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没落令嬢の異国結婚録  作者: 江本マシメサ
二章【星に導かれて】

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39.逆鱗に触れてしまった男

 いつもより華美な服を用意され、丁寧な化粧を施される。髪型は華族を象徴とする三つ編みに纏められ、後頭部でくるりと巻いて櫛で留めた。


 顔が見えないように薄い布が付けられた笠を被って義母と共に出掛けるのは、王都・千華の最深部に位置する国王の統治が行われるお城だ。


 今日はその場に華族が集まり、国家占術師による十年に一度の大祈祷が行われるのだという。


 正直そんな催し事には行きたくなかったが、ザン家当主の奥方としては避けては通れぬものらしい。


「不服そうな顔ね」

「え? いやあ」

「大祈祷って本当に凄いのよ」

「……はい」


 不服を申したいような顔は普通にしている状態の顔です、とお伝えしたかったが、私のうっかり発言が義母の不機嫌となる琴線に触れてしまうかもしれないと思ったので、曖昧に笑ってその場を凌ぐ。


 そんな風にしていると、馬車の動きが緩やかになった。城の近くに到着したようである。


 城の前にある門の前には、沢山の馬車が並んでいる。王都に住む華族は百世帯にも満たないらしいが、今回は他の地域に住む人達も招待されているのでこのように混雑しているのだという。


 大祈祷とやらが行われる広間に辿り着いたのは、二時間後だった。


 部屋の中には儀式めいた飾りと、鼻に付く香が焚かれている。雰囲気作りなのか、各所には大きな火柱が立っているが、建物に燃え移らないか心配になった。


 用意された椅子に座り、儀式の開始を待つ。


「奥様、小腹が空いた時にでも召し上がって下さい。儀式の最中にお腹を鳴らさないように」

「……あ、ありがと」


 背後に控えていたリー・リンが、綺麗な紙に包まれた饅頭をくれた。朝食は十分に戴いて来たし、他の使用人からもお菓子を貰っていたが、ありがたく袖の中に仕舞う。


 ……なんというか、私はそんなに常に飢えているように見えるのだろうか。使用人達は頻繁にお菓子を用意してくれたりと、常々空腹状態の心配をしてくれる。


 確かに、ハイデアデルンから来た時は、同じ年頃の娘さんよりも痩せていたが、今はふっくらと身も十分付いていた。義母に太ってきているから注意するようにと言われた程である。


 しかしながら、周囲を見ればどのご婦人も肉付きはいいように思えた。私や義母は痩せ細っている方だろう。


 そんなことを考えていると、会場の灯りは消され、点いているのは祈祷場の周囲に設置された篝火のみとなる。


 厳かな縦笛の演奏と共に現れたのは、五十代位の長い髭を蓄えた男だった。この男が国家占術師なのだろうか。


 次の瞬間に、皆が一斉に椅子から立ち上がって、床に膝を着き、頭を下げた。


 私も遅れないように、額を床に付ける。


 占術師の後に入ってきたのは国王を始めとする王族達だ。


「――面を上げよ」


 一度、頭を下げる華族の前に立って、顔を上げるように命じる。その後、国王は用意された椅子にどっかりと座り、後に続いた王族達もそれに習った。


 国王の他には四人の王族が居た。国王の息子達だろうか。


 王子様という外見とは程遠く、年齢は三十を超えている位の男達ばかりだった。その者達に王族としての威厳や気品などは一切感じられず、毎日怠惰をして暮らしているだろうなというのが、態度で見て取れた。


 それよりも気になったのは、王妃様やお姫様の姿が無かったことだ。他にも子供の姿が無いが、何故だろう。

 王妃様は結婚以来一度も後宮から出た事が無いと言っていたので、こういった公の場にも当然のように呼ばれないのかもしれない。


 用意されている椅子も、王妃様やお姫様の分はもとより無く、全て埋まっていた。なんとも酷い話である。


 様々な事を考えて、悶々としている間に、大祈祷とやらが始まっていた。


 国家占術師、ウェイ・ウーの周囲に位置するおっさん達の祝詞が会場の中に響き渡る。


 ◇◇◇


 ――天空を護りし大華の龍神よ、現れたまえ。時は来た、時は満ちた。我らが民を福禄へと導き給え


 ――黒き禍事を払い給え、白き祝福をかの華の国に


 ――各も、各も、天上の華は未来永劫美しく咲き続け、誇り高き華々の家門に栄光を齎し、土の民はこれ以上に働けど、願う


 ――龍神よ、龍神よ、斯くも、拝み示す。地上の冀望を聴許せん


 ◇◇◇


 余りにも暇なので、祝詞に耳を傾けていたが、言葉を長く発音するので、綺麗に聞き取れず、意味はさっぱり不明だった。

 それに加えて丁度いい会場の暖かさとおっさん達の祝詞が子守唄のように聞こえて、酷く眠気を誘う。


 いかんいかんと自分を奮い立たせ、眠らないように手の平を握り締めて耐え忍ぶ。


 私のうっかり行動の一つがザン家の誇りを傷つけることになりかねないのだ。他人の眼がある場所での振る舞いには十分に気をつけなければならない。


 胡散臭い国家占術師の男は手にしていた松明の火を、儀式台の上にあった蝋燭に付ける。すると、その火は大きく燃え上がって、龍の形となった。


 周囲からは感嘆の声が零れる。


 そして、占い師の男は火柱から出てきたかのように見える龍に向かって何度か頷き、こちらへと振り返る。


 まずは国王の元へ膝を付き、何かボソボソと報告をしていた。その話を聞いて、国王も満足そうに頷いている。


 その後、一段上がった台に乗って、大げさな振りと共に祈祷の結果を言い渡す。


「皆の者、喜べ!! これから先の我が国の栄光は龍神によって約束された!!」


 固唾を呑んで見守っていた華族の者達は興奮をしたように立ち上がって歓声を上げる。義母は感極まっているのか、座ったまま涙ぐんでいた。


「民はこれまで以上に働き、華族の暮らしも今まで以上に豊かになるだろう!!」


 祈祷で唯一聞き取れた華の家門と土の一族というのは、華族と一般市民の事を示していたとこの時になって気付く。


「民は今以上に働けるということが分かったので、税金の徴収額を上げ、華族が豊かに暮らせる支援金を新たに作ることをお上は約束なさった!!」


 あの男は何を言っているのか。これ以上税金の納付を命じれば、国は破綻してしまうかもしれない。


 ハイデアデルンでも特権階級を翳す貴族と、不満を持った市民の間で内戦が起こったという歴史がある。このままでは私の祖国のように、市民達が謀反を起こしてしまうだろう。


 ……国王は知らないのだろうか。


 花は土が豊かではないと美しく咲かない。


 栄養分を必要以上に吸い取った花は、いつか根や茎が腐って花弁諸共崩れ落ちてしまうのだ。


 ◇◇◇


 国王や占い師が去った後も、会場の熱気は冷めないでいた。


「……」

「奥様、大丈夫ですか?」

「う、うん」

「具合が悪いのでしょうか?」

「……ううん。違う。大丈夫、なんだけれど。少し圧倒されて」

「それは、分かります。これは異様な光景です」

「……」


 占い師に熱狂する他の華族達を見たのは初めてだったので、なんとも言えない気分になってしまった。


 少し気分を落ち着かせようと、外の空気を吸いに行く事にした。

 義母に声を掛けてから、顔を隠す笠を被り、リー・リンを伴って外に出る。


 外の冷気を吸い込んで、幾らか心が鎮まった気がした。


 客人用に造られたと思われる庭には毒々しい真っ赤な花が咲いている。この季節に咲いているのは珍しいなと近付けば、花の苗の陰から女性の唸り声が聞こえた。


「――!? だ、大丈夫、ですか!?」


 その場に蹲った女官は、胸を押さえながら苦しそうにしている。


「リ、リー・リン、人、呼んで来て!!」

「は、はい。承知いたしました」


 リー・リンが去った後、私は草むらに上着を女性に掛けて、励まそうと口を開きかけたが。


「――むっ!?」


 背後から口元を布で覆われ、私の視界は一気に暗転する。


 ◇◇◇


「――おい、おい、起きろ、起きろってば!!」

「――!!」


 乱暴に体を揺り動かされ、ビクリと体を震わせながら覚醒する。


「!?」


 目の前に居たのは見知らぬ男だった。


 状況が、上手く把握出来ない。

 何故、薄暗い部屋で、両手足を縛られて、柱に寄りかかって座っているのか。


 城で倒れていた女性は? リー・リンは? ここは、どこなのか?


 全てが謎のままだった。


「お前、本当に華族なのか? ザン=リェン・ファというのは本当か?」

「……」

「名前!! 本人かって聞いているんだ!!」


 男がいきなり大声を出すのでびっくりして言葉を失う。どうして見知らぬ男に名前を把握されているのだろうか。


「言え。言わないと」

「ひっ!」


 懐から出したのは短剣だった。それで切り付けて脅そうとしているのだろうか。


 異国人である私の特徴は分かりやすく、どうせバレているのだからと思い、素直に認めた。


「っつたくよー、手間取らせやがって!」

「……」


 私は、もしかしなくても、誘拐されてしまったのだろう。目的は金か、それとも別にあるのか。気分は一気に最悪なものとなった。


 こいつは一体何者なのかと考えていたら、向こうからベラベラと勝手に語り始める。


「俺達は白命会という、反国家組織だ。お前はザン家との交渉に使わせて貰う」

「!!」

「先ほどお前の旦那宛に書状を送った。【ザン=リェン・ファを返して欲しければ、国王と幻影采公社のウェイ・ウーを暗殺せよ】とな」

「――な!?」


 な、なんてことをしてくれたのか! 余りのことに震えが止まらなくなってしまった。それが短剣を向けられている事に対する恐怖なのか、交渉の材料になされしまったことに対する怒りなのか、混乱した頭の中で理解するのは不可能だった。


 部屋の中は少し離れた場所に小さな角灯があるだけで、薄暗い。小さな窓を見上げれば、外は暗くなっていた。

 家を出たのが朝で、大祈祷が始まったのはお昼前、気分転換にと外に出たのは、祈祷から二時間後位だったので、それから更に数時間経っているということになる。


「なあ、旦那、本当にこの話に乗るのか?」

「え?」

「噂が回って来たんだ。ザン家の当主は異国から連れて来た妻を溺愛していると」

「!!」


 なんだ、その誤報は。溺愛とか嘘だ。どうしてそんなデタラメな噂が広まっていたのか謎だ。


「どうした? 変な顔をして?」

「……それ、嘘」

「は?」

「多分、シンユウは私の為に動かないよ。家の誇りを何よりも大切にする人だから、脅しには屈しない。絶対に」

「な、なんだってえ!?」


 男はカランと短剣を手から落としてしまう。


「やっぱり、ザン=シン・ユーは評判通りの男じゃねえかよ!! 残酷、非道、人の事を虫けらのように思っている鬼畜野郎だ!!」

「……」


 なんという酷い評判だろうか。シン・ユーはそのような人物ではない。


「噂はデタラメで、お前は冷遇された正妻、ということになるのか?」

「冷遇はされていないよ。でも私に人質としての価値はない」

「どういう事なんだよ」

「……」


 私は、どちらかと言えば鈍感だけれど、人のまっすぐな誠意に気付かない程鈍い訳じゃないから、分かる。


 シン・ユーは私のことを大切に扱ってくれていた。異国人だからと壁を作らないで、真正面から接してくれていた。


 でも、その感情は、なんというか、動物愛護的な何かだと思っている。


 拾ってきた犬とか猫に、うっかり心を奪われて、絆されてしまったみたいな。


 私だって庭で飼っていた鳥を盗まれたら烈火の如く怒るだろう。だが、その小さな命を賭けて捨て身で出来る事と言えば、ほぼ無いに等しい。


 シン・ユーは残酷でも、非道でもない、ただの不器用なだけの真面目な若者だ。どうしてそのような噂が出回っていたのかは……一時期殺気を振り撒いていた顔のせいだろうか。よく分からない。


 暗い思考の渦に閉じ込められそうになっていたが、目の前の男が突然叫びだしたので、我に返ることが出来た。


「あ~~!! だから嫌だったんだよ!! なんでよりにもよってザン家に喧嘩を売ったのか!! 訳が分からない!!」

「……」


 この男は組織の下っ端なのだろうか。頭を抱えて悔しがる姿は見えば、彼がまだ若いことが窺える。


「これで俺達強攻派の立場も地に落ちた!!」

「……」


 なるほど。この男達が街でやり過ぎだと言われていた暴動を起こしていた訳か。


 うわあああという叫び声と共に男の腹の音がぐうっと鳴る。


「……」

「……」


 まさか、腹の虫を誤魔化す為に騒ぎ出したのではないよな、と男の顔を見れば、目が合って顔を背けられた。暗いので表情はよく見えない。


「あ、あの、お菓子、あるよ」

「は?」


 腹も多少満たされたら、判断能力が鈍ってここから解放してくれるのでは、と思って袖の中のお菓子の提供をしようと言ってみる。


「饅頭、袖の中に持っているの」

「く、くれるのか?」

「うん。いいよ。左の袖にあるから」


 男はこちらにそろそろと近付いて、恐る恐るといった手付きで私の服の袖に触れる。


「待って、逆!」

「ばっ! 馬鹿! いきなり大声出すなよ」

「ご、ごめん」

「お前から見て左とか、不親切にも程があるぞ!」

「ごめん」


 なんで私は誘拐犯に平謝りをしているのか。いや、変に反抗をして刺激するのは良くない。ここは大人しくしているのが一番だ。


 そう、思っていたのだが。


「待って、近い近い!!」

「うるせえ!! 袖口が小さくて、取れねえんだよ!!」

「あ、あまり、体重、かけ、掛けないで、倒れる!!」

「そんなこと言ったって、取れねえんだから」


 両手足を縛られ、柱に寄りかかっている私は、思わず饅頭を取ろうとする男を避けようとするが、均衡を崩しそうになってしまう。

 両手は胸の前で縛られていて、その下にある袖口を探る男の顔が目前にあったので、悪寒というか、嫌な感じがして焦っていたのだ。


「――あっ!」

「うわ!」


 ついに、私は背中から倒れこんでしまった。男も倒れそうになった私を助けようとしていたからか、何故か一緒になって倒れる。


「いってえ!!」

「ど、どど、退いて!! 早く!! 重たい!!」


 男は痛いと呻いていたが、倒れこんだ先は私の上だ。まあ、縛っていた両手の拳に鼻先をぶつけた様ではあるが。


 男は両手を地面に付き、起き上がろうとして、動きを止める。視線は私にあった。


「な、なに?」

「いや、なんかちょっとムラっとして」

「は!? 何言っているの!? 馬鹿なの!?」

「ちょっと黙れよ」


 縛られた足を上げて男の体を蹴り飛ばそうとしたが、上に跨られたので、動きを封じられてしまった。


「動くなよ」

「止めて、お願い!!」


 両手も押さえられて、身動きは完全に封じられてしまった。


「いいだろう、少し位。毎晩旦那とお楽しみだろうが」

「してない、お楽しみ、してな~い!!」

「人妻が何を言っているんだ!!」

「ほ、本当、本当、本当だって~!!」


 胸の前にあった両手を、男の片手で頭の上に縫いとめられ、ついにやばくなって来たぞと戦慄する。


「大人しくしていれば酷くはしない。だから――」

「い、嫌!! 嫌、た、助けて、助けて!! シンユウー!!!!」

「お、おい、馬鹿、人が来るだろ」


 男が私の口を空いた手で塞いだ瞬間に、唯一の出入り口がバキリと音をたてて、まるで紙のように簡単に吹き飛ぶ。


「――!!」

「は、はあ!?」


 扉を蹴破って現れたのは、口元を布で覆い、笠を被った武官だった。


 手にしていた角灯を自分の顔の位置まで上げると、武官の残虐な眼が露わになる。


『――ひ、ひいいいいいいい!!!!』


 余りの恐ろしさに、私と覆いかぶさっていた男は一緒になって悲鳴を上げた。


 そんな間にも武官は持っていた灯りを廊下に捨ててから、地面を蹴ってこちらへと接近する。途中に置いてあった角灯も蹴り飛ばしていた。小さな炎は転がる衝撃で消え、部屋の中は完全な暗闇に包まれる。


 そんな風に呆気に取られているうちに、体がふっと軽くなる。それと同時に男の悲鳴が響き渡り、壁にぶつかるような音がした。恐らく男は、武官、というか、シン・ユーに蹴り飛ばされたのだろう。


 暗闇の中で、男の呻き声と鈍い衝撃音だけが聞こえている。しばらくすると、シュという何かが抜かれるような音がした。途端に男の焦ったような声が一掃高くなる。


「や、止めろ、止めてくれ、まだ、ああ、あ、あんたの、嫁には、まだ、な、何もしていな」

「黙れ」


 男の焦り具合からして、シン・ユーは剣を抜いたのだろう。


 止めた方がいいのかと口を開いたが、思わぬ第三者の介入により、その発言を阻まれてしまった。


「――そこまでです!」


 凛とした、よく知っている人物の声が部屋の中に飛び込んでくる。


「リ、リー・リンか!? 助けてくれ!! この男、俺を殺そうとしているんだ!!」

「……仕様も無いことをして。殺されても可笑しい話ではありませんよ」

「!?」


 部屋に駆け込んで来たのは、思った通りリー・リンだった。


 しかし、何故、誘拐犯と親しげに話をしているのか。


 そして、思いがけない一言をリー・リンは言う。


「ザンさん、剣から手を離してくれませんか?」

「……」

「天井に、複数の武装した者達を配置しております。その者達を相手にするのは流石に無理ですよね? だって」


 パチリ、と音がしたと思えば、部屋の中は一気に明るくなる。魔術的な何かの仕組みがあるのかもしれないが、詳しくは分からない。


 明るくなった部屋で、男を片足で押さえつつ剣を構えるシン・ユーは、肩を上下に動かして、荒い息を吐いていた。体力的に限界が訪れているのは一目瞭然だった。


「ザンさん、剣を遠くに投げ飛ばして下さい」


 シン・ユーはリー・リンの言葉に従って剣を投げ捨てる。カランと音を立てて落下した剣は地面を回転しながら滑り、遠く離れていく。


「少し、お話をいたしませんか? コ・ルー老師もこちらへ向かっています」

「穏健派のジジイが何をしに来るんだよ!!」

「シャイ・ゼは黙っていて下さい。殺されたいのですか?」

「……」


 もう、何だか訳が分からない事ばかりで混乱してしまう。


 リー・リンは反乱組織の一員だった事とか、シン・ユーがここ一番に怖い顔をして登場した事とか、重要だか重要じゃないんだかな情報が頭の中に入り乱れて、ぐちゃぐちゃになっていた。


 陸に打ち上げられた死にかけの魚のような気分になっていると、遠くから私を呼ぶ者の声が聞こえる。


「奥様~~!! どこですか~~? 奥様~~!!」

「!! シャン・シャ!! シャン・シャ、ここだよ~」

「お、奥様!!」


 汗だくになって現れたのはシャン・シャだった。部屋の中に入ってくると、リー・リンを警戒することもなく、こちらへ駆け寄り、私の姿を見て、安堵をしたかのような顔を見せた。


「ああ、ご無事で!!」

「うん」

「先頭を馬で駆けていた旦那様と、後に続いていたリー・リンと同じ馬車で到着をしたのですが、お二人の足の速さに付いていけなくって、参上が遅れてしまいました!」

「大丈夫だったから。来てくれて、ありがとう」

「ええ、ええ、よかったです、本当に」


 シャン・シャは手足の拘束を解き、起き上がった私の肩に上着を掛けてくれた。


「シャン・シャさん。私は旦那様と一緒に帰りますので、先に奥様をお連れになってください」

「分かりました」


 リー・リンは一緒には帰らないとシャン・シャに伝えていた。


 私はシャン・シャに背中を支えられて、部屋から出る。


 すれ違い様に、リー・リンの名を呼んだが、一瞥すらしてくれなかった。


 ◇◇◇


「奥様、よくぞご無事で!!」


 馬車の中にはメイ・ニャオが待機していた。涙を拭う姿を見て、本当に申し訳ないと思った。


「それにしても、奥様がザン家の指輪を身に着けていて本当に良かったです」

「え? 指輪?」

「もしかして指輪について、何もご存知ないのですか?」

「う、うん。知らない」


 シャン・シャの口から、驚きの事実が語られる。


 この手から抜けない指輪は、ザン家の初代当主の奥方が作った宝物だという。


「初代のご当主様の奥方は仙女(シィェンニュ)だったと言われておりました」

「シィェンニュ?」

「はい。異国風に言えば妖精とか羽人などと表現するのでしょうか?」

「……」


 その仙女様が夫の浮気防止の為に対で作ったのが、今着けている指輪だとか。何でも、相手がどこに居ても場所を把握する力が備わっているらしい。


 私はこの指輪のお陰でシン・ユーに発見して貰えたのだ。


「旦那様は今回の件で、周りが手に負えない位お怒りでした。奥様がご無事で本当に良かった」

「……」


 私はまたシン・ユーに迷惑を掛けてしまった。不甲斐ない自分に嫌気が差す。


 それからザン家に到着すると、義母が外で待っていた。


 怒られるかと思ったのに、義母は馬車から降りてきた私に無言で駆け寄って、抱きしめてくれた。


「お義母さん、心配かけて、ご、ごめんなさい」

「……」


 義母は最後まで何も言わなかった。ただ、無言で抱きしめてくれた。


 そして、数時間後にシン・ユーは帰宅を果たす。


 シン・ユーは、お礼と謝罪の言葉を言おうとしていた私を制して、低い言葉で言った。


「あの使用人は解雇した」

「え?」

「あと、二度と外には出ることは許さない」

「!!」


 リー・リンの解雇と私への外出禁止だけを言うと、シン・ユーは早足で去って行ってしまう。


 それが、長い一日の終わりだった。


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