モンスターブックコンプリートを目指せ!
神さまは困っていました。
その神さまはようやく独り立ちを許され意気揚々と自分の手でひとつの世界を作って見守っていた新米の神様でした。
人とそれ以外の種族が多く存在し、魔法と呼ばれる不思議な力に満ちた……それはとある古参の神さまが作った世界風にいうと剣と魔法のRPG風の世界でした。
神さまはそれはそれは熱心に世界を作られ、見守っていました。しかし、ある日、自分の世界に自分が作った覚えのないものが混じっていることに気づきました。
”それ”は禍々しい気を発し、通常よりずっと強い力と魔力を内包し体はどこかいびつでした。いびつで歪んだ”それ”はいつの間にか神さまの世界に生まれあっという間に多種多様な種族を生み出し広がっていきました。
その様子はまさに風呂場にはびこるクロカビのようだったと神様の知人は後に言ったとか言わなかったとか。
あせった神さまは”それ”を把握しようとしましたが神さまは世界を作り、見守る存在なので世界の中の出来事は大雑把にしかわからず”それ”の正体も把握できません。人間が肉眼でカビを細かくみることができないのと同じですね。力が極端に強いものについてはかろうじてわかったので神さまは専用に作った本にそれを記します。だけどそれは全体からすれは本当に微々たる数でとても”それ”の正体を知るほどの情報は得られません。
困った神さまがため息をつきながら地上を見ていた時、ついウッカリと異物について微々たる情報を書き留めていた本を落としてしまいました。
あ、と思った時には雲をつき抜け地上のとある一人の少女の所へと本は落ちていきます。轟音と土煙を上げて。
カタリナは走っていた。
まるでどこぞの異世界の長有名名作の出だしのような状況だ。
神様がこの状況を見ていたら確実に突っ込むだろうが残念ながら神様は自分のうっかりにあわてている最中なため突っ込みはもちろん、ない。
バンダナから飛び出した赤い癖毛は汗が滴り落ちいつもは陽気な緑色の瞳には生への強い渇望が浮かんでいる。しなやかに伸びた腕と足を最大限に生かしつつ薄暗い森を走るカタリナの速さは目を見張るものがあった。
もともと優れていた身体能力の限りを尽くし全力前進必死の形相で爆走するカタリナの背後には百年ほど前から各地に現れるようになった”魔物”神様の言うところの”それ”で狼に似た見上げるような大きさの体躯と理性が欠片も見つけられない狂った瞳とそれを裏切らぬ狂暴性は他種族だけではなく飢えを感じれば同族でさえ襲う。魔物の中でも出会いたくない部類になるそれを人は「狂狼」と呼んでいた。
本来ならこの地域にはいないはずの狂狼とうっかり出くわしてしまったカタリナは運がないとしかいいようがなかった。
(ありえない有り得ないアリエナイあ~~り~~え~~な~~いぃぃぃぃぃぃぃ!!)
不吉しか感じない飢えを感じさせる獰猛な息遣いを背後に痛いほど感じながらカタリナは走る。
風を切る音が耳元でして涙のにじんだ目に風がえらく染みた。
彼女はまだまだ独り立ちしたばかりの冒険者。
いきなりA級モンスターとの対峙は荷が重過ぎるだけでなくそのまま命の危機に直結であった。
不運だ。不運すぎる。
しかし彼女が自身の不運に抱くのは一般とはちょっと違う感想だった。
(またか?またなのか?ど~~してあたしにはこうも不運が付きまとうのよぉぉぉぉぉ!!)
カタリナ、十六歳。職業は新米冒険者、特質すべきこと……冗談のように不運に見舞われる類まれなる不幸体質。
それゆえに出会うはずのない場所で飢えたA級モンスターに出会ってしまったりもする。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
涙を撒き散らしながら必死に走るカタリナだったが彼女が得意な戦法はナイフを使いすばやさを生かした近接戦だったため逃げる以外のコマンドを選べない。
追加でいえば戦闘能力はあまり高くなく素早さ以外に特筆できる能力はあまりない少女であった。
ドスドスと不吉な足音が先ほどよりも近くなってくる。
怖い怖い怖い怖い!!
近い近い近い近い!!
息がぁ!生温かく生くさい荒い息がくるぅぅぅ!!
はぁはぁという荒い息とよだれが垂れていく音がリアルに背後から感じられてカタリナの恐怖がどんどんあがっていく。
(死にたくない死にたくない怖い怖い気持ち悪い近づくなどっかいってぇぇぇぇぇぇ!!)
「だれかたぁ~~~~すぅ~~~~けぇ~~~~てぇ~~~~べぶしっ!」
この土壇場でよりにもよって足が縺れてしまいその場に顔から思いっきり転げてしまうカタリナ。
(い~~や~~なんでこんな時に不運発動するのよぉ~~!!)
そして当然のごとながら無防備に背中を見せるカタリナに襲い掛かる狂狼。その気配を感じながらカタリナはぎゅうと目をつぶって覚悟を決めた。
地上で一人の少女が不運にも命を魔物に奪われそうになっていた時と遥か高みで神様がうっかり落し物をしたのはほぼ同時で。
いくつもの時空、いくつもの雲を目にも留まらぬ速さで突き抜けた本はまるで測ったかのようなタイミングで今まさにカタリナを食い殺そうと牙を剥いた狂狼の脳天に直撃した。
ずがかかかかかかぁぁぁぁぁぁぁん!!??
物凄い地響きと衝撃、そして土ぼこりであたりが見えなくなってしまう。げほげほと咳き込みながらも何が起こったのかわからないカタリナは転んだまま匍匐前進でとにかくその場から離れようとしていた。
今までの不幸経験からいってこういう最大級の不幸から逃れられたと思ったあとは厄介なことに巻き込まれるのが彼女のセオリーなのだ。きっと今回もセオリー通りに違いない。そうだ。だから逃げるのだ!
一度だって逃げ切れたためしがないくせに今度こそはと逃げの一手を打つカタリナ。だが今回も彼女は不幸と厄介ごとの神様に微笑まれ、幸運の女神からは盛大に砂をかけられそっぽを向かれているようだ。
ずりずりと何かが上から落ちてきたらしい爆心地からどうにか離れようとしていた彼女の鼻先にぽたり、と何かが落ちる。
「ん?」
匍匐前進をやめまじまじと見ているとぽたぽたと液体が落ちる音が続く。よくよく見るとそれは赤黒くてちょっぴり鉄さびに似た匂いが……。
おそるおそるその液体をたどって視線を上げていき……そして、カタリナは分厚い角から血(明らかに狂狼の血ですよね。はい)を滴り落としながら空中に浮くというホラーなんだか非常識なんだかわからない本の姿を目に留める羽目になってしまった。
「ひぇぇぇぇぇ!」
ばね仕掛けのおもちゃのように跳ね起きたカタリナが手だけで即座に怪しげな本から離れる。
(何これ何これな~~に~~こ~~れ~~!!)
内心大パニックのカタリナ。顔は引きつり、泣き出す寸前である。数々の不幸に見舞われ厄介ごとに巻き込まれた経験があるとはいえ基本的にカタリナの精神は弱い。限りなく弱い。生活のためでなければ冒険者なんてやってないぐらい弱く泣き虫なのだ。
「ううううぅぅぅぅぅぅ!」
唇を噛んでどうにか泣き出すのを堪える。不幸な出来事にあって泣いてわめいたとしてもどうにもならい。むしろ事態悪化をもたらす可能性が高くなるということを身をもってしっているから泣き出さないようにカタリナも必死だ。
そんなことを考えている間にもじりじりと怪しげな本から距離を取る。
本はぷかぷかと浮かんだまま。
そろりそろりと距離を取って立ち上がったカタリナは本から目を離さないままゆっくりと離れようとして。
うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ!
怒りの篭った遠吠えに空気がぴりぴり震えた。
すっかりお空からの落下物(本)に倒されていると思っていた狂狼の強靭な生命力を甘く見ていたカタリナは血まみれで怒り狂った狂狼のまん前に立っていたのだ。
「ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
ぐぁ!と血の糸を引きながらあけられた口が怒りのままカタリナを食らおうと迫ってくる。恐ろしさで悲鳴しか上げられない。
『……再起動終了。状況把握開始。……目前にアンノン確認。状況把握を一時中断。データー収集を最優先とする』
人の声なのに肉声に聞こえない温かみの全く感じられない男の声がカタリナの背後から聞こえた。
「……へ?」
振り向けばいつの間にやらすぐ傍で浮かんでいる本。声はなぜだか本から聞こえてくるようだった。
『……アンノン負傷のため凶暴性の高まりを確認。自己防衛のため無力化を開始』
「へ?へ?へ?」
『攻撃開始」
淡々と声が言った、
びゅんと音がするほどのスピードで風を切ると次の瞬間には本が狂狼の眉間に勢いよく当たった。
どういう素材でできているのか本の攻撃に狂狼が盛大によろける。攻撃が効いているのだ。本なのにすごい!
すごい……の、だけど。
「ひっ!」
どかどかばきぐきゃ。
「ひぃぃぃぃぃ!」
どがどごどか。
「がたがたがたがた!」
それを見ている(腰抜けた)カタリナはどんどん顔面蒼白になっていく。
本はそのまま一度離れると再び狂狼を殴打して鈍い音と狂狼の痛そうな鳴き声が聞こえる。もうこれ、どついでいると言っても過言ではない。狂狼も手痛い攻撃をしてくる小さな物体をとめようとするが本はその小ささと素早さを生かして飛び回って捕まらない。
本のあちらこちらに血やら毛やらがついているのがリアルで怖すぎる。
そうこうしているうちにダメージが蓄積されてきた狂狼の動きが明らかに鈍くなる。息もつらそうで出血量も多い。これは本の勝利か、と思われた時、急に本がどつくのを止めた。
『対象の戦闘意欲の低下を確認。安全にデータスキャン可能と判断」
何やらわけのわからないことを言い出した。
思わず心の中で突っ込みを入れてしまうカタリナ。
ぱららと今までどれだけ飛びまわろうがどつこうが全く開くことのなかったページが勢いよくめくれていく。そしてめくれていくページからいく層にも重なった光が現れ立っているだけでやっとの狂狼の全身を照らしていく。居心地が悪いのか光から逃げようとする狂狼だがろくに動く体力もないらしくその場に座り込んでしまう。そして光はそれでも容赦なく狂狼を照らし続けていた。
前後左右様々な光の層が何かを調べるように動き、それらは数分で終わり、唐突に光は消え、本もいちのまにやら閉じられた状態で空中に浮かんでいた。
『生体情報およびに血液、毛のサンプル採取終了。……種族分類名不明……。名称の必要性を確認。……そこの第一原住民。そこれに名があるのなら速やかに述べよ』
「ふぇ!あ、あたし!え、え~~っとあの狂狼です!」
『了解。種族分類名「狂狼」で登録……登録完了。ページに新たに登録個体が増えました』
それだけ言うと本は沈黙する。不思議なことに表面にこびりついていた汚れ(何の汚れかなんて深く考えたくない)も消え去り新品同様のきれいさである。
しばし誰も動かないししゃべらない。だけど本が動き出すこともなくただいたずらに時だけが過ぎていく。
『…………』
「え~~っと」
これは一体どういう状況?
「ぐるぅぅぅぅぅぅ!」
後ろからうなり声が聞こえるのですけど!
かなり危険な感じなうなり声がぁ!
え?
何?
何もしないの?
あんだけボコボコにしておいてよりにもよって放置ですかぁ!
「がうぅ!」
「ひょえぇぇぇぇ!」
再び始まった鬼ごっこ(命がけ)。狂狼の方も痛い目見せられたせいか本のほうには見向きもせずに腹いせとばかりにカタリナにまっしぐらに走ってくる。
カタリナだってここで食われてたまるかと全力疾走。そして冒頭のような鬼ごっこに逆戻り。
「な、な、なんなのよぉぉぉぉ~~~~!」
涙目になりながら再び走り出したカタリナだったが今度は相手の方にダメージがあるので先ほどよりかは距離が開いている。
おっしゃ!逃げ切れる!
と思ったら。
「ぶふぁ~~!」
足が縺れた。嫌がらせのようにまた、地面と顔からお友達になった。
不幸の神様は絶好調で彼女を愛でているようである。
「~~~~っう!」
逃げないと!
それだけを思って顔を上げたら鼻先に本が浮いていた。
「へ?」
『……第一原住民、助けて欲しいか?』
どどどっと後ろから迫ってくる死と同義の足音を一瞬忘れた。
カタリナは本を見る。本は静かに同じ言葉を繰り返した。
『第一原住民、助けて欲しいか?わたしの手足となり粉骨誠意仕え敬い身を粉にして働き尽くすならばその命、助けてやらないでもない』
はい?
一体この本が自分に何を求めているのかわからず固まってしまうカタリナ。
『ちなみにアンノン……登録名「狂狼」はお前の目と鼻の先までの距離にまで迫っているため選択は早めにした方がいい』
「助けてください!」
よく吟味もせずにカタリナは反射的にそう言っていた。
騙される人の典型的な事例である。
『…………その言葉、受理した』
それが、一人と一冊の冒険の始まり。神様の作った意思を持つ本「モンスターブック」と不運と厄介ごとに愛される冒険者カタリナのこの世にはびこるモンスターの生態全てを調べつくし記録するという途方もない大仕事の始まりの第一歩。
「そんなの聞いてないぃぃぃぃぃぃ!」
『契約の破棄は不可。諦めろ』