15.シン・ユーの親友。その壱
昨日の夜、いつもより早く帰宅をしたシン・ユーが突然休日の予定を告げた。
明日は知人が訪ねて来るから準備をしておけ、と。
私は焦った。何故ならば、大華輪国の華族としての自らの振る舞いや言動はいまだに未完成で、所々怪しいことを自覚しているからだ。
部屋に帰ってお茶会での礼儀を復習しようと思ったのに、既に灯りは消され、何だか眠くなる不思議な香が炊かれており、使用人の手によって寝る準備が完了されている。
突然来客があると言われても、こちらとて完璧な対応が出来る訳が無い。もう、どうにでもなーれ! とヤケクソになりながら、私は柔らかな布団に身を沈めた。
翌日、私は初夜の晩を迎える花嫁のように念入りな支度をさせられることとなった。
こんなに身奇麗にして会うのは誰かと訊ねれば、シン・ユーの幼い頃からの親友だという。
「……シンユウの友達、こんなに綺麗にする、不要」
「まあ、旦那様のご友人様は奥様をご覧になりに来ますのよ?」
「え、ソウなの?」
「よく知りませんが」
よく知らんのかい。
メイ・ニャオは張り切って化粧道具を手にしていたが、前のような濃い化粧ではなくて、私自身の素材の味を生かすものにして下さいとお願いをした。
「ええ、ええ、以前は奥様の魅力を分かっておりませんでしたから! お任せを」
「う、うん。信じている」
風呂場で頭から足の爪先まで隈なく磨き上げられ、綺麗な服を着せてもらい、髪の毛も丁寧に結ってもらった。化粧もこちらの要求に応じて薄く仕上がっており、普段の素顔と変わらないものとなっている。
唯一気になったのは、頭の天辺付近二箇所に纏められたお団子状の髪型だ。なんだか子供っぽい気がしていたが、何故だか使用人一同には大層好評だった。これも貴人のする髪型だと教えられ、渋々受け入れることにする。
シン・ユーの友人と会う客間に連れて来られ、仏頂面を見せている御仁の隣に腰掛けた。
頭の中は前に習った客人を迎えるときの礼儀を復習することでいっぱいだ。
まず、独身の男性の前に出る時は楕円形の扇で顔半分を隠さなければならない。
自分から話題を振らない。何か話したいことがあれば、夫に耳打ちして伝えてもらう。
手製のお菓子を振舞う。
……お菓子は昨日の夜に言われたことなので無理だ。他の決まり事も、いざお茶会が始まれば、緊張で記憶が吹っ飛んでしまうかもしれない。
怖い。主人の知人友人を招くお茶会が怖い。ついでに言えば、無言で隣に座るシン・ユーも怖い。
というか、さっきから咳き込んでいるが大丈夫なのか。
具合を窺おうとしたその時、外から出入り口の扉が叩かれる。
シン・ユーがいつもより掠れた声で入室を許すと、シャン・シャが恭しく扉を開き、一人の青年が客室へと入って来た。
「やあ、シン・ユーに……ぶふっ!! あ、ごめん。君が新妻ちゃんだね!」
「……」
「……」
あれ、出迎える時は立ち上がるものだったか!? 私は一瞬にして、客人を前に頭の中が真っ白になってしまった。
シン・ユーが座ったままなので、変に身動きしない方がいいのか。ど、どうすればいいのかが全く分からない。
「初めまして、フゥァン・シィァンです」
「!?」
な、なんて!? 今、名前何て言った??
うわ、最悪。全然何て名前か聞き取れなかった。それにこの人物凄い喋るのが速い。何を言っているのかチンプンカンプンだ。
「……ザン=リェン・ファ」
「リェン・ファちゃん?」
「……」
シン・ユーの御友人様は私の座っている方へ回り込み、しゃがみ込んで自己紹介(?)をしてくれた。その姿は小さな子供へ話しかける格好ではないか? という疑念も生まれる。
……やっぱり、異国人から見ても子供っぽく見えているのだろうか。まあ、ここ数年の貧乏暮らしのお陰で背もあまり伸びなかったし、体も全体的にガリガリなので年齢よりも若く見られることは祖国でもよくあることだったが。
そういえば、さっきも一目見た後に笑われていたし、何か可笑しい所があるのだろうかと不安になる。
いいや、大丈夫だ。名前もきちんと言えたし、使用人達の血の滲む努力によって完璧な身なりで客人を出迎えることが出来た。
私には何の不備も無い。
でもやっぱり座ったままでは悪いと思ったので、立ち上がって礼をした。
チラリとシン・ユーを見るも、腕を組んだまま微動だにしていなかった。
――問題があるとすれば、シン・ユー、お前だ!! 先ほどから客人を前に黙ってからに!! 何か喋れよ!!
私の恨みがましく口汚い心の声に気が付いたのかは分からないが、シン・ユーは客人に椅子を勧めていた。
お客様は椅子に腰掛ける前に、手にしていた包みをこちらへと差し出す。
「あ、これリェン・ファちゃんにお土産! 街で人気の甘味処の饅頭だよ」
「!!」
渡された白い包みはほんのりと熱が残っており、蒸し器から出されて少ししか時間が経っていないことを示している。
「ああ、それは福盟屋の名物、桃饅頭ではありませんか!! 奥様、良かったですねえ。いつも買いに行くのにすぐに完売してしまういる幻の饅頭ですよ」
「ま、幻!? お、おお……!」
シン・ユーの友人の話している内容はお土産と饅頭しか聞き取れなかったが、シャン・シャが土産の詳細を言ってくれたので、なんとなく喋っていた内容を想像することが出来た。
それにしても、桃饅頭とはどんな食べ物だろうか? それに幻の名物という位だからさぞかし美味いのだろう。
店名の印刷がされた包みを眺めていたが、お礼を言わなければとシン・ユーの咳き込みを聞いて我に返る。
「あ、ありがと!」
「……いえいえ」
礼を言った途端に桃饅頭の包みはシン・ユーに没収され、シャン・シャの手に渡った。そしてついでなのか、扇で顔を隠せと注意される。
私は美味しそうな土産に夢中で、しなければならない礼儀を忘れていたらしい。後で説教があるかもしれないと怯えつつ席に着いた。
「いやあ、シン・ユーが結婚だなんて信じられないね」
シン・ユーの心の友の名前は発音が特殊なものらしく、呼びにくいのでファン・シーンでいいと教えてくれた。
よく喋る青年、ファン・シーンは華族出身なのだろう。肩まである髪の耳付近を三つ編みにしている。お茶を飲む手つきもどことなくお上品だ。
そんなことはさて置いて、依然としてファン・シーンの言葉を聞き取れずに居た私は、シン・ユーにどうすればいいのか聞きたかった。
「あ、結婚式の招待客のことだけどね」
ファン・シーンは何やら懐から手紙のようなものを取り出して読み始めた。機会は今しか無いと思い、彼の言葉が聞き取れませんということを何とか伝える作戦を始める。。
十秒ほど考えた結果、シン・ユーの太ももに指先で文字を書いて知らせることにした。客人から見えない場所にあり、自分の手の届く部位が太ももしかないからだ。
ところが、一画目を書いた瞬間に手首を掴まれて、乱暴にぽいっと投げ出されてしまった。
ゴミを捨てるかのように人の手を放り投げるなんて酷いことをする。抗議の意味でシン・ユーの顔を見れば、その視線は怒りで満ち溢れていた。
――どうやらお触りは禁止だったようだ。
だったら耳打ちをするしかないと、体に触れないように用心しながら体を寄せたが、その触れていない体すら強く押し返されてしまった。
「いやあ、仲良しさんだね」
「!?」
手紙を読みふけっていたと思われるファン・シーンがこちらを愉快そうな顔で見ているのに気が付き、私は誤解されるような行動をしていたのかと赤面する。
これは反省会が本当に開かれるかもしれないと、一人戦慄をしていた。
そんな折に茶菓子が運ばれた。
蒸篭の中に入っているのは果物の形を模したと思われる饅頭だ。これが桃饅頭なのだろうか?
「これ、さっきの?」
「勿論でございます」
饅頭が冷えかけていたので、温め直してくれたらしい。
桃饅頭には魅惑的な湯気が漂っていたが、ほとんど何も喋らないシン・ユーが恐ろしくて、動けないまま時間を過ごすこととなった。




