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没落令嬢の異国結婚録  作者: 江本マシメサ
一章【星を胸に旅立つ少女】

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22.美しい森にて。その参

 楽しい楽しい食事の時間は終わり、今はぼーっと周囲の景色を茣蓙に座った状態で眺めている。


「シンユウ、橙色、花、何?」

「あれは金木犀ジンムーシーという。香油の原料になる花だ」

「いい香り?」

「ああ」


 シン・ユーは驚くほどに植物に関して物知りだった。沈黙が気まずくって適当に植物の名前を尋ねれば、次々と薀蓄が飛び出してくる。心の中で人間植物図鑑という称号を贈った位だ。


 何でも子供の頃はほとんど寝台の上での生活だった為に、様々な種類の本を読んで暇を潰していたらしい。だったらどうして体の負担が少ない文官にならずに、体力の要る武官になったのかと聞けば、父親と同じ仕事に就きたかったからだと教えてくれた。


 なんだかとてつも無く心配になって、余計なお世話ともいえる一言を言ってしまう。



「シンユウ、無理しないで」

「……」


 本が好きで頭が良さそうにしているのだから文官になればいいのにと思ったが、彼にも色々と心に秘めた想いがあるのかもしれない。その辺は他人である私が踏み入れてはいけない領域だ。唯一出来ることといえば、シン・ユーが無理をしないように声を掛けたり、蜂蜜の飴を作る位だろう。あまり意味の無い行為だと分かっているが。


 シン・ユーは眉間に皺を刻み込んだ状態で黙りこんでしまった。なんというか、恐ろしく暗い男である。先ほど見た笑顔もきっと見間違いなのだろう。多分、水面がキラキラとしていたのが眩しかったのかもしれない。


 重たい空気に押しつぶされそうになった私は金木犀の花の香りを嗅ぎに行くと言って、その場から一時的に離脱を図った。


 小走りで近付いた金木犀の木からは強く甘い香りが漂っていた。シン・ユーの言う通りとてもいい香りがする。

 橙色の小さな花が密集したように咲く金木犀は花としての美しさはイマイチだが、香りは本当に素晴らしいものだ。ずっと嗅いでいたいと思うほどに。


 金木犀の花言葉は「謙遜」「陶酔」「初恋」だという。勿論某人間植物図鑑情報だ。真面目な顔をして花言葉なんかも情報の一つとして提供してくれるので、失礼かもしれないが笑ってしまう。


 金木犀という花は花言葉の通り、謙虚な花姿に、思わず陶酔するように馨しい花の香り、そして初恋という謂れは忘れられないような記憶に残る香りを放っているからだろうか。よく分からない。


 初恋、私の初恋はいつだったか、と記憶を掘り起こしたが、異性との思い出が全く無かった。


 い、いや、待てよ、そんな筈はない!! 私にも嬉しかったり恥ずかしかったりな甘酸っぱい初恋の君との思い出がある筈だ!! と意地になって思い出そうとする。


「――!?」


 ふと、頭に浮かんだのは最近の記憶だ。


 ――ち、違う!! これは初恋の記憶でもなんでもない!!


 自分の本当の名に似た【リェン・ファ】という名前を付けてくれたのも、市場で甘栗の皮を割ってくれたのも、こっそり部屋に忍び込んで鳥の置物を置いてくれたのも、ふとした瞬間に浮かんだ穏やかな笑顔も、なんか他にも色々と浮かんできたが、そんなものは初恋の甘酸っぱい記憶でも何でもない。


 きっと、そうだ!! そう自信を持って頭の中に浮かんでいた人物を振り返るも、遠くに居るシン・ユーと視線が交わった気がしてドクリと胸が高鳴る。


 私は普段の冷静さを取り戻す為に、ポケットの中に入れていた、先ほど自分で作った二本の足が生えた折り鶴を広げた。


 ――凄く、気持ちが悪い。


 折り鶴のお陰で胸の動悸も治まり、いつもの冷静沈着な自分を取り戻すことが出来た。


 そう、先ほどの動揺は、きっとシン・ユーのお顔が怖かったからだ。


 彼とは夫婦だが、紙切れ一枚で結ばれた関係で、分かりやすく例えるならばご主人様と犬、調教師と犬、飼い主と犬。……大丈夫、立場は弁えている。


 義母は先日、子作りに関してはしなくても良いと言ってくれた。華族では妾を囲うことは普通のことで、シン・ユーには家柄・教養・美しさと全てのものが揃った娘を充てがえる予定らしい。伝統のあるザン家に異国の血を混ぜることをあまりよく思っていないのかもしれない。


 私はお金で買われてこの国に来た。

 本来ならば奴隷のような扱いを受けても可笑しくはないのに、ザン家の人たちはとても親切だ。


 義母も、私には厳しい言葉ばかり掛けるが、本当に鬱陶しく思っていれば無視をしているだろう。シャン・シャも言っていた。普通は外から来た嫁の結婚準備にあそこまでしてくれる姑は居ない、私は幸せ者だと。義母の好意は分かり難いのだろう。


 シン・ユーも、家の名誉の為とはいえ、突然やって来た見ず知らずの私を地下に軟禁するのは人として間違っていると言って結婚してくれた。


 使用人の皆も優しい。私は果報者なのだ。


 私は振り返ってシン・ユーの元へ帰る。そして、隣に座って金木犀の香りについて語ろうとしたその時、背後から慌てた声でシン・ユーの名を呼ぶ者が現れたのだ。


 ◇◇◇


「ザン中郎将!! お休みの所申し訳ありません!!」

「どうした?」

「いえ、それが」


 武官のお兄さんはチラリと私の顔を見る。お仕事の話だろうか、ここを離れた方がいいのかと立ち上がったが、シン・ユーに手を握られて行動を制止されてしまう。


「言え」

「は、はい!」


 そのまま手を引かれてシン・ユーの隣にストンと座らされてしまった。相変わらず謎の行動ばかりするので、首を傾げたまま報告を聞くことになる。


「千華の中心街にて、市民の示威暴動が起こっております」

「……」

「噴水広場の国王の像は壊され、華族の経営する店も襲われているようです。なので、ザン中郎将は制圧が終わるまでしばしここで待機を」

「……分かった。下がれ」

「はっ!」


 一体、何が起っているのか。市民が国王を模した像を破壊するなどあってはならぬことだ。


「シンユウ、何?」

「国民税が上がり、不満が溜まった民達が暴れているのだ」

「!?」


 聞いても教えてくれないと思っていたが、シン・ユーは今回の騒動について語ってくれた。


 国民税というのは国家財政を支える資金の一部であり、国民の豊かな生活を実現するものとして一般的には認識されている。

 以前までその税率は低かったらしいが、今の国王になってから徴収率がグンと上がり、ここ数年で給料の半分を納めなければならない程の金額まで上がっているという。


「どうして、華族、店、襲う?」

「国民税の使い道の一つとして、華族の領地経営の支援金があると知らされているからだろう」

「!! お、おかーさん、大丈夫?」

「ああいった騒動はここ数年頻繁に起こっているが、華族の家まで押しかけたことはない」

「そう、よかったー」


 暴動は千華の中心街だけで行われているものだとか。それにしても街の治安が悪くなっているとは思いもしなかった。


 それにしても、シン・ユーは国王の話をする度に嫌そうな顔をしている。勝手に忠臣のように思っていたが、実はそうではないのだろうか。あの顔はとても王様を信頼しているようには見えない。まあ、酷い税率で国民を傷つける暴君など尊敬出来る訳も無いが。


 先ほどよりも険しい顔になったシン・ユーの横で大人しくしていると、思いがけない言葉を聞く事となった。


「――この国は泥にまみれている」

「え?」

「国王も、華族も、民も、全て汚れきっているのだ」

「……」


 翻訳をしてくれたリー・リンの聞き間違いかもしれないが、シン・ユーは以前義母との喧嘩の際に占い師シートゥー・ムーのことを胡散臭い奴だと言っていた。もしかしたら、国王の傍にも占い師を支援する【幻影采公社】の影響があって、そのことを知っているのでは? と考えたが、とても聞ける雰囲気ではなく、私は意味も無くシン・ユーの背中を摩ってその怒りが静まるようにと一人願っていた。


 ◇◇◇


 現在、更なる気まずさが私を襲っていた。


 気まずさの原因となっているシン・ユーの隣で水面を泳ぐ水鳥の数を数えるが、全然集中出来ない。


 シン・ユーは何を抱え込んでいるのだろうか。

 何を迷って、怒り狂っているのか、私には想像すら出来ない。


 今は動くことも出来ず、現状維持を続けるしかない。


 だが、こういう時に何をすべきなのか、私は知っていた。


「シンユウ」

「……」

「寝よう」

「は?」


 シン・ユーは何ふざけた事を言っているんだという顔でこちらを見ているが、寝不足の時は寝るに限る。時間は無限にあるのだ。

 それに体の具合が悪い時にあれやこれやと考えても、いい考えは浮かばない。そうに決まっている。


 だから、こういう時には不貞寝するに限るのだ。


 私は横から浴びていた訝しげな視線を無視して、茣蓙の上に転がった。やはり、想像通り草の乾いたいい香りがする。


「シンユウ、早く、いい子だから、寝て」


 私も寝不足だったことを今更ながらに思い出す。


 そして、シン・ユーが横になったのも確認する前に、私は深い眠りの中へと沈んでいった。



 ◇◇◇


「――リェン・ファ、起きろ」

「ん~?」

「起きろ」

「……」


 気持ちの良い睡眠状態からポンポンと背中を叩かれて意識がどんどん鮮明になっていく。


「もう、家に着いた」

「!?」


 家に着いた、という言葉を聞いてカッと目を見開くが、ありえない状況に疑問符がどっと押し寄せてくる。


「……ヒッ!?」


 どうやら、私はシン・ユーの膝を枕代わりにして眠っていたらしい。割と失礼な悲鳴を上げながら慌てて起き上がると、無表情のご主人様と目が合った。とっても気まずい。


 い、いや、そんなことよりもここは馬車の中だ。あの美しい庭園から運んでくれたのだろうか?


 お姫様抱っこで? そんな姿など想像出来ない。お米が入っているような大きな袋に私を入れて、雑に運ぶ姿なら安易に想像出来るが。


 外はすでに真っ暗だ。あれから一体何時間眠っていたのか。恥ずかしい話である。


「シンユウ、ごめん」

「気にするな」


 寛大なシン・ユー様は私の愚かな行いを許してくれた。だが、居た堪れない気持ちは拭いきれない。いっそのこと怒鳴られた方が良かったのでは? とも考える。


 私は、朝に主張していた繊細宣言を撤回しなければならないのかもしれないなと考えていた。


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