26.シン・ユーがお休みなので。その壱
「ちょっとシン・ユー!! どうして妾の申し出を断ったのよ!!」
「そんな話があるとは知らなかったからだ。突然説明も無しに来られても困る」
「なんですって!? ちょっと考えたら分かるでしょう!! 馬鹿なの!?」
「結婚式の日にそういうことをするのは間違っていると思うのだが?」
「だってあなた、忙しいとか具合悪いとか言って妾候補の娘に会おうともしなかったでしょう!!」
「嘘ではないだろう」
「なんて口の減らない子なの!?」
「け、喧嘩、駄目~」
狭い密室に向かい合って座った渋面のシン・ユーに怒りを露わにするお義母様、床の上に四つん這いになって酔いと戦いつつも喧嘩を仲裁したい私、我関せずといった風に外の風景を眺めるリー・リンと皆の気持ちはてんでバラバラだった。
私達は今、竜が引く客席に乗って移動をしていた。
三半規管の弱い私は一人竜の移動酔いをしており、迫り来る悪寒に耐えている状態だ。
他の人たちは平衡器官が優れているのだろうか。私以外の人たちは平気な顔をしている。
何故、このような移動をしているかといえば、名目上は新婚旅行というものだった。
シン・ユーの一週間の休日を利用して行く様に計画されていたが、私が二人きりは気まずいから嫌だと主張したので、義母とお世話役のリー・リンを加えた家族旅行にして貰ったのだ。
だが、想定外の事はどこでも起こる。
竜が空へと舞い上がった瞬間に、シン・ユーと義母は喧嘩を始めてしまった。初めは親子の話し合いに首を突っ込んではいけないと自重していたのに、いつまで経っても様々なネタを引っ張り出しては言い合いを続けるので、私は意味の無い行為だとは思ってはいたものの仲裁を始める事にした。
「シンユウ、おかーさん、仲良く、うっ!!」
「まあ、嫌だわ。ザン家の嫁ともあろう人間が虫のように地面に這い蹲って呻いているなんて」
「……」
義母の矛先は私に向いてしまった。親子喧嘩されるよりはマシなので、私は人様に背中を向けているという虫のような体勢で義母の心無い言葉に耐える。
移動は途中休憩を含めて八時間程かかると言っていた。先はまだまだ長い。深い眠りにつけたらいいのだろうが、残念な事に大きく揺れるたびに体が反応してしまい、何度も覚醒をしてしまうのだ。
「あなた、シュ家のお嬢様に喧嘩を売ったのですって」
「しゅ? 誰?」
「シュ=リシュ・リーン」
「……?」
「妾候補の!」
「あ、ああ~!」
シュ=リシュ・リーン。あの自信満々とばかりに踏ん反り返った器量よし、性格も良くて、美しい容姿と心を持ち、賢さと謙虚さも兼ね備えている完璧なお嬢様の事か。
名前を聞いてそのような人も来ていたなと思い出す。その後に起きたシン・ユーとの事件が結婚式と披露宴の記憶を薄めてくれていたので、なかなかピンと来なかった。
しかしながら、この控えめな私が喧嘩を売ったとは何事だろうか。義母に詳細を尋ねる。
「なんでも勝ち誇ったかのような笑みを浮かべたり、先方が話をしている最中にわざとシン・ユーの気を引かせる行動を取ったりしたのですって。あなた、つい先日にやったことも覚えていない訳?」
「うっ!」
心当たりと客室の揺れによる悪寒が同時にやってきたので、思わず声を漏らしてしまった。
「この国では妾を迎えることは普通なのよ」
「……は、はい。奥さん、沢山、普通」
「なのに嫉妬なんかして!! 顔から火が出る位恥ずかしかったわ!!」
「……は、はい。私が、至らない、ばかり」
「もしこの先妾が来ても、苛めとかは絶対しないでちょうだいね!!」
「……は、はい。妾さん、苛め、駄目、絶対」
「……」
なんというか、凄いな。あの親子は転んでもタダでは起き上がらずに、深い爪痕を残してザン家を去っていたとは。逆に尊敬をしてしまう。
義母はツンとした態度で足を組みなおし、窓の外を眺め始めた。どうやら尋問は終了したらしい。
ところが、ほっとしたのも束の間のことで、またしても客室は大きく揺れ始めた。
今度は周囲に不快感を与えないように、相変わらず四つん這いの体勢ではあったが、片肘を床に付け、もう片方の手は口に当てて、呻き声が漏れないような努力をする。
「――う、うわ!!」
何が起きても平静でいるような心構えでいたのに、急に体がふわりと浮いて、声を上げてしまった。
何事かと思えばシン・ユーが私の体を持ち上げて、椅子の上に寝かせてくれて、更に膝まで枕として提供してくれるという、謎の展開になっていた。
「……シンユウ、さっきの体勢、一番楽。床の上、ぺいっして」
私の中で一番酔いを耐えられる格好が先ほどまでしていた四つん這いなのだ。椅子の上で横になる体勢も試したが、客室が揺れる度に落ちそうになるので止めたという経緯がある。なので、床の上に抛ってくれとお願いするも、無視されてしまった。
「シンユウの膝、硬い、だから、床に」
「文句を言うな」
若い兄さんのお膝は枕代わりになんかならない。唯一の利点は体を支えてくれているので、揺れても落ちないということ位だろうか。
「お、おかーさん」
「嫌。なんであなたに膝枕してあげなきゃいけないのよ」
「……」
シン・ユーを説得して欲しいだけだったのに、膝枕を強請ったと勘違いされてしまった。
まあ、シン・ユーと義母、どちらがいいかと聞かれたら、迷うことなく義母の膝枕を選ぶが。……それにしてもつれない御方である。
「リイリン」
「私もお断りをさせて頂きます」
「……」
こちらもつれない。
勘違いされたついでにリー・リンに膝枕をお願いしようと思ったが、無残にも断られてしまった。
「――むう!!」
気を抜いた瞬間にまたしてもグンと下から押し上げるような重力を感じて、口元を抑えたが声が漏れてしまう。斜め前に座る義母は不快そうなため息を吐いていて、本当に申し訳ないと思った。
そんな私の背中をシン・ユーは撫でてくれた。涙目になっている私を哀れに思ったのかもしれない。
だがしかし、背中を撫でて貰うというのは意味のある行為だということが発覚した。
心が休まるというか、気分が落ち着くことが出来るのだ。今までの荒れていたものが、和らいだような気がする。
今まで意味の無いことかもしれないと思いつつ続けていた事なので、大きな収穫とも言えよう。
「……嫌だわ。あの子、いつの間にうちの息子を誑かしたのかしら?」
「ちょっと信じられない光景ですね」
義母とリー・リンがこちらに向かって何か言っていたが、意識が朦朧としていたので聞き取れず、そしてそのまま深い眠りの中へと誘われて行った。
◇◇◇
私がシン・ユーの膝枕で爆睡するというかなり図々しい事態が起きてから数時間後、昼食を食べる時間になったので、近くにあった街へと上陸していた。
私はまだ昼食を食べられるような状態ではなかったので、竜と御者とお留守番である。
低い石の壁の上に座り、青空を見上げた。
この辺りは染物をしていないので、空が澄んでいる。若い御者は空が綺麗だから竜も上機嫌だと話す。
人に馴らされている竜は、大華輪国での伝説の龍とは違う生き物だとか。
大きな体躯を持っていて空を悠々と飛ぶ竜の姿は奇跡のように感じるが、大華輪国の人々にとっては見慣れたものだとか。
伝説の龍というのは長い触覚のような髭と左右に長い角の付いた蛇のような存在で、翼も無しに空を舞う存在だという。
天に昇り雨を降らせて豊穣をもたらすと言われている龍の信仰は不思議なものだと考える。
何故人は目に見えない奇跡を盲目的に信じるのだろうか。精霊や魔術というものが存在する以上、否定出来ないものでもあるが。
そんな風に思考に耽っていると斜め後ろから声を掛けられた。
振り返るとシン・ユーが気配も無しに立っていたのだ。
ちょっとびっくりしたので、鼓動の早くなった心臓を押さえつつ、返事をする。
「ご飯、食べた?」
「ああ」
食事の心配をする私に、シン・ユーは隣に座ってから小さな紙包みを差し出してくる。
「近くにあった診療所で貰って来た。酔い止めの薬だ」
「!!」
なんと、酔い止めの薬というものが存在するのか! 酔い止め薬を知らなかった私は感嘆の声をあげながら受け取る。
「薬を飲む前にこれを食べてからにしろ」
差し出されたのは小さな竹の器に入っている、果物が添えられた白いプルプルとした食べ物だ。
「何、これ?」
「杏仁豆腐」
杏仁豆腐というのはこの街の名物らしい。
杏という果物の種の中身を粉末にしてから作られるお菓子で、古くは喘息などの気管支系の病気治療を目的として食べる習慣があったとか。
食欲は全く無かったが、薬を飲む前に何か食べないと胃を痛めると言うので、仕方が無いと思って頂くことにした。
厚紙を二つに折っただけの簡易的な匙で白いプルプルを掬う。
杏仁豆腐はツルツルとした食感で、甘くて優しい口当たりなのですぐに食べきることが出来た。食欲がある時ならもっとじっくり味わえたのだろうが、生憎そのような余裕は無い。
その後、間を置かずに貰った薬を飲む。薬を飲みなれていないので、あまりの苦さに噴き出しそうになったが、何とか耐えて嚥下する。
「シンユウ、ありがと。これで、大丈夫」
「だといいな」
残りの薬を鞄の中へ入れて、ほっと安堵の息を吐く。
どこからか花の香りを運んできた風が頬を撫でていた。よくよく周囲を見渡せば、白い花を咲かせた木が沢山並んでいる。
こうして穏やかなシン・ユーと二人で並んで座っていることが信じがたいように思っていた。
恐らく今までは病気のことで余裕が無かったのかもしれない。本当に症状が和らいで良かったと思っている。
「悪かった」
「ん?」
「医者を信じなかったことだ」
「あー、うん。平気、気に、しない」
シン・ユーが医者を信用しないというのは普通のことだ。こちらも大華輪国の占い師の存在を信じていないのだからそれと一緒の感覚だったのだろう。
人は生まれ育った文化や生活習慣を疑うことなく信じて生きている。だから、外から来た人の異なる言い分など安易に受け入れることは酷く難しいことだ。
私もこの国に来たばかりの時とは違って冷静に物事を考えることが出来るようになったと思っている。
今度は義母との仲をどうにかして欲しかったが、こればっかりは深く突っ込む訳にはいかない。誰か間に入って緩衝材となる人が居ればいいが、今のところ一人も思いつかなかった。
シン・ユーが何だか申し訳なさそうにしているので、話題を逸らす。
「ここは、空気、綺麗」
「……そうだな」
染料を炊いた煙が無いだけでこんなにも空気が綺麗なのかと驚いてしまう。
シン・ユー曰く大華輪国が織物で栄えているのは王都千華だけで、それ以外の街や村に住む者達は農業や畜産などで生計を立てているのだとか。
「こういう所、暮らせば、シンユウ、体もっとよくなる」
「……」
千華の淀んだ空気がシン・ユーの体を蝕んでいるのだ。
ここみたいな空気の綺麗な場所で暮らせば健康にも良いのにと呟いてから、それは無理な話だと気付く。
シン・ユーも義母も誇り高い華族だ。私のように食事と寝る場所があればいいというお気楽思考は持ち合わせていないだろう。
その後、出発をするまでシン・ユーも私も一言も喋らずに、静かな時間だけが過ぎていった。




