19.母の愛
「先生!! シン・ユーのね、具合が良くなったのよ!!」
「おお、それはめでたいアル」
「……」
この結婚式の準備でクソ……ではなくて、とてもお忙しい中、どうして詐欺占い師なんかに時間を割かなければならないのか。
「先生の漢方薬が効いたのね」
「前に渡したのは特別な品だったアルよ」
「……」
ちっがーう!! シン・ユーの体調が良くなったのは、下町にある病院の先生のお陰!!
シャン・シャ情報なのだが、シン・ユーの体は快方に向かっているらしい。もう一ヶ月程会っていないので、どのような状態にあるのかは謎だ。
薬の吸引を始めて三ヶ月目になってやっと効果が如実に現れてきているのだ。
シン・ユーはファン・シーンが訪問した日に初めて医師の診断を受けた。その時は意識が朦朧としていたので大人しく処置を受けていたが、疑い深いシン・ユーは後日納得がいくまで先生の話を聞きに行ったらしい。
私もリー・リンが蜂蜜のど飴の効能を上げる食材を先生に聞きに行くというので、ついでに付いて行き、シン・ユーの病状について聞かせて貰った。
先生曰く、喘息が快方に向かっているからといって、シン・ユーの病弱な体質が治る訳でもないという。これについては生まれ持ったものなので、完治は難しいと先生は言っていた。
のど飴というか、蜂蜜を毎日口にすることはいいことだと先生も勧めてくれた。なんでも喘息の患者の喉は外部からの刺激を受けるとすぐに炎症を起こすので、蜂蜜にある強力な殺菌効果が良いとのこと。
先生はなるべく高価な薬を常用しなくてもいいように、喉に良い食べ物を教えているが、ほとんどの患者は信じてくれず、治療が長引いている人も多いという。
他に喉の炎症を抑える効果のある食材として、白大根・有ノ実・大穴根・黒小豆・金色柑・柑花梨・小柚子等複数存在する。
蜂蜜が割りと高価なので、先生から聞いた食材を使った飴作りに挑戦するらしい。
「――リェン・ファ?」
「!!」
突然義母に名前を呼ばれ、現実に引き戻される。
「あなたは先生に占って貰うことはない?」
「……ない、全く」
「そう。では先生、今日もありがとうございました」
「イエイエ」
占い師にお礼を言った義母はいつものように大金の入った紙袋を渡している。今回も適当に話を聞いて、シン・ユー用の胡散臭い漢方薬を渡すだけの簡単なお仕事だった。
占い師が帰った後も怒りが収まらず、部屋の中でギリギリと奥歯を噛み締めていた。そんな私をリー・リンが諌める。
「奥様、貴婦人ともあろう方が、そのような顔をなさってはいけません」
「これ、普通、顔!!」
「いいえ。いつも以上に不貞腐れ顔になっています」
「……」
実を言えば、私は普通の状態でも「怒っているの?」とか「生意気そうな顔」と言われるような不機嫌及び不貞腐れ顔を持って生まれてきているのだ。針子を始めた頃は随分と姐さん達に怒られたものだ。店に立つような顔じゃないと。
いや、私の顔つきのことはいい。問題はお医者様の手柄を詐欺師に取られてしまったことだろう。
義母はシン・ユーの体の具合が少しだけ良くなったことを本当に喜んでいた。渡していた紙幣の入った袋もいつもより分厚いように見えた。
「リイリン、すごい、悔しい~~」
「お気持ちは分かりますが、軽はずみな行動は止してくださいね」
「うう~~!!」
この怒りをどこにぶつければいいのか。今までの人生の中でこんなにも悔しい思いをしたことはない。
イライラと落ち着かない私を見かねたリー・リンはとある提案をしてくれた。
「シャン・シャさんにお話でも聞きに行ったら如何でしょうか?」
「ん、何故?」
「あのお方はザン家に仕えて三十年の古狸だと聞いた事があります。大奥様のことも何かご存知なのでは?」
「!!」
リー・リンの提案を受けて、私はシャン・シャに話を聞きに行った。
◇◇◇
「大奥様のお話ですか?」
「うん」
「どうしてまた?」
「……」
義母が何故占い師を妄信するようになったきっかけがあれば知りたいというだけであったが、占い師を信じているシャン・シャに言える訳もない。
どうしようかと悩んでいる一瞬の間に、リー・リンが助け舟を出してくれた。
「奥様は大奥様と仲良くなりたいそうです」
「ああ、なるほど! では私が知りうるお話全てを致しましょう」
……シャン・シャ、チョロいよ。
ちょっとだけザン家の秘密が外部に漏れていないか心配になってしまった。
「ラン・フォン様がこの家に嫁いできたのは二十三年前、十三歳の時でした」
「!!」
若ッ!! ってことは、お義母様は今三十六歳ってことか。勝手に若作りだなあ~と思っていたことを心の中で反省する。
たった一代で財を成した者を父親に持つ義母は、何一つ不自由することのない環境で生まれ育ってきた。そんな彼女が国内でも五本の指に入る名家に嫁ぐ事が出来たのは、当時のザン家が当主の浪費によって傾きかけていたからだと噂されていたらしい。
事実、財政困難に陥っていたザン家だったが、義母の実家の支援と新たに当主の座に就いたシン・ユーの父親の奔走によって、昔の栄華を取り戻すことに成功をする。
「ザン家も復興を果たし、この先の未来は明るいと思っていましたが、ラン・フォン様にとっては辛く険しい道の始まりだったのです」
初めこそ好意的に接していた義理の父や母だったが、復興が済むや否やコロリと態度が変わり、義母にきつく当たり始める。勿論夫の居ない時を狙って。
義母はシン・ユーの父親に一目惚れをしていたらしく、その両親の悪行を告げることは一度も無かった。親の悪口を言えば嫌われると思っていたとシャン・シャに悩みを溢す事もあったという。
義理の両親は冷たく、意地悪だったが、華族のお茶会は楽しみだったようで、唯一の心安らぐ場所だったが、その夢のような時間も実家の商売が失敗し、莫大な借金を抱えた状態になった途端に変わってしまう。
「ラン・フォン様の父君が、華族の世界で困らないようにとお金をザン家に縁のある家に配り歩いていたようで、その支援が止んでしまうと周囲の奥方は急にラン・フォン様を成金の娘、今はそのお金すらない貧乏人の家の者だと見下出すようになりました」
金の切れ目が縁の切れ目ということか。なんとも酷い話だろうか。義母がこのように苦労をしてきたなど、全く知らなかった。普段の様子が苦境や苦労など一切知らない優美な暮らしをしてきた貴夫人、といった感じだからだろう。
「結婚から二年後にシン・ユー様が生まれましたが、お体が弱い子供を産んだ事により、更に責められることが多くなりました」
「……」
「ですが、ラン・フォン様は旦那様とシン・ユー様を心から溺愛され、幸せな生活をしていたように思います」
その後、義理の両親はザン家の所有する領地へ移り住み、平和な日々が過ぎていった。
「シン・ユー様の体調は思わしくないものでしたが、父君から剣術を習い始めると少しずつではありましたが、お体も丈夫になりつつあったのです」
ところが、シン・ユーの父親は護衛任務中に王を庇って亡くなった。義母が二十六歳、シン・ユーが十一歳の時の話である。
ザン家の領地に行っていた義理の両親は何も助けてはくれなかったという。その日から義母はザン家の当主代理として、様々なものを一人で背負い込むこととなった。
「それからのラン・フォン様は、痛々しくてとても語れるものではありません。私達使用人に出来る事と言えば、お話を聞いて差し上げたり、お仕事の手伝いをすること位で」
「……」
「ですが、そんなラン・フォン様に、更なる不幸が舞い込んで来ました」
それはシン・ユーが稽古先で倒れたことから始まる。
シン・ユーの容態はほとんど意識が無く、一人で起き上がることも困難になるほどの高熱が何日にも及び、ザン家の占い師からはもう何日も保たないと匙を投げられてしまったのだ。
義母は様々な占い師を探し出して占いをして貰ったが、皆、寝台の上で苦しむシン・ユーを一目見て、もうこの子供はもう助からないだろうと残酷な言葉を口にするだけだった。
「しかし、ラン・フォン様は運命の出会いをされたのです」
もう駄目かと思っていた矢先に一人の占い師を名乗る男がザン家へとやって来た。
使用人達は小汚い姿の男を追い払おうとしていたが、義母だけは床に頭を擦り付けて頼むから助けてくれと懇願していたのだ。
「シートゥー・ムーと名乗る占い師は、大祈祷という占術の中でも高位の術とされるものを用いて、シン・ユー様のお体を治されたのです」
「!?」
――ああ、これが理由なのか。
義母はこの事があったからあの胡散臭い占い師を信じているのだと思うとやり切れない気持ちになる。
何故、素人が見ても分かるほど衰弱していたシン・ユーの熱が突然引いたのか、本当に占いによる奇跡だったのか、何もかもが謎の出来事だ。
義母の妄信の影には、シン・ユーへの愛があった。
そのことを知って尚、私には何も出来ないということを悔しく思う。




