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没落令嬢の異国結婚録  作者: 江本マシメサ
二章【星に導かれて】

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41.仕事の早いシン・ユー。その壱

 シン・ユーが帰ってきたのは日付が変わって二時間程経ってからだった。疲れている所に話があると言うのは、本当に申し訳ないと思っていたが、国王からの勅令が書かれた手紙を預かっているので、後回しにする訳にもいかなかった。


 帰宅をしてすぐに居間に来てくれたシン・ユーの姿は、酷く薄汚れていた。今まで何をしていたかとは怖くて聞けない。


「何用だ。帰りを待つなと言っていた筈だろう」

「う、うん。ごめんね。あの、ファン・シーンから手紙を預かっていて……」

「フゥァン・シィァンが来たのか!?」

「お、お昼に、少しだけ」

「……」


 ファン・シーンはどうやらシン・ユーの了解無しに来ていたようだ。部屋に入ってきた時から不機嫌だったシン・ユーの顔が、殊更厳しいものとなる。


「それで、手紙を預かっていて」

「手紙?」


 ファン・シーンから預かっていた国王からの手紙を差し出す。

 その王家の家紋付きの手紙を手に取って目を見開き、裏の署名を見て更に驚いていた。


 シン・ユーは手紙を開封し、何度も何度も目で追って読み返している。


 内容は私が貰ったものと同じだと言っていた。なので、そちらの手紙にも、私を後宮へ献上しろと書いてある筈だ。


 帰ってくるまで考えていたことを、言わなければならないのに、唇が震えて上手く言葉が出てこない。


 シン・ユーは手紙を怖い顔で見つめていたままだ。


 久々に会うシン・ユーは、顔色も悪く、目の下の隈に加え、白目も充血しているという不健康な状態だった。また、何か心配事があって眠れていないのかもしれない。


 私の事でこれ以上付き合って貰うのは申し訳ない。


 だから、早く言わなければ。


「シンユ……」


 名前を呼ぼうとしたら、シン・ユーの視線がこちらに移ってきたので、言葉に詰まってしまう。


 きちんとしなければ。手のひらを握り締めて、自らを奮い立たせる。


 シン・ユーの名前も正しく呼ばなければならない。

 もう、とっくの昔に綺麗に発音出来ていたのに、何だか恥かしくって口に出来なかったのだ。


「シン・ユー、その、今までありがとう」

「何を、言っている?」


 シン・ユーは眉間に皺を寄せ、低い声で問い掛ける。


 ここで負けてはいけない。


「明日、日付的にはもう今日なんだけど、会えるのは最後かもしれないから、お礼を言いたかったの」

「だから、お前は何を言っているのだ!?」


 吸い込まれそうな程に深い黒の瞳が、責めるように突き刺さる。


「私は、王様の後宮に行く事になったから」

「行くな。行く必要などない!!」


 やっぱり、シン・ユーは優しいから、そう言ってくれると思っていた。


 でも、もう決めたのだ。私はここを出て行くと。


「シン・ユー、ありがとう。でも王様の命令だから」

「違う! 今回の勅令は嫌がらせに決まっている!」

「……」

「一週間前、国王の命令に背く行為をしたから、その腹癒せをしてきただけだ」


 シン・ユーが国王に背くことになった本当の理由――誘拐された私を助けに行った為だという話はしなかった。

 でも、私はファン・シーンから理由を聞いていたので、シン・ユーの気遣いも返って辛くなる。


「お前は、この前後宮を見てきただろう!? 生気の無い寵姫達を見て、何も思わなかったのか!?」

「……」


 さっきまで眠気を一生懸命噛み殺していたのに、怒られているうちにどこかへ吹っ飛んでしまった。眠気をも散らしてしまうシン・ユーの迫力は本当に凄いと思う。


 ……いや、ふざけている場合ではないのだ。それに、一番大切な事をまだ言えてない。


「シン・ユー」

「……」

「シン・ユー、あのね、怒らないで、聞いて欲しいんだけ、ど」


 息苦しい気がして、一度大きく息を吸い込む。それでも足りなくってもう一度深呼吸をするが、どれだけ吸い込んでも何故か苦しいままだった。


「リェン・ファ?」


 明らかに様子のおかしくなった私をシン・ユーが訝しげに見つめる。


 早く、この吸い込まれそうな黒い目から逃れたいと思い、勇気を振り絞って言うことにした。


「シン・ユー、私、ラン・フォンお義母さんに、お金で買われてここに来たの」

「は?」


 私は自分に金額を付けた。なんという浅ましい者なのだろうかと、何度も自分を責めていた。


 どんなに食事が美味しくても、どんなに周りの人たちが優しくても、夜、一人になれば辛くなるのだ。


 私と彼らを繋げたのは、自分の都合で提案をした大金だと。


 シン・ユーにこの事実を黙っていたのも心に引っ掛かっていた。だから、今日、最後に言えて良かった。

 大華輪国に来てからというもの、色々と自分の感情を偽ってきたが、これだけは本当の気持ちだと言える。


「もしや母が言っていた一千万ジンの事を言っているのか?」

「そう」

「あれは結納金だと言っていた。結婚が決まってからハイデアデルンに送ったと」


 シン・ユーに義母がお金の事を話したのは、結婚が決まってからだと言っていた。まさか国を出る前に渡していたとは、思ってもいなかったのだろう。


「お金は、ハイデアデルンを出る前に貰ったの。どうしてもお金が必要だったから」


 シン・ユーは私の語る事実を聞いて言葉を失っている。無理もないだろう。私のことは義母が拾って来た家なし娘だと信じて疑わなかったのだから。


 お金を貰って身を売るという行為の重さを本当に分かっていなかったから、軽い覚悟でいたから、今、このように絶望をしているのだろう。


 だからと言ってシン・ユーに助けを求めるつもりはない。

 私は、この罪の意識を自分の力で払拭しなければならないのだ。


「お前は、前に占い師の養子にならないかと言われた時にもあっさり付いて行こうとしていたな」

「……」

「お金がそんなに大事なのか!?」

「そう、思ってくれても構わないよ」

「!?」


 もう、いっその事嫌われた方がマシだ。シン・ユーの行動や言動の一つ一つに期待をして、でも、それは勘違いだと自分に言い聞かせるのにも疲れてしまった。


 本当は気付いていたのだ。私の心の中をじんわりと温かくする感情の正体を。


 シン・ユーが、何故こんなにも怒っているのかも分かっている。

 感じていた好意を無理矢理別のものに置き換えて、それで納得するように思い込んでいたが、それも無駄に終わる。


 誘拐されたあの日、捨て身で助けに来てくれたシン・ユーを見て、もう、気持ちを誤魔化したり、見ない振りをするのは不可能だと悟ったのだ。


 普通に出逢って恋に落ちていたらどんなに良かったか。

 いきなり結婚とかじゃなくって、普通に接し合う中で、私を気に入ってくれて妻にと乞われたらどんなに幸せだったか。


 そんなことを夢見ても、それは絶対にありえない事だと分かっている。


 私とシン・ユーは別々の国で生まれて育った。付き合いの無い国同士で、二人が偶然に出会うことなど絶対に無理な話だ。


 その、不可能を可能にしたのが、お金だという皮肉。


 両親がくれた命に、大した決意も無いまま、どうにかなるだろうと軽がるしく値段を付けた自分を一生許せないだろう。


 そんな私がザン家の一員として、のうのうと暮らしていい訳が無いのだ。


 寵姫になれば、ザン家の為に役立てるかもしれない。

 後宮に招かれるというのは、とても光栄なことなのだ。


 それが、私の考えた罪滅ぼしだった。


「――私は、お金が一番大事。後宮に行けば、美味しいものも、沢山食べられるし、とてもいい生活が、出来るって」


 私の言葉を遮るように、シン・ユーは机を拳で叩き付ける。


「何故、嘘を吐く!? 何故、いい訳をしない!?」

「嘘、じゃないよ。本当のこと。私、捨てられるのが嫌だったから、いい子、の振りを、していたの。シン・ユーが怖かったから、言う事もよく聞いていたの」


 シン・ユーは机の上に放り出されていた手紙を握り潰しながら、こちらを睨みつけるが、私も負けない。


「心にも無いことを言ったこっちの身にもなってみろ」

「……」

「お前の呆れる位の善良さは、よく理解しているつもりだ」

「!!」

「それに、泣きそうな顔と震える声で言われても、説得力は無い」

「……」


 駄目だ、失敗をしてしまった。

 元からシン・ユーを騙せる訳が無いのだ。


「ごめんなさい」


 けれど、私の気持ちは揺るがない。


 嫌われるのには失敗をしてしまったが、私のすべきことは決まっている。


「私は、自分で自分が許せないから、後宮に行く。それで、いつか、自分を許せるようになったら、ザン家のリェン・ファだったってことを誇りに思って、胸を張って生きていきたい」


 きちんと、シン・ユーの顔を見て言えたので、ほっとしたような気分になる。肩の荷が下りたというのはこういうことを言うのかもしれない。


 それからシン・ユーは、私の言葉に返事もしないで、部屋から出て行ってしまった。


 もう、姿を見るのは最後かもしれない。でも、仕方がないのだ。


 私も自室に帰って就寝しようとしたが、気が昂ぶっているからか、明け方まで眠ることは出来なかった。


 翌日はメイ・ニャオの手を借りて、後宮へ行く準備をした。


 途中で義母が沢山の華服を用意して持って来てくれた。


 なんでも私の為に用意してくれたのではなく、ザン家の者が後宮へ行くのに、みすぼらしい姿では恥になるからと、目も合わせないで言ってきた。


 義母は最後まで素直じゃなかったのである。


 シン・ユーに貰った蓮の箸置きや鳥の置物は置いていくことにした。多分、持っていたら楽しかった思い出が蘇って辛くなるからだ。

 指輪もどうにかならないのかと頭を悩ませていたが、城には呪い師が居ると聞いたので、相談してみようと思い、とりあえず今は諦めることにした。


 ザン家での最後の晩、やはり、というか、シン・ユーはまだ帰って来ていない。現在の時刻は日付も変わる前だ。迷惑かもとは思ったが、一番お世話になったし別れの一言でも、と待ってはいたものの、二日連続での夜更かしは流石にキツいものがある。


 居間で一人、船の櫂を漕いでいると、部屋に誰かが慌てて入って来る物音で眼が覚めた。


「!!」

「ああ、奥様、こちらにいらっしゃいましたか!! 寝室にいらっしゃらなかったので、肝が冷えましたよ」

「あ、ごめんね」


 今日は何故か夜勤の使用人がシャン・シャしか居らず、色々忙しそうにしていたので、声を掛けられなかったのだ。


「どうしたの?」

「それが、こちらが街で大量に配布されておりまして……」


 シャン・シャは一枚の紙を手渡してくる。


「――え?」


 それは、国王の崩御が書かれた記事だった。


 ◇◇◇


 一体、どういうことなのだろうか!?


 その活版印刷された紙には、国王の崩御と共に国家占い師ウェイ・ウーが何者かによって、街の広場で公開処刑されたことも記されている。


 シン・ユーが帰ってきていない訳。

 使用人がシャン・シャ一人しか居ない理由。


 頭の隅っこに追いやっていた憶測が、不可解な点と繋がって、あることへの確信に至ってしまう。


 いや、まだ答えを出すのは早い。


 かぶりを振って、最悪の事態を否定する。


 ◇◇◇


「大奥様、奥様、こちらです!!」


 シャン・シャは就寝していた義母を起こし、とある部屋へと誘導する。


「ねえ、何なの!? 何が起こっているの!?」

「落ち着いてください、大奥様」

「シン・ユーはこんな時間までなにを」

「旦那様はじきにご帰宅なさいますから」


 私達が連れてこられたのは、ザン家の隠し部屋だ。


 なんでも国王崩御の知らせを受けた民達が、街で暴れているらしい。腐りきった国王とインチキ占い師を殺したから、次は自分達のお金を摂取していた華族の番だと叫んでいるとか。


「もしかしたらお屋敷に興奮した人達が押しかけて来るかもしれません。危険なので、旦那様が帰るまでこちらで待機を」

「なんですって!?」

「分かった」


 返事をした私に、シャン・シャは小さな球体を差し出す。


「これは?」

「もしも屋敷が焼かれた時に反応を示すものです。赤く光ったら、部屋の後方にある脱出通路から避難をしてください」

「シャン・シャはこれからどうするの?」

「旦那様のお帰りをお待ちしております」

「!! 駄目だよ!! 一緒にここで待とう?」

「いえ、そういう訳には」


 華族に恨みを持った人が来るかもしれないのに、家で待機するのは危険だ。なんと一緒に隠れていようと提案するも、なかなか首を縦に振ろうとしない。


「シャン・シャ、お願い」

「それは……」

「じゃあ、他の使用人と同じように、家に帰って!」

「ええ!?」

「帰って!! 三つ編み、ばれないように帽子被ったら大丈夫だから!! お願い、一生の、お願い!!」

「……分かりました」


 何とか説得して、シャン・シャには家に帰って貰うことになった。シャン・シャの実家も商店で危ないかもしれないが、この家に居るよりはマシだろう。


 それから二時間程経っても、シン・ユーは帰ってこない。


 大丈夫、指輪はきちんと外れないで嵌っている。


 シン・ユーが言っていた。この指輪はどちらかが死ねば外れる仕組みだと。


 義母は意気消沈しているのか、大人しい。今は声を掛けるべきではないと思い、そっとしている。


 そして、ついに手の中の球体が仄かに光り出した。


 屋敷に火が放たれたのだ。


「お、お義母さ」

「!?」


 急にはっとした様子で義母が立ち上がる。扉の向こうで何かが聞こえるようだ。


 私も義母と同じように壁に耳を当ててみれば――


「リェン・ファーー!! リェン・ファーー!!」

「!!」


 義母はその叫び声に反応をして、扉の鍵を開く。


「お、おか」


 扉を全開にして、義母は助けに来た人物を笑顔で迎えた。


「リェン・ファ!! 助けに来たぞ!!」

「……あ、うん」


 そこに居たのは、なんと、胡散臭い事で有名な占い師、シートゥー・ムーだった!!


 ……って、なんでここに?



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