31.花の名前
一話から(+過去話)のシン・ユー視点になります。
偶然による出会いによって、自分の人生が大きく変わってしまった日の話を、今でも鮮明に思い出す事がある。
……あれは、父親の葬儀が行われている日の出来事だったか。
◇◇◇
――遡る事、十一年前
葬儀の途中、知らない大人達が出入りする屋敷の中に居場所がなくて、一人庭を歩いていると、蓮の池を橋の上から覗き込む不審な男を発見する。
「おや」
「!」
「君はユー・ジンの息子だね。驚くほどそっくりだ。名前は?」
「誰?」
「ユー・ジンのお友達。フゥァン・シィァンだよ。怪しい者ではない」
「……シン・ユー」
「シン・ユー? ああ、素晴らしい名前だ。――そうだ、良いことを思いついたよ。君に賭けてみよう」
「――?」
この意味の分からないことばかり言う男こそ、その後、長い付き合いとなる通称ファン・シーンだった。
「ねえ、この花の名前を知っているかい?」
「蓮の花」
「そう」
二十歳前後に見える青年、フゥァン・シィァンは沼の水面に咲き誇るレンの花を面白そうに眺めていた。一体この花の何が興味をそそるのか。
「ねえ、シン・ユー。泥に塗れた花よりも、泥に染まらない花を見てみたいとは思わないかい?」
「は?」
フゥァン・シィァンの言う、【泥に塗れた花】とは今の腐敗しきった大華輪国のことを示し、【泥に染まらぬ花】というのは、新しく生まれ変わる理想の中の大華輪国のことを示していた事を、この時の自分は理解すらしていなかった。
更に彼が国を変えようとしているのを知ったのはずっと後の話。
その魂胆を知っていれば、このふざけた性格の男との付き合いを即座に止めていただろう。
◇◇◇
父の死から数年が経ち、十五の時から継いだ家督の仕事にも慣れた頃、お見合いの話がひっきりなしに舞い込んで来ることを悩んでいた。
フゥァン・シィァンは汚泥に塗れた国を壊すと言っている。それが成功すれば華族制度は全て廃止になる。そうなれば華族同士の繋がりを強める結婚も意味の無いものになるだろう。
もしも反乱が失敗したら自分と母親は処刑され、全く関係の無い娶った娘も殺されてしまう。成功しても財産を剥奪されて田舎に飛ばされるのだ。簡単に決められるものではない。
母は、父が死んで、強制的に家督を継がされ、その重圧から解放されたからか金使いが荒くなってしまった。勿論、その背後に占い師の影があることを知っている。あの胡散臭い占い師の勧める通りに散財をしているのだ。
つい数日前も【幸運の金と青の珍品】を探しに行くと言って旅行に出かけてしまった。
また仕様も無いものを買ってこなければいいと考えていたが、母はとんでもない存在を旅行先のハイデアデルン国から持ち帰って来たのだ。
旅行から帰宅をした母は自分を抱擁しようと手を広げていたが、どこに二十を超えた息子を抱きしめる母親が居るのだと思って無視をした。
それよりも気になるのが、背後に居た少女だ。金色の髪に青い瞳は大華輪国の者ではないことは一目瞭然。このような異国の者が居る場所といえば、大華輪国の裏社会に存在する奴隷市場位だ。
すぐにでもその娘について問い詰めたかったが、玄関でごちゃごちゃ騒ぐのはみっともないので、居間へ移動することにした。
居間で待ち構えていた自分を見て、異国の娘はおどおどとした態度で一瞥し、警戒心も露わにしていた。年頃は十五歳位だろうか。全体的に小柄で、酷く痩せ細っている。青い目は不満があるのか細められており、愛想の欠片も無い娘だと思った。
このような珍しい目と毛色を持つ者を初めて見たが、実に神秘的で不思議なものだと感じる。向こうからすれば国民の全てが黒目黒髪の大華輪国の者が不思議に映るのだろうが。
母は異国の少女を指して富貴福禄、富と名誉、幸福を約束する存在でハイデアデルン国から連れて来たと言っていた。
この娘が居れば、ザン家の栄華は約束されると嬉しそうに話していたが、何を馬鹿なことを言っているのだと思い、国に帰して来いと説得したが、娘には帰る家が無いから可哀想だと母は主張する。
この娘をどう扱うつもりだと問えば、占い師に聞かないと分からないと返された。この国では人身売買は禁じられている。意味も無く異国の者を家に置けば、奴隷を買ってきたと勘違いされてしまうだろう。なので、占い師の助言など待っている暇は無かった。だったら使用人として雇えばいいと母は言うが、それも許す事は出来ない。どう扱おうが、労働の対象として異国の者を家に迎えるという行為は、普通の状況ではありえないことなのだ。
その後も愛人にすればいいとか、地下に閉じ込めればいい、挙句の果てに遊郭街に売り飛ばそうとも提案してきたが、どれも却下した。変に異国の者を連れまわして目立つような行動をすれば、国王の目に留まってしまうかもしれない。それだけは避けたかった。
異国の者を可哀想だと言いながら、適当に扱う母親を恥ずかしく思い、つい手を上げてしまったが、その娘本人に行動を阻まれてしまう事となる。
自分と母親の間に飛び込んできた異国の娘は、聞いた事の無い言語で何かを叫んでいた。通訳をする使用人によれば、「母親は叩いてはいけない」と言っていたという。その後も片言の大華輪国語で何かを言おうとしていたが、上手く喋れなかったようで、通訳に思っていることを伝えて貰うように頼み込んでいた。
「シン・ユー様、異国のお嬢様は何でもすると仰っております。それと迷惑は掛けたくないと」
異国の娘の顔を見ると、先ほどのようなおどおどとした態度ではなく、真っ直ぐな目でこちらを見上げていた。
どういう対処をすればいいかと一瞬悩んだが、「何でもする」という発言を聞いて、良い考えが思い浮かぶ。
「この娘は俺の妻として迎える。それなら問題も起きないだろう」
彼女ならば、もしも反乱を起こした時にこの家が没落しても問題ないだろうと思った。いざとなったら金を握らせて国に帰せばいい。それに母親や職場の人間から舞い込んで来る大量のお見合い話も、いい加減鬱陶しかったのだ。
しかしながら、そんな突然の決定を聞いて、黙って了承する母親では無かった。
こちらの決めたことにたいして怒り狂い、異国人に対しての差別の言葉を吐き散らす。だが、もう決めたことなので、母の意見は全て切って捨てた。
異国の娘は始まった喧嘩を目の当たりにし、呆然とした表情を見せている。先ほど要らんことは通訳しなくても良いと言ったので、恐らく話が分かっていないのだろう。
婚約が決まったことを通訳するように頼めば、娘は動揺を見せていた。何でもすると言ったのは自分だというのに。何か必死に通訳の使用人に話しかけていたが、こちらも決定を覆すつもりはない。
彼女の主張は、地下で大人しくしているので、結婚の話は取りやめて欲しいというものだった。あと、文化や言葉の違う者同士が結婚をしても、苦になるだけだと。
少しだけ我慢をしていれば、解放してやることは決めてあったので、その主張も無視する。
そんな結婚を渋る娘を見て、母が取り繕うように話しかけてきたが、意思を曲げるつもりは無い事を伝えた。
母に娘の名を訊ねれば、女性では聞いた事のない響きの大華輪国風の名前を言ってきた。詳しく話を聞いていると、その名前は母親が付けたもののようで、流石に酷いと思い、別の名を与えることにした。
その時になって、何故か十一年前にフゥァン・シィァンが言っていた言葉が蘇ってくる。
――『泥に染まらない花を見てみたいとは思わないかい?』
泥の中に存って尚、泥に染まらぬ蓮の花。
そのようなものがあるとすれば見てみたいと思った。
「リェン・ファ」
彼女の名前は蓮花に決めた。
この国の泥に染まらないで欲しいという願いもあったが、その泥に染まらない花を目の当たりにしたいという好奇心もあったのだ。
名は体を示すという。
個人に与えられた名前というものは、その人物の中身や性質を表すことが多い。
自分の名前もそうだ。父親より与えられた名に精神的な重圧感を感じ、苦しくて、時々押しつぶされそうになる。
目の前に居る異国の娘はどうだろう。
清らかさの象徴としての蓮の花を穢してしまうのか、それとも汚泥に負けないで跳ね返すことが出来る者なのか。
少しだけ、その経過を楽しみに思ってしまった。




