35.花の名前・五
6月15日二回目の更新になります。
あとシン・ユー編はこの話で終わりです。次回よりリェン・ファ視点に戻ります。
――空白の一年。
リェン・ファが来る一年前から、フゥァン・シィァンは謀反について何も言わなくなってしまった。
もう諦めたのかと思う時もあったが、たまに見せる余裕の無い顔が、国を想っている瞬間だと分かっていた。
自分も、フゥァン・シィァンも迷っている。これでいいのか、と。
――空に浮かぶ導きの星は、この街では輝いていない。
◇◇◇
ついに、フゥァン・シィァンに結婚のことがバレた。
最近特別に忙しかったようで、すれ違っていた訳だが、どこからか噂を聞いて執務部屋まで飛び込んできた。
「ねえ、どうして黙って結婚なんかするわけ!? 僕という人がありながら!!」
「……」
「酷いよ。心の友である僕に報告してくれないなんて」
「……」
机に両手を付いて抗議するフゥァン・シィァン無視して、提出する書類を纏め、部屋から移動を開始する。その後にフゥァン・シィァンも続いていた。
「ねえ、美人? どんな娘? 何歳なの?」
こちらが無視しているのにも関わらず、フゥァン・シィァンはどんどん質問を重ねてくる。こうなるから言いたくなかったのに、忙しい時期にバレてしまったものだとため息を吐いた。
「金公鼠」
「は?」
「金公鼠に似ている」
「ナ、ナンダッテ?」
金公鼠に似ていると聞いて、フゥァン・シィァンは言葉を失ってしまった。丁度書類を提出する部署に到着したので、その場に置き去りにして部屋の中へ入る。
数分後、部屋から出てくるとフゥァン・シィァンは驚いた表情のままそこに居た。
「そこで何をしている。往来の邪魔だ」
「だ、だって、ミミちゃんと結婚したなんて」
「誰が姫の鼠と結婚したと言った!」
「違うの?」
「馬鹿か!」
数日前にフゥァン・シィァンは忙しい合間を縫って、ロン・シャン姫の金公鼠の婿探しをしていたらしい。結局、人見知りの激しい金公鼠の婿は見つからなかったとのこと。
「お姫さんと冗談で、シン・ユーにミミちゃんのお婿さんになって貰おうって話で盛り上がっていたんだよ」
「……」
三十三にもなる男が、よくもまあ幼子と会話を弾ませることが出来るものだと感心する。
未だに驚いた表情を見せているフゥァン・シィァンを置いてこの場を去ろうとしたが、帯を掴まれてしまい、呼び止められる。
「シン・ユーのお嫁さん見せて! お話したい!」
「……」
何度も嫌だと言ったが、フゥァン・シィァンのしつこさに負けてしまい、結局紹介することになってしまった。
フゥァン・シィァンとの約束の日は特別具合が悪かった。だが、リェン・ファとフゥァン・シィァンを二人きりにするのも色んな意味で不安だったので、寝台の上から起き上がって準備を始める。
客間で待っていると、リェン・ファが入ってきた。
「……」
「……おはよ」
リェン・ファの朝の挨拶に視線で答える。今日は酷く喉が痛むので、声を出すのも辛かった。貰った蜂蜜の飴は部屋にある。取りに行こうかと思ったが、体がだるくて立ち上がる事が出来なかった。
今日のリェン・ファは頭を二つのお団子状に纏めているので、余計に金公鼠に外見が似ていた。しかも、いつもより余計に幼く見える髪型だ。この姿を見て、フゥァン・シィァンが余計なことを言わないか心配になる。
自分が金公鼠に似ていると言っていたのを棚に上げることではあったが、フゥァン・シィァンにはリェン・ファの見た目について何も言うなと釘を刺していた。その約束を覚えているか怪しい所だが。
ところが、フゥァン・シィァンはリェン・ファを見て噴き出してしまった。こいつは、と怒りの視線を向けるが、リェン・ファに挨拶をしているので、こちらの様子には気付かない。
それからリェン・ファはフゥァン・シィァンからの土産を笑顔で受け取っていた。相変わらず食べ物に弱いようで、美味しい物につられて簡単に人攫いに遭うのではと心配になってしまった。
使用人によってお茶とお菓子が用意され、フゥァン・シィァンも引かれた椅子に座る。
こちらが黙っていても、よく喋る男は一人で楽しそうにしていた。横目で見れば、リェン・ファは困ったような表情を浮かべている。
フゥァン・シィァンが結婚式の招待客について話を始めた途端に、リェン・ファがこちらの太ももに指を這わせてくる。
突然の行動に驚き、その手首を掴んで元ある位置へと放り出した。
多分、いや、絶対に色のある行為ではないことは確かだが、心臓に悪いものだった。だが、今度は身を寄せて何かを耳打ちしようとして来たので、体をぐっと押し返す。
何かを伝えたかったのだろうが、熱で頭が回らなかったので、その時は気付くことが出来なかったのである。
そして、気がつけば寝台の上に居た。
お茶会の途中で記憶が途絶えている。どうやら意識を保てない程の状態にあったらしい。
使用人の話によれば、客間でいつもの発作が起きて、フゥァン・シィァンが寝室まで運んでくれたとのこと。
なんとも情けない話ではあったが、体は随分と楽になっている。
理由を聞けば、医者の手当てを受けたと教えてくれた。
近くにある机の上には見慣れない薬が数点置かれている。これらの薬のお陰で快方に向かっているらしい。
後日、診察をしてくれた医者の元へ向かった。
納得がいくまで話を聞き、医者の治療が本物だということを確認出来た。
意外に思ったのは、案外診察に来る人が多いという事だろうか。
皆、幻影采公社の漢方が高くて買えない為、ここに通い始めたと医者は言っていた。
医者という存在が早くから大華輪国で認められたら、占い師や幻影采公社を疑う華族の者も居ただろうにと考える。
医療行為は全て異世界から伝わったものだ。世界的に広まったのも、ここ百年程だと言われている。なので、信じろといっても、難しいことなのかもしれない。
医者に礼を言って診療所を後にする。リェン・ファにもお礼を言って、謝らなければならない。
帰り際に雑貨屋に寄る。ここは国外の品物を揃えている店のようで、珍しい物が所狭しと並べられていた。
奥から出て来た年老いた店主に、泉に関連する置物は無いかと訊ねる。
何故泉に関連するものを探しているかといえば、数日前、厨房で寝ていたリェン・ファを寝室に運んだときに、部屋の中で机に水色の布を掛けて、泉に見立てているというものを発見したからだった。
「こちらの、水鳥の置物は如何ですかな?」
「……」
値札には千金と雑な文字で書かれている。
三百金の蓮の花の箸置きを買い与えただけであんなに大喜びしていたので、これも喜んでくれるかもしれないと思って購入をした。
◇◇◇
結婚式の準備も大詰めなのか、母とリェン・ファは以前にも増して忙しい日々を送っているらしい。リェン・ファの寝室に行けば、ぐっすりとあどけない寝顔で眠っていた。
……この娘は、本当に十八歳なのかと疑問に思ってしまう。
こちらを向いて眠っていたので、その無防備な頬を指の背で撫でると、一瞬睫毛が揺れて反応を示したが、目を覚ますことは無かった。
買って来た水鳥をリェン・ファが作った泉の上に置く。
この置物を見て、喜ぶ顔を見てみたいとも思ったが、今から更に忙しくなるので、会う暇も無いだろうと思って諦めた。
使用人の報告によれば、水鳥の置物を見て、喜んでいたという。ただ、贈った相手をリー・リンと勘違いしていることも記されていた。別にリェン・ファが喜んでいるのならばそれでよかったので、その勘違いについてはどうでも良かった。
それから結婚式の前の日まで、リェン・ファには一度も会えなかった。
彼女はどんなに忙しくても、自分の為に蜂蜜のど飴を作ってくれていたのである。そのことを思うと、温かな気持ちになった。でも、体が心配なので、シャン・シャに飴はしばらくは不要だと伝えても、次の日には何だかんだと理由を付けて、新しい物が手渡された。
困った娘だと呆れていたが、本心は違っていた。
そして、結婚式の当日となり、何だか感慨深い気持ちになる。
体の具合はかなり良くなっていた。喉の炎症も薬のお陰でほとんど無くなり、咳き込む回数も随分少なくなった。
母は相変わらずだが、占い師に頼る回数がかなり減ったと使用人は話す。なんでもリェン・ファを連れてお茶会へ行ったり、買い物に行ったりと忙しい日々を送っているという。
彼女が来てから約半年間、この家は変わった。自分にも心に余裕が出来たと思っている。それは体が楽になったという事実以外にも理由はあるだろう。
彼女にお礼を、そう思っていた。なのに、思いも寄らない告白を聞いて、胸が一杯になってしまい、言葉が出てこなかったのだ。
リェン・ファの本当の名前はレイファローズといい、ハイデアデルンの【英知と救済の女神】と同じ名だと教えてくれた。
ところが、女神と同じ名だというだけで、非難の視線を浴びたり、からかわれたりしたと、幼い頃から名前の事で悩む事も多かったと。
その美しい響きの名を裏切らないようにしていたら、いつも間にかその名を重荷に感じていたと語る。
「リェン・ファ、レイファローズ似てる。名前、半分だから、完璧じゃない、大丈夫、思うようになった」
自分が何故日頃から余裕も無く焦っていたのかという理由が、リェン・ファの話を聞いていて分かってしまった。
ザン家の名に恥じないように、父の付けてくれた名の通りに生きようとして、実力も経験も、ほとんどの人が持っている健康な体さえ無いから、上手く事を運べずにイラついていたのだ。
「だから、シンユウ、くれた、リェン・ファ、好き。でも、いつか本当の名、相応しい、私、なりたい」
「……そうか」
自分も彼女のように、肩の力を抜いて生きてみようと思った。
リェン・ファが「シンユウ」と読んでくれる時だけ、ザン=シン・ユーという名前は忘れて、本当の自分を曝け出すことが出来たらと考える。
そして、ザン家のシン・ユーとして、この国を正しい道へ導く手伝いをする決心が付いた。それをフゥァン・シィァンに伝えると、どこか安心をしたような、ほっとした表情を見せていた。
けれど、行動を起こすのは少しだけ先になる。
今、下町を拠点とする、国王に反旗を翻すことを目的としている反抗組織と連絡を取っていた。彼らの協力があれば、戦力的な不安も解消されるであろう。
だが、武器の調達も、戦闘訓練もまだまだの状態だ。
それがきちんと整ってからフゥァン・シィァンには近々謀反を行うと伝えようと思っていたが、リェン・ファの話を聞いて、自分もその名に相応しい者にならなければという意思が固まったので、今日、言う事にした。
リェン・ファの横顔を見れば、今から訪れる招待客への対応で頭の中がいっぱいなのか、顔が強張っている。少し泣きそうな顔を我慢しているように見えるのは気のせいだろうか。
その不安そうな背中をポンポン叩けば、ビクリと体が震え、驚いたような表情をこちらへ向けていた。
「堂々としていろ。対応も上手く出来なくても良い。だが、背をピンと張って、余裕があるように振舞っておけ。それが上手く乗り切る秘策だ」
「う、うん。分かった」
リェン・ファはきゅっと唇を結び、真っ直ぐ前を向いて、式に臨む。
こうして、長い結婚式は何も起こらずに、無事に終わっていった。
◇◇◇
結婚式の後の七日間の休日は、家族旅行と決まっていた。
行き先は昔父と行った山香だ。
今の時期は七星祭が行われているので、母が行きたいと希望していたのだ。
移動中リェン・ファはずっと竜に揺られる客室の中で、具合が悪そうにしていた。
休憩に降りた街にある診療所へ行き、酔い止めの薬を貰ってくる。
薬の他に気分が悪くてもお腹の中に入りそうな食べ物を買って、竜の前で待つリェン・ファの元へ行った。
薬と食べ物を渡して隣に座る。
この街はとても長閑だった。染料を炊いていないからか、空は澄み渡っており、たくさんの木々に囲まれて穏やかな気持ちになる。
「こういう所、暮らせば、シンユウ、体もっとよくなる」
その発言を聞いて、言葉に詰まってしまった。
そして、勝手にあることを決めてしまう。
家が没落して、田舎暮らしを強いられた時は、リェン・ファも共に連れて行こう。
彼女が嫌だと言えば、国に帰せばいい。でも、何も言わないで付いてきてくれるのなら、一緒に生きたい。
穢れなき花の名を持つ、世界でただ一人の女性を、いつの間にか手放す事が難しくなっていた。
ザン家の指輪を渡し、導きの星の下で誓う。
自らの名の意味に相応しい存在になった時に、その花を摘み取ることを。
幕間・花の名前 完。




