33.花の名前・三
母親とはここ二、三年まともに話をしていなかった。喧嘩もリェン・ファが来てから久々にしたのだ。
母が占い師に傾倒するようになった原因は自分にあることは良く分かっている。
だが、占い師に相談することを止めようとする度に喧嘩になり、自分が理解してもらうことを諦めてしまったのだ。
◇◇◇
――遡る事、三年前。
ザン家の財産管理は母に任せていた。自分は月に一度確認するだけで、それ以外は何も口を出す事はなかった。
三年前のある日、帳簿を確認していると、五千金という大金が家具代として記されていた。今までこのような大金をつぎ込むことは無かったので不審に思い、母を問い質せば、占い師が勧める龍の置物を買ったと報告してきた。
「先生のお知り合いの商人から買ったのよ。あの置物を買えば幸せになれるって」
「……」
「あなたの体が良くなるように毎日お祈りしているのよ?」
「……」
何が幸せになれる置物だ。占い師とぼったくり商人に騙されているではないか。
眉間の皺を指先で解し、母に無駄な浪費をするなと言おうか数秒の間迷う。
こんな生活が出来るのも今だけだ。反乱が成功すればお金が掛るだけの華族制度は無くなり、財産は全て没収。武官の中郎将という役職も取り上げられ、地方へ飛ばされるだろう。待っているのは、親子二人の侘しい田舎暮らしだ。
母は田舎暮らしなど耐え切れないかもしれない。だが、国の為に犠牲は必要なのだ。
まあ、浪費はまだいい。問題は占い師を盲目的に信頼していることだ。
貰った薬が効かないことや、フゥァン・シィァンの占い師に関する話を聞いていたので、占術師という存在がインチキ商売をしていることは分かっている。なのに、母はこちらの言い分を全く聞こうとしないのだ。
ちなみに薬はフゥァン・シィァンの薬に詳しい知り合いに成分を調べてもらい、ごく普通の滋養強壮薬だということが分かっている。勿論その中に変な薬が混入されていたら堪らないので、一つ一つ中身を確認している状態のものを服用しているのだ。一度、喉の痛みに効く薬は無いかと相談したことがあるが、その友人はただの薬に詳しい変わり者なだけで、薬を煎じることは出来ないと言われてしまった。……喉の痛みとの付き合いはまだまだ続きそうだ。
「前にも言ったが、占い師はインチキだ」
「な!? あ、あなたは先生の凄さを身を以って実感しているのに、認めようとしないなんて、誰に似たのかしら!? 本当に、見た事も無い位に頑固な子!!」
「……」
多分、自分の頑固さは母親似だろう。当の本人が気付いてないとは。
そんなことよりも、このように母が盲信するようになった原因は何年か前、自分が病で倒れ、もう助からないという所まで病状が悪化していた時に、今の占い師がなんらかの奇跡を起こし、治してくれたことがきっかけだった。
お陰さまで母は立派な占い師の金蔓だ。
「これから帳簿はこっちで付ける」
「なんですって!?」
「いや、これまで通り金は好きに使ってくれ。……いや、月に五千万金までにしてくれるとありがたい」
「毎月毎月そんなに使うものですか! それよりも、体の具合、良くなったでしょう?」
「……」
自分が健康な体だったら、また違う未来を迎えていたのかもしれないが、どちらにせよ謀反は起こさなければならないので、田舎暮らしが早くなるだけかもしれない。
期待の眼差しを向ける母親を前に、適当に返事をしてこの話題は終わりにした。
これで一人のゆっくりとした時間を過ごせると思っていたのに、更なる耳に痛い話を母は自分に振ってくる。
「ねえ、あなた、結婚はどう考えているの? 前から勧めていたけれど、一向に話を進める様子がないじゃない」
「今は見合いをしている暇もない」
「そう言うけどね、子供は沢山居たほうが都合がいいから、なるべく早い方がいいわ。こう見えて、私も苦労したのよ、子供があなただけで。……どんな娘がいいの? 占い師の先生に頼んで探して貰いましょうよ」
「……」
「楽器の演奏が上手い娘? それとも絶世の美女がお好み?」
色んなことが頭の中を占めているので、結婚やその相手のことなど具体的に考えたことも無かった。
そういえば、同期の武官達は結婚相手の話ばかりしている。皆、美人で夫を立ててくれる大人しく従順な女性を望んでいるようだった。
自分はどうだろうと考えるが、思い浮かぶのはザン家が没落をした後、地方で暮らす生活のことだ。田舎暮らしの武官は仕事も少なく、給料も安いだろう。母親を養えるのかも怪しいのに、結婚など出来る訳がない。
けれど、あえて望むとすれば、母と上手く付き合うことが出来て、芯が強い娘がいい。それ以外は望まないが、気の強い母と仲良く、という条件で引っ掛かる者はまず一人も居ないだろう。居たとすれば是非ともお目に掛かりたいものである。
「シン・ユー?」
「結婚相手は自分で探す。余計な世話は不要だ」
「なんですって!?」
「あといい加減占い師を頼るのを止めろ。あれは詐欺師だ」
「――!? せ、先生を二回も侮辱するなんて!! あなたは先生のお陰で生き長らえているのよ!?」
「……目を覚ましてくれ、頼むから」
「し、失礼ね!! 私は正気よ!! もういいわ、あなたとはもう二度と話をしない!!」
「……」
突然宣言された母の話をしない宣言が、この先三年間続くとは思ってもいなかったのである。
母は本当に頑固者だ。
◇◇◇
リェン・ファがザン家に来てから早一ヶ月経った。
彼女には複数の使用人を付け、その中に監視役を紛れ込ませている。
一応ハイデアデルンから持ってきた書類には、ライエンバルド伯爵家の一人娘ということや、五年間服飾店で針子をしていたという職歴なども記されていたが、所詮は他国が発行したもので、信憑性は薄いと個人的に思っていた。
異国人である彼女がハイデアデルンからの密偵である可能性は捨てきれなかったので、一日に一回、報告書を提出するように命じていたのだ。
しかしながら、この一ヶ月のリェン・ファの暮らし振りは、なんというか平和そのものだった。
◇◇◇
○月△日
リェン・ファ様は一日中リー・リンと大華輪国語を勉強しておりました。口には出しませんが、休憩時間に食べるお菓子が楽しみなようで、見たことも無いお菓子を出すと、途端に瞳がキラキラと輝きます。とても可愛らしいお方です。
○月△日
リェン・ファ様が廊下に座り込んでいたので、何事かと聞けば、拙い言葉で「今さっき貰ったばかりのお菓子をうっかり落としてしまって、食べられるか本気で悩んでいた」と言っておりました。……すぐさま新しいものをご用意いたしました。
○月△日
リェン・ファ様は庭のレンの花がお気に入りのようです。やはり自分と同じ名前だからでしょうか?
○月△日
本日は教師役のリー・リンがお休みなので、リェン・ファ様はお部屋で一人過ごしておられました。何をしていたのかと伺えば、縫い物をしていたそうです。仕上がった品を見せていただきましたが、とても繊細で美しい花模様が手巾に刺繍されておりました。
意外と手先は器用みたいです。それに完成した手巾を頂いてしまいました。
○月△日
リェン・ファ様のお言葉が随分上達しているようで、リー・リンに聞いたところ、ご褒美にお菓子を用意したら飛躍的に覚えが良くなったと言ってました。
多分、リー・リンの気のせいだと思います。
○月△日
リェン・ファ様は使用人に対してとても腰の低いお方です。こちらの労働に対して、ことあるごとにお礼を言って下さいます。
毎日気持ちよくお仕えさせて頂いております。
◇◇◇
監視役はリェン・ファとなるべく仲良くするなと言いつけてあったのに、報告書の内容はそのほとんどが好意的なものばかりだった。
だが、この報告書を見る限り、彼女が密偵である可能性は低いだろうと想定する。言葉が拙く、簡単に食べ物に釣られる者を国は派遣しない筈だ。それに何も無い日は部屋に引き篭もり、屋敷の中を歩き回ったりもしないというので、自分の中での疑惑は薄くなっていた。一度だけ手紙を送りたい相手がいるからと、ハイデアデルンへの配達費を訊ねたという話を、監視役ではない他の使用人に聞いていたらしいが、金額を聞いてあっさりと諦めたとか。
だが、監視は続けさせてもらう。万が一ということもあるからだ。
◇◇◇
リェン・ファとの結婚は案外簡単に許可が降りた。名前がこの国のものなので、適当に読んでから通したのかもしれない。
もう一つ予想外だったのは、国を通したことにより、結婚の事実を知った人が増えて、自分の娘を妾にしたい者達が殺到したことだ。中には愛人でもいいからと、無理矢理にでもザン家との繋がりを持とうという者まで現れる始末。
このような状態が一日二日なら構わないが、ずっと続くとなると頭痛の種と化していた。
そんな者達のお陰で仕事が溜まり、自分の思うように進まず、帰宅もいつもより遅くなってしまう。
六花と呼ばれる大華輪国に選ばれた六つの家には、位の無い家を特別に華族へ推薦する発言力がある。ザン家も六花の一つで、自分の娘を妾にという者達は華族になりたい下心を抱えているものばかりだった。
そんな者達に囲まれ、思うようにいかない毎日を振り返り、イラつきも頂点になっていた。
家名が一体何をしてくれる? 家柄が良いからといって幸せになれる訳ではない。
――こんな名前なんぞ、欲しかったらくれてやる。
何の心配もなく、家の面目を気にすることなく生きてみたい。父の遺した置き土産に縛られることなく、自由になって、空気のいい所で何の心配事もなく過ごしたい。母のことも仕方が無いと諦めたい。
だが、そんなことは無理だと分かっている。
だから、フゥァン・シィァンの危険な企みに興味を持ったのかもしれない。
フゥァン・シィァンは最近大人しくしている。自分があまりにも慎重なので、諦めてしまっているのかもしれない。
結局は失敗するのが怖いのだ。母に貧乏な生活を強いてしまうのも恐れていた。自分達は貧しい思いをしながら、毎日つまらない事で喧嘩をして暮らすことを考えると、奈落に突き落とされたかのような気分になってしまうのだ。
「――!!」
気分がどん底になっていたからか、咳が止まらなくなってしまった。
いつものようにその場に蹲り、症状が治まるのを待つ。
近付いてくる者が居ると思えば、リェン・ファだった。
「だ、大丈夫? 苦し?」
放っていたら治るので、肩に触れた手を払おうとすれば、自分の名を意外そうに呟く。暗闇だったので、誰か分からないで近づいたのかもしれない。
その後、どこかへ行ったかと思えば、人を呼びに行っていたようで、迷惑そうな声色の母親が近付いて来るのが分かる。
その場に居たリェン・ファは一人慌てていたが、一方の母は占い師の薬を信じているからか、心配無いと何処吹く風だ。
そんな対照的な反応をする二人に、自分に構うなと言いたかったが、続け様に出る咳がそれを許さない。
「シンユウ」
「……」
「放っておきなさい」
「でも」
母の言い分を無視して、リェン・ファはこちらの咳が治まるまで背中を摩ってくれていた。その手つきは丁寧で、温かかった。
誰かに触れられたのは久々だったので驚いたが、嫌な気分では無かった自分に動揺する。
だが、どういう反応を示したら分からなかったので、礼も言えぬまま、その場を去ってしまった。




