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没落令嬢の異国結婚録  作者: 江本マシメサ
一章【星を胸に旅立つ少女】
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1.貧乏暇無し

 ――貧乏貴族の朝は早い。


 庭で飼っている朝告げ鳥の甲高い鳴き声を聞いた私は、カーテンの隙間から差し込んで来ていた日の光を確認し、温かな布団の中を名残惜しいと思いながらも、気合いを入れて起き上がる。


 少し前まで積もっていた雪は溶けて無くなっていたが、まだ暖かな時季には程遠く、朝は酷く冷え込む。


 暖炉の中には火どころか、灰の一粒すら存在しない。薪を買うお金が無いからだ。

 被り布団の上に重ねて置いていた綿入りの上着を羽織った私は白い息の出る部屋から出ていく。……まあ、廊下に出ても白い息は出るけれど。


 その昔、莫大な財産を有していた、このライエンバルド伯爵家のお屋敷には百名以上の使用人が働いていたらしい。

 それは私が生まれる前の話で、過去の栄光というヤツだった。何故ならば、ライエンバルド伯爵家の財産は悪しき伯父の手によって無惨にも食い潰されている。今は毎月のように国から毟り取られる貴族税の請求を細々と払うだけの義務しか果たしていない。貴族とは名ばかりの貧乏一家だ。

 もちろんここには使用人など居る訳も無く、現在は私と父親しか住んでおらず、使う部屋しか掃除をしていないので、屋敷の中の空気はどこか埃っぽい。

 幼い頃に聞いた屋敷を綺麗にしてくれる妖精のお伽噺話を思い出しては、何度も羨ましいと思ったことか。

 だが、私に妖精を召喚する魔力があった所で、このハイデアデルン国には、魔術の実行を可能とする精霊の存在が無いので、正に夢物語と言っても過言ではなかった。


 そんなことよりも、庭の野菜が心配だった。先程窓から外を見たら霜が降りていたのだ。

 一度凍ってしまった野菜は甘くなるが、今の時季は昼間になると気温が上がるので、その温度差で傷んでしまう。なので、早急に収穫をしてしまおうという訳だ。


 かつては美しい庭園だったと言われていた場所は、荒れ果てた雑草だらけの草むらと化している。否、ここに生えている植物は私達親子の貴重な食料なのだ。

 目の前にある赤みの掛かった葉を歩きながら毟り取り、籠の中には入れながら目的地を目指す。

 

 畑までの途中地点にある草むらを掻き分けると、朝告げ鳥の巣がある。乾いた草が重なった巣には三つの卵があった。

 わが家では四羽の朝告げ鳥を放し飼いしているが、一羽卵を産まなくなってしまった。朝告げ鳥は大体二年程で卵を産まなくなるのだ。

 そういう状態になった鳥は、大変申し訳ないのだが、捌いて頂くようにしている。

 もちろん十八歳であるか弱い私が動物を捌ける訳が無いので、知り合いの肉屋さんに持っていって、ちょっとした労働と引き換えに解体してもらうのだ。


 鳥には足に小さなリボンをつけて管理をしているので、個体を見ればすぐに分かる。


 久々に肉を食べれることを考えると、自然と口の中が潤ってきていた。


 どう調理しようか、妄想が膨らんでいく。


 硬いむね肉は香草を擦り込んでから薫製にして、柔らかなもも肉は香辛料を振って炙れば最高のご馳走になる。他にはずりとも呼ばれる筋胃はコリコリしていて、串焼きにすると美味しくて、その周囲にある肝は甘辛く味付けをして煮込むと絶品となる。心臓は歯ごたえがあり、焼き物に適していて、手羽先や手羽元は時間を掛けてじっくり揚げると旨味が凝縮された一品となる。軟骨は細かく切り刻んだ肉に混ぜて団子状にして、スープにいれたり、背肝や首肉は一羽の鳥から取れるのは少量だがとても美味で、軽く炙れば父親の酒の肴となるのだ。

 

 朝告げ鳥はいい。他の家禽と違って臭みも無く、皮も骨も、小さな(あんよ)まで食べる事が出来る。羽根は綺麗に洗って防寒具に使う事も出来る。棄てる部位が無いのだ。


 ガサリ、と草むらをかき分ける一羽の鳥と目が合った。足に付けているリボンは薄汚れてしまった黄色。二年以上飼っていた鳥に間違いはない。


 私と朝告げ鳥が地面を蹴ったのは同時だった。


 コケコケと鳴き声を上げながら駆け出す鳥を、私は逃すまいと猛追した。


 この広い庭では、鳴き声は聞こえども鳥自体を見かけることは珍しい。だから私はこの千載一遇の場を逃さなかった。


 朝告げ鳥は追って来る私を撹乱しようとするすると草をかき分け、木と木の間をすり抜けて行く。


 ――生意気な(しゃらくさい)鳥め。


 毒づきながら霜が降りてザクザクと足音の鳴る土の上を底が滑擦り切れた長靴で踏み切り、白い息を弾ませながら全力疾走をしていた。


 あの鳥が行き着く先には畑に刺さった大きな柵がある。年がら年中庭に放し飼いにした鳥達が入らないようにしている物だ。

 その大きな柵に驚き、鳥が怯んだ一瞬の隙に私は躊躇うこと無く白い羽毛の家禽を掴んで、蓋のある籠の中へと放り込んだ。

 鳥は籠の中で思いの外大人しくしている。コツコツという微かな振動を感じるので、もしかしたら私が先程摘んで入れていた香草を()()みしているのかもしれない。

 うちの鳥肉は放し飼いにしていて、尚且つ雑草のように生えている香草を好んで食べているからか、店で売っている物とは比べ物にならない位美味しい。

 夕食に並ぶ予定の鳥料理を妄想しながら、畑の野菜の収穫を始めた。


 ◇◇◇


 庭の散策が終わり、朝食の準備に取り掛かる。

 朝の食事は基本的に火を使わないで作る料理が多い。竈用の薪を節約する為だ。

 

 棚の中から半分程になった黒いパンを取り出す。これは長期保存の効くもので、最大で十四日は保つのだ。黒い小麦は白い小麦の値段の半分以下で、月に二、三回パンを焼く竈に火を入れて焼くのだ。

 材料費は安く、長期保存が可能という夢のようなパンだが、あまり美味くは無い。何度も咀嚼すれば甘味も感じるが、その前に顎が疲れるので、ほとほどに噛み砕くとのみ込んでしまう。それに時間が経つにつれて歯が欠けそうな位硬くなるので、薄く切って食べるようにしている。

 パンの上には擦ったチーズと細かく刻んだ薫製肉を乗せて完成だ。パンは一人三枚、それがいつものライエンバルド家のささやかな朝食だった。


「おはよう」

「おはよー」


 欠伸をしながら起きてきたのは新聞配達から帰って来て、二度寝をしていた父親だ。いつもの貧相な朝食を見て、美味しそうだねと言いながら席に着く。


 三年前に母が亡くなってから、私と父親は肩を寄せ合うようにして暮らして来た。

 母を亡くした後の我が家は光を失ったかのようになった。それに加えて外に働きに出ていた母の収入が無くなったことによって、生活も苦しくなったのだ。

 親子二人して心身共に貧しくなってしまったが、それを紛らわすかのようにして父は仕事を増やし、自分もお針子の仕事を始めた。


 それから三年が経ち、私達親子は必死に生きて来た。


「――ここに用意されたものに祝福を」


 父と共に食前の祈りを捧げ、質素なパンに水という食事に手を付ける。


「ああ、美味しいね」

「……うん」


 粉末チーズと申し訳程度に乗っている薫製肉のパンを食べながら父が笑顔を見せる。

 歯が折れそうな程に硬いパンが美味しい訳が無い。けれど、父は本当に美味しそうにパンを食べている。

 そんな父の手は印刷所の仕事で負った擦り傷だらけで、三年前から始めた早朝の新聞配達のお蔭で酷く痩せ細ってしまった。

 少しでも力の付くものをと思ってはいるが、毎月の貴族税の支払いがそれを許さないのだ。

 基本的に貴族の名前を棄てるという行為は出来ないようになっているが、唯一の例外として金貨百枚を払うことによって、その一族が爵位を放棄することを認められている。

 まあ、金貨百枚など到底無理な話で、私達はこうして貧乏生活を続ける他に道は無いのだ。


「今日は霜が降りていたね」

「朝の配達、寒くなかった?」

「大丈夫だったよ。霜の日は地面がサクサクして楽しいよね」

「……」


 なんというか、父は驚くほどに楽観的でいつもほわほわした雰囲気だ。貴族令嬢だった母もおっとりしていて、没落貴族という汚名を背負った生活の中でも、両親共々悲壮感の欠片も無かったのだ。


 亡くなった母がよく言っていた言葉を思い出す。


 『幸せはその辺にいくらでも転がっているのよ』


 庭に咲いた花がとても綺麗だ、家族で揃って食事をするのが楽しい、今日は久々に晴天だ、そんな些細なことでさえ母にとっては幸せとなるのだ。


 随分と線が細くなっている父親を眺めていたら気分が暗くなっていたので、気を紛らわせる為に幸せを探してみる。

 

 近々夕食に鳥肉が並ぶ、今日は天気がいいから洗濯物がよく乾きそうだ、明日は給料日。

 母の言っていた通りに目を凝らして探せば、幸せなどいくらでもあるのだ。


 生活が貧しくても、心を豊かにする方法を私は知っている。


 だから、私は毎日頑張れるのだ。

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