前に、シン・ユーは忠誠を誓う騎士のように片膝を付いて座る。
「この先、王都からも出て行かなければならなくなるだろう。今までのような贅沢な暮らしも出来ない。気難しい母も居る。それでも良かったら、リェン・ファ、一緒に来てくれないか?」
「!!」
まるで求婚をされているような言葉に、頬が熱くなるのを感じていた。
お金のことも、私が気にしない為に、一緒に貯めてくれると言ってくれた。嬉しい。
けれど――。
「……ありがとう。でも、せっかく【幸せになれる珍品】として来たのに、みんなを不幸にしてしまった。そんな私が着いて行っても、また同じように不幸になったり、するかもしれない。だから……」
「何を言っている?」
「だって、家は燃えちゃったし、お義母さんは気落ちして元気なくなってしまったし、シン・ユーだって」
シン・ユーは屋内なのに、鼻と口を覆う黒い布を取ろうとしなかった。でも、布から少しだけ青い内出血しているような跡が見えている。きっと布の下は酷いことになっている筈だ。
この部屋に入ってからすぐに気付いていたのだが、自分のせいでこうなったのではと考えて、怖くなって触れることが出来なかったのだ。
「ザン家を護る、仙女様は諦めて、しまったんだね」
「――違う!! 今は、仙女との約束を守っている。だから、きっと、この先も幸せになれる!!」
違和感を覚えて、しばし沈黙をする。が、シン・ユーの熱い視線に耐えきれなくなって、口を開いた。
「……あ、あれ? シン・ユー、仙女様の話を、知っているの?」
「先ほど聞いた」
「……ん?」
「お前と占い師の話は最初から聞いていた」
「!?」
シン・ユーが屋敷に帰った時、偶然私の名前を呼んで走り回るシートゥー・ムーと遭遇したらしい。
「一体、リェン・ファに何用だと思って付いて行けば、ザン家の魔の手から助けてやると、二人で仲良く暮らそうと叫びながら走り回っていたのだ」
馬鹿だ、あのおっさん。他にも金品を狙って忍び込んでいたならず者も居ただろうに、なんという危険な行動をしていたのか。
「あの占い師を、闇に乗じて仕留めようと思っていたが、奴は運が悪かったのか、良かったのか、隠し部屋まで辿り着いてしまって……」
何だがコロス的な穏やかでない言葉が聞こえた気がするが、多分幻聴だろう。私もきっと疲れているのだ。
まあ、そんな偶然もあって、シン・ユーは占い師のインチキ話から、蓮華仙女様の話、失った髪の毛の話まで全て聞いていたのだという。
シン・ユーも、残された本などでこの家を蓮の華の仙女が護っている謂われは知っていたが、代々伝わっていた伝承などは詳しくは知らなかったらしい。
一族に伝わる口伝は、祖父の代が子供に聞かせなかった為に、潰えてしまったと。
なので、蓮華仙女との【蓮の華を愛するように】という約束は知らなかったという。
「今、していることは、国の為でもあるが、一番は自分や家族が幸せになる為にしていることなのだ」
「……でも」
「俺は、蓮の花を愛している。それを手放すつもりはない」
「そっか」
「……」
シン・ユーがそんなにレンの花が好きだとは知らなかった。市場で私がレンの花の箸置きを買った時は「面白い花だ」と言って鼻で笑っていたような気がするが、どういう心境の変化だろうか。
「じゃあ、これからも、レンの花を大事に」
「リェン・ファ」
「なに?」
「もしや、お前は自分の名前の意味を知らないのではないか?」
「意味?」
リェン・ファという名前に意味があることは知らなかった。文字に花がついているというのは知っているが、文字で書いた蓮はどういう意味があるのかまでは知らなかったのだ。
「……蓮の現代読みはレン、だ」
「へえ」
「そして、レンの花のレンを古代読みにすると、リェンになる」
「!!」
知らなかった。私の名前はレンの花という意味だったのだ。レンの字を知らなくて、音で覚えていたので、この二つが繋がっていることに今まで気が付かなかったのだ。
と、いうことは、シン・ユーの愛する蓮の華というのは……。
「お前が、名前の意味を重荷に思わないように、言わなかったのだが」
「ご、ごめん」
レンの花は大好きだったが、他に覚える事が多すぎて、優雅に花の名前を調べる余裕など無かったのだ。
「気付いているな?」
「え?」
「恍けるな、と言っている」
「……」
「もっと、分かりやすく言えばいいのか?」
「ま、待って、大丈夫、理解した。う、嬉し~!」
「……」
シン・ユーはため息を吐くと、立ち上がる。
「あ、あの、まだ、頭の中がぐちゃぐちゃで」
「みたいだな」
「もう少し時間が経ったら、落ち着くと思う」
「分かった。また後で話そう」
そう呆れたように言うと、シートゥー・ムーを連行しに行くと説明すると、出掛けてしまった。
シン・ユーが居なくなった途端に不安が押し寄せてくる。一人で居るのは心細かったので、眠る義母の傍で待っていると、部屋の外が急に騒がしいものとなる。
「ちょっと!! 止めて下さい。その先は誰も居ません!!」
「うるせえ!!」
荒々しい男の声と制止するリー・リン。
一体何が起こっているのだと、ドクドクと鼓動の激しくなった胸を押さえつつ、出入り口に近付こうとすれば、その扉は荒々しく開かれた。
「やっぱりここに居たか!!」
「!?」
「――ザン=ラン・フォン、ザン=リェン・ファ、両名を国王の名の下に連行する」
「!?」
入ってきた武官達にあっさりと捕らえられた私と義母は、両手足を拘束されて、罪人のように連行されてしまった。




