32.花の名前・二
フゥァン・シィァンとは昔から顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた。いつも、何を考えているか分からないし、ふざけた事ばかり言って、人をからかうのを生きがいにしているような男だ。そもそも歳も一回り離れている。話や気が合う訳が無い。
ところが、奴との付き合いは出会ってから十一年も続いていたのである。
こういうのを腐れ縁というのだろう。
◇◇◇
――遡る事、四年前。
「ねえねえ、シン・ユー、いつ行動を起こすのさ?」
「……」
「また後宮に女の子が増えたんだ。可哀想だと思わないの?」
「ねえったら!」
「……分かっている。しかし、まだ」
「シン・ユーは慎重過ぎなんだってば!」
フゥァン・シィァンが急かしているのは、言わずもがな、国王を殺す事を目的とする謀反についてだ。
最近特にフゥァン・シィァンは焦っている。後宮の状況はいつも気にかけていたが、それに加えて民から徴収する税金が跳ね上がり、街では頻繁に国王への抗議を意味する暴動が起きているのが気がかりなのだろう。
「こちらの武力が圧倒的に足りていない。下手に出れば国王禁軍に押さえ込まれて終わりだ」
「禁軍の内部はボロボロなんだって! 門番しているだけのシン・ユーは知らないだろうけどさ!」
「……」
確かに、昔は精鋭の集まりとも言われた国王禁軍だったが、現在は予算も大幅に減って強化に力を入れていないという噂を聞いたことがあった。少し前に見た資料には、軍全体の所属人数が激減していた記述があったことを思い出す。
それに、仕える価値を見出せない国王の元では士気が続かないのかもしれない。
いつものように適当に誤魔化して、話を逸らそうと思っていたが、目が合ったフゥァン・シィァンの顔には、珍しく鬼気迫るものがあった。
「――直系王族は全員殺す。だから、君は幻影采公社の頭、ウェイ・ウーを観衆の前で公開処刑するんだ。そうすれば民の鬱憤も晴れるだろう?」
「そういうことを軽々しく口に出すな!! 家の中とはいえ、どこに耳があるか分から――!!」
「シン・ユー!?」
急に喉がカッと熱くなり、咳が止まらなくなる。
フゥァン・シィァンの計画する謀反を渋るのは、自分の体の事もあった。
生まれた時から体が弱く、長い時間動き回る事は不可能なのだ。おまけに気分が高ぶると今のように咳が止まらなくなってしまうという、困った持病も抱えている。
休日はほとんど寝台の上で過ごし、武官としての勤務も事務仕事ばかりしていた。剣を腰に挿しているのも分不相応な位である。
しばらく口元を押さえながら蹲っていると、咳は止まった。近くで心配しているように見えるフゥァン・シィァンを押しのけ、客間から自室に戻る。
「シン・ユー!!」
「……今すぐやりたければ、一人でやれ。俺は協力出来ない」
「僕の立ち位置と君の立ち位置、変われないのは分かっているだろう?」
「……」
「分かったよ、頑固者。でも、一つだけいいかな?」
「なんだ?」
立ち上がったフゥァン・シィァンは懐から一冊の手帳を取り出して、差し出してきた。
「――な、これ、は!?」
黒い表紙を捲れば、中の白い紙は全て赤黒く染まっていた。
そして、低い声で囁く。
――ザン・ユー・ジンは国王に殺された、と。
◇◇◇
母に付いてハイデアデルンへ行った使用人の娘は優秀だった。
リェン・ファの故郷から、彼女の身分証明書を役所から貰ってきていたのである。
その使用人の話によれば、リェン・ファは元々良い家柄の娘で、大きな屋敷の維持や税金の支払いが苦しかった為に、ハイデアデルン国を出る前の日に貴族の名を返上していたらしいが、その書類はまだ貴族のままで記されているらしい。
「らしい」というのには理由があり、書類はハイデアデルンの言葉で書かれている為、真偽の確認のしようがないのだ。これは尚書省へ持って行き、この国の言葉に訳して貰った後に、国王に結婚の許しを請うようになっている。
華族の当主の結婚は全て国王の許しが必要だ。だが、ほとんどの場合は適当に承諾されているので問題は無いだろうと思っていた。
だが、リェン・ファは異国人で、変に興味を持ってもらうと困るので、貴族の娘という肩書きはありがたかった。
いくら愚王であれ、外交の無い国から来た貴族の者を、ちょっと気になったからと言って後宮に引っ張り込む程浅はかではないだろう。
尚書省にはハイデアデルンの言語に詳しい者が居ないようで、書類を訳出来る者を地方から呼ぶので、翻訳に一ヶ月は掛かると言われてしまった。それ位ならあの娘も大人しく屋敷で過ごすことも可能だろう。
これで結婚の問題は解決したと思ったら、今度は自分の娘を妾にどうかという話が、結婚話とは比較にならない程大量に舞い込んで来た。
この国では一夫多妻が認められており、華族の間でも妾を迎えることは珍しいことでもなんでもない。だが、父は妾を囲っていなかったので、迎えるのが普通だと言われても、いまいちピンと来ないのだ。まあ、父の場合は気性の激しい母が居て、他の女性も、とは思わなかったのかもしれないが。
身上書の入った封筒の山を不要物書類の中へ置き、机の上が綺麗になったところで、仕事を再開させた。
◇◇◇
お昼時になり、部下を食事に行けと追い出して、一人になってやっと気が休まる時間を過ごしていた。
今日は朝から喉が痛み、それに加えて食欲も無く、何か飲むのでさえ辛いので、昼食は食べられそうになかった。
いつも飲んでいる喉の調子を良くする漢方薬を取り出して服用するも、この薬が効いたことを実感したことは一度もない。これは占い師に母親が頼み込んで貰ったものだ。
やはり、フゥァン・シィァンの言う通り占い師はインチキ商売なのだろう。
フゥァン・シィァンは病院にでも行けばいいと適当に勧めるが、医者というのも信じがたい生き物のように思えてならないのだ。
そんな風に考え事をしていると、執務部屋の扉が叩かれる。
「シン・ユー居る?」
「……入れ」
入ってきたのは小さな籠を抱えたフゥァン・シィァンだった。見覚えのある籠を持っているので、嫌な予感が頭の中を過ぎる。
「シン・ユー、これ、うちのお姫さまがね?」
「断る」
「いやいや、今日は違うんだよ!!」
「何がだ!!」
フゥァン・シィァンは正妃の第一子であるロン・シェル姫の教育係に就いている。この男に教育を任せていて、姫の将来が心配であるが、正妃からの信頼は厚いらしい。どういう風に信頼を得ているのかは謎だ。
そして、奴の手の中にあるのは、自分にとってとんでもないものだ。
「さっきね、お姫が廊下でシン・ユーを見かけたらしいんだけど、顔が怖くて声を掛けれなかったんだってさ。それでミミちゃんを見たら怖い顔も優しくなるんじゃないか~って」
「……」
「ほ~ら、ミミちゃんだよ~可愛いねえ~」
「……」
籠の中に入っているのは全体に敷き詰められた藁と小さな陶器の器、そして、金色の毛並みを持つ鼠だ。
ロン・シェル姫は金公鼠と呼ばれている小動物を飼っていて、溺愛しているのだ。
ミミという名の金公鼠は人見知りをする臆病な性格で、何故か自分に懐くという謎の現象が起きている為に、何度か世話を押し付けられたことがある。
「うわあ、餌入れの中で逆さになって眠っているよ~、なんて間抜けなんだ。ほら、可愛いでしょ?」
「……別に」
「はあ、この食べちゃいたい程愛おしい感じが分からないなんて」
手の平に乗るほどの小さい鼠は特別希少価値のあるものでもなく、安価で取引され、大華輪国内で人気の愛玩動物だ。皆、可愛い可愛いと黄色い声で囃し立てるが、毛色を変えれば床下に住む土鼠と変わりないと思っている。どうも鼠という生き物は清潔感が無いような気がして、好意的には見られないのだ。
机の中に入れていた手袋を嵌め、フゥァン・シィァンの手にあった餌袋を奪い取った。
そして、餌入れの中にすっぽり入っていた金公鼠を摘んで外に出し、餌を容器の中へ入れる。眠っていた金公鼠は餌が容器に入る音を聞いて目を覚まし、くりっとした大きな目を瞬かせながら、こちらの作業が終わるのを待つ。
「ほら! きちんと餌入れが終わるまで待ってる! 僕がやると手を退かせって噛み付いてくるんだよねえ」
「……」
餌を入れ終わり、手を籠の中から離すと、金公鼠は器に顔を突っ込んで餌を探り始める。三回位容器の中に落ちて足をバタつかせていたので、尻を掴んで救出しなければならなかった。
「あ! シン・ユー大変! 殻が割れないみたいだ!」
「……」
金公鼠は植物の種を主食としている。その種を前歯で割って中身だけを食べるのだが、この鼠は不器用で何個かに一回は割れずにいつまでも種に歯を立てているのだ。
「シン・ユー、割ってあげなよ」
「……」
餌入れの中から種を取り出して割り、中身を取り出してから金公鼠に差し出す。そうすると今まで噛み付いていた種を捨てて、自分の持っている種に食いついてきた。鼠が手放した種は回収してゴミ入れに破棄する。
「は~癒された。シン・ユーも顔が優しく……なってないね。残念」
「いいからさっさと持って帰れ」
「分かったよ。ったく、せっかくお姫さまが気を利かせたってのに」
「早く行け。部下達が帰ってくる」
「はいはい」
「……」
鼠の世話をしたお陰で余計に疲れた気がしたが、姫の気遣いを無駄にしてしまうと思ったので、何も言わないでフゥァン・シィァンを追い出した。
◇◇◇
日付も変わるような時間に帰宅をすると、玄関には使用人とリェン・ファの姿があった。
「あ、あの」
「寝ていなかったのか?」
「う、うん」
「何か用事があるのか?」
「ない」
「だったら、出迎えなど不要だ。こういうのは使用人の仕事だから二度とするな」
「ご、ごめん」
ハイデアデルンでは妻が夫を出迎える習慣でもあるのだろうか。よく分からない。
それにしても、あの娘は何かに似ている気がする。
「……」
それが何か思い当たらなくて、余計にモヤモヤしてしまった。




