11.シン・ユーとお出かけ。その壱
シン・ユーが跨っているのは、見たことも無いような立派な馬だった。
鹿毛というにはかなり赤っぽい気がする。何色と表現すればいいのか、赤錆色よりもずっと明るい。その美しい肢体は艶々と光り輝いており、しなやかな線を作り出している筋肉も見事なものだ。それを引き立たせる細い足は羨望してしまう程である。
ビクビクしながら見上げる私を「本当に背中に乗せて大丈夫なの、この子?」と語っているかのような視線が注がれているのを感じる。
このビクビクという感情が馬に対してなのか、馬上のシン・ユーに対してなのかは自分でもよく分からなかった。
シン・ユーに再び早く乗れと急かされたので、足を掛ける馬具のある方へ回っていく。今度は手を差し出してくれたので、ありがたく握り締め、よっこいせーという掛け声と共に馬具を踏み締める。
自分の力で上ったというよりは、ほとんどシン・ユーの力で乗せて貰ったと表現するのが正しいだろう。股を開いて乗ろうとしていたら、途中で足を開けない構造になっている華服を着ていることを思い出し、どうしようと躊躇っているうちに、お腹を抱き寄せられて横乗りに座らせてくれた。
「あ、ありがと」
シン・ユーはお礼の言葉を無視して馬の腹を蹴る。突然の発進に焦った私は、鞍の握りをぎゅっと掴んで振り落とされないように身を硬めた。
その昔、ライエンバルド家には一頭の馬が居た。母親が実家から持って来た白馬だった。
とても大きな馬で、記憶には無いが私が幼い頃は三人で乗って出掛けたこともあるらしい。
その馬は私が八つの時に貴族税の代わりに持っていかれてしまった。今を思えば割りに合わない取引だっただろう。
貴族税は一ヶ月に付き、一人当たり金貨一枚。
白馬は安くても金貨十枚ほどで売れるのだ。
当時、貴族税を払える余裕の無かった両親は、やって来た役人の口車に乗せられて、高価な馬を手放す事態となっていた。
今日、馬の上に乗った瞬間、その時の記憶が蘇って来て、なんとも言えない気分になる。
あの白馬は優しい性格で、子供だった私を馬鹿にしないで大人しく乗せてくれるいい子だったのに、見ず知らずの役人に持っていかれて、その日からしばらくは悲しみに打ち拉がれていたのだ。
「……」
そんな幼い頃の記憶を思い出して憂鬱になっていたが、シン・ユーが馬の腹を更に蹴って速度を速めたので、それ所では無くなっていた。
足を掛ける馬具、鐙に乗っているのは片足だけなので、コロリと振り落とされてしまうのではないかと不安になる。一応命が掛かっている事態なので、念の為に控えめな抗議をしてみた。
「シンユウ」
「なんだ?」
「なんだか、落ちソ」
「……」
シン・ユーは手綱から右手を離して、私の腹を抱き寄せるようにぐっと引き寄せてくれた。
やったー!! これで大丈夫、絶対落ちない!! いやあ、本当に良かった、良かった!!
と、思う訳が無い。
生まれて此の方十八年間、父親以外の男性とこのように接近をしたのは初めてだ。恥ずかしながら、顔に熱が集中してしまう。
そんな心情とは別に、私にも年頃の少女らしく恥らう心があったのだな、と感動してしまった。
そのようなことよりも、シン・ユーに落ちると抗議しないで、もっと踏ん張って耐えれば良かったと後悔をする。文句を言えば速度を落としてくれると思い込んでいたのだ。
心臓のドクドクが聞こえそうで恥ずかしいので、速度を緩めて貰って距離を置こう。そう決心して、無言で馬を走らせるシン・ユーに声を掛けた。
「シンユ、――!!」
「速度を落としてくれッ!!」と本日二回目の控えめな抗議をしようとしたが、名前を言い切る前に舌を噛んでしまった。
ザン=シン・ユー、異国人の私には言い難い名前である。
「!?」
舌が痛くてそのまま黙り込んでいたが、シン・ユーはまだ私が落ちる心配をしているのかと思ったのだろうか、更に体を引き寄せてくれた。
この動作のせいで、完全にぴったりと体を寄り添う体勢となってしまい、私は混乱と緊張で体を更に硬くしてしまう。
押し付けられた体を押し返したい衝動に駆られたが、周囲に視線を泳がせれば、物凄い速さで道を通過していることが判明する。
それに気が付いた一瞬のうちに恥ずかしさなんか吹っ飛んでしまう。今度は再び振り落とされないかという不安がふつふつと湧いてきたがどうする事も出来ないので、そのまま賢者のような表情を浮かべつつ、目的地まで大人しくしていた。
一つ分かったことと言えば、シン・ユーの体は生温かく、正真正銘の血が通った人間だということが判明したことだろうか。
やっと目的地に到着し、自由な身になれたと背伸びをする。
お馬さんは店の裏手に店員の手によって連れて行かれていた。
大華輪国での主な移動手段は主に馬の直乗りだという。馬車はあまり普及しておらず、華族でも持っている家は少ないらしい。
「早く中へ入れ」
はーい!! って、ココ何処デスカ!?
辺りをキョロキョロと見渡して、状況の判断に努める。強制的に連れて来られたのは布地を扱う商店のようだった。
何故ここに? と聞く前に腕を掴まれて引き摺られるように入店させらせる。
店内には壁を埋め尽くさんばかりの、丸まった状態で収納された布地で溢れていた。店内に居たお姉さんの雰囲気から高級品を扱う店だということが分かる。
店の中にあった椅子に座らされて、店員の手により肩にいくつもの布を掛けられてしまう。
店員のお姉さんは、出会ったどの大華輪国人よりも喋りが早く、折角話しかけてくれたのに、あーとかうーしか言えず、まともな回答が出来ていなかった。
それよりも会話の中に【一点もの】とか【最高級品】などという怖い単語が聞こえたのだが、気のせいであろう。というか、そんな凄い布を使って作った服をどこに着ていくというのか。
それから採寸を取られ、首を傾げた状態で店を後にする。
結局何をしに来たのかは理解出来ないでいた。でも採寸をしたので、何か布を買って作るように依頼したことは分かった。
その後、宝石店に装飾品を扱う店を回る。
最後に行った縁起物を扱う店では、龍の置物と花のお茶その他数点を選び、最後にそれらを綺麗な模様が描かれた真っ赤な箱に詰めるように指示していた。
そして、シン・ユーは買った品を持たずに、何故か手ぶらで店を出る。
「市場に行くと言っていたか?」
「う、うん」
謎の買い物巡りは終わったようだ。一体何の買い出しだったのか。最早、買ったと思わしき品々は記憶に無く、行く先々で欲しい物はあるかと聞かれたが、首を力いっぱい振って何も要らないと主張したことしか覚えていない。
目的の場所(診療所)から少し離れた場所にある市場へと到着した。
時刻はお昼前となっていたが、人通りは多い。
市場には動物の乗り入れが出来ないようで、入り口に居るお兄さんに馬を預ける為に、シン・ユーと二人して受付の列に並んでいた。
ちなみにこの決まりは国が強いていることなので、数人の役人と武官でこの場を取り仕切っている。
武官のお兄さんは気だるそうに長い列を捌いていたが、シン・ユーの顔を見た途端に姿勢が良くなっていた。背筋が思わずピンとなってしまう気持ちは良く分かる。
「――ザ、ザン中郎将ではありませんか!! 気付かずに申し訳ありませんでした」
「私用だ。気にするな」
シン・ユーは畏まる職場の知り合い(?)を気にも留めずに、書類に何かを書き進めている。
「あ、あの、中郎将、こちらの女性は」
「妻だ」
「は、奥方、で?」
「……そうだと言っている」
「さ、左様でしたか!!」
異国人を初めて見たのだろう。義母のお茶会に来ていた奥様と同じような、珍しい物を見る視線に晒される。
「早く処理をしろ」
「!! ッ、はい!!」
シン・ユーに怒られてビクリと体を揺らしたお兄さんは受け取った書類を手に、後方の受付へ走る。戻ってきた時もまた怒られるのかとビクビクしながら、シン・ユーの馬の手綱を受け取っていた。
「よ、よい休日を!!」
「……」
「あと、お、奥様も」
「ありがと」
シン・ユーは相変わらず無愛想で居たので、代わりに私が引き攣った笑顔で返事をした。そのぎこちない顔を見て安心したのか(?)最後にはお兄さんもにっこり笑顔となる。
「早く仕事に戻らないか!」
「ヒ、ヒィッ!! 了解であります!!」
何故か怖い顔になっていたシン・ユーに怒られてしまったお兄さんは駆け足で馬を引いて行く。あんなに怯えて可哀想に。
シン・ユーは職場でも怖ろしい存在であるのだと分かった瞬間だった。……いや、なんとなく予想は出来ていたけれど。
この受付を終えると、指定した市場の出入り口に馬を移動してくれるという仕組みになっているとか。すごく便利な取り決めだと思う。
だが、目的の診療所のある道を選んだのかは謎だ。シン・ユーには行きたい場所を告げないままなのだ。
ドサクサに紛れて辿り着く事は可能だろうか、そんな目論みを抱え込んだまま、市場の中へと進む。




