2月8日
2月8日。
俺は靴をはきながら、昨日の事を、これからの事を考えていた。
しかし、よく考えてみれば俺は心配することなんて無いんじゃないか?
持木はきっとまた家に来て俺にだけくれるのではないか?
確かでないことではあるが、それだけが俺の心に余裕を持たせる。
玄関から外に出ると、隣から「いってきます。」と声が聞こえてきた。
「あ、春登!おはよう。」
「よお。」
持木も丁度今出てきたようだ。
同じ学校にいくのだから時間的にも偶然と言うほどではない。よくあることだ。
しかし、慣れていても、運命の日を意識すると、女子と会話をするということに対し言い知れぬ緊張感が襲った。
それと同時に『誰にやるか聞く』というミッションが自然と発生した。
タイムリミットはバスに乗るまでだ!そこからは別行動になってしまう!
「な、なあ持木よ。」
俺は意を決した。
「ん?」
「14日…。バレンタインに、誰にやるか決めてる…?」
「…。」
彼女はそれまで俺に向けていた顔をゆっくりと正面へ戻した。
「ほ、本命じゃなくていいからさ!義理チョコだけでも誰にやるのか教えてほしいな~~って。」
「…。」
何故黙っている?
何か気に触れる事でも言ったか?否、そんなことはないはずだ。
「昨日先生言ってたじゃん。学校にチョコは持ってきちゃだめだって。」
・・・!!
これは、誰にもやらないよ!ということなのか!?
何故だ!普通こういう日は校則という拘束を振りきって持ってくるものではないのか!
それとも俺らのために危険を冒す気など毛頭ないという意思表示なのか!
酷い。酷過ぎる。俺らがその日に対しどれだけの期待を寄せているのかも知らずに!
「じゃあさ、持木以外には持ってくる人って…。」
「灰原さんはみんなにあげるって言ってたなー。やめたほうがいいよって注意したのに。」
なん…だって………。
俺はショックのあまりにその場に立ち止まってしまった。
「なんで止まってんの?灰原さんから貰えるのがそんなに嬉しい?」
違う違う。その真逆だよ。
なんでお前からは貰えないのに、絶対欲しくない灰原のだけ貰わにゃならんのだ。
「毎年くれてたのに今年は…」
「あ、そういえば佐々木さんが本命チョコあげるって言ってたなー。誰かは教えないけど。」
聞こうとしたことは遮られ、いきなり重要情報が飛び込んだ。
佐々木さん…。可愛いし性格も結構いいけど、彼氏いなかったっけ?
「なんか最近別れたんだってさ。好きな人出来たからフったって言ってたよ。」
まるで心を読んで答えたようだった。幼馴染故のテレパシーなのだろう。
「なにかヒントとかないの?」
「知ってどうするの?まさか自分が貰えるとか思って…。」
「そ、そんなことは無いけどさ。一応興味本位で…。」
必死に否定したが、本当はお前から貰えるものだと思ってた。
「一つだけね。春登たちのグループにいるよ。」
おぉ…。これは朗報だ。学校に着いたら確実にあいつらに伝えねばなるまい。
話に夢中になって気付かなかったが、いつのまにかバス停についていて、乗るバスが来ていた。
田中と教室につくと、そこにはいつもの円陣が無かった。
「おい、どうしたんだコレ。」
「なんだかな、集まる気がしないんだよ。たぶんみんなそうなんだと思う。」
席に着き、隣の遠藤に話しかけた。
どうやら昨日の事でみな意気消沈してしまったのだろう。
「今すぐみんなを集めるんだ。伝えたいことがある。」
「え?今さら…。」
「いいから早く!」
俺と遠藤はいつものメンバーを教室の隅に呼び集めた。
「なんだよ後冬。お前だけ持木さんから貰えるとかだったら殺すからな。」
田中が脅しをかける。
「いや、そうじゃない。あいつ、先生の言ったことを守るって馬鹿正直に言いやがった。」
「尚更悪いじゃないか。」
そうだそうだとヤジが飛ぶ。
「落ちつけ。まずは悪い知らせからだ。今のじゃない。」
またざわめいたが、「静かにしろ。一度聞いてみよう。」という笹原の一言で皆静まった。流石だ。
「悪い知らせ。それは、俺等が睨んだ通り、灰原が全員に配る計画を立てているということだ。」
俺の予想では、ここで「うげぇ」とか「最悪」などと言われるものだと思っていた。
しかし、皆黙りこくって俺の方を見ている。
「春登。俺等はもう、灰原ごときに膝をついてすがるしか無いということなんだ。
今のこの状況。誰も学校に持ってこないという状況からみれば、それは吉報でさえある。救いの手だ。」
俺は遠藤から出た弱音に愕然とした。
何ということだ。ここまで落ちぶれなければいけないなんて。
「ま、まだだ。まだ早まるな!後一つ、良い情報を持っているんだ!」
俺は早くこの空気から抜け出したい一心で、そう叫んだ。
教室が一瞬静かになるが、またすぐにざわつき始めた。この円陣を除いて。
「…もういい。女神ユノは俺等を見捨てたんだ。これ以上苦しめないでくれ…。」
「佐々木さんが!俺等のうち誰か一人に『本命』チョコを渡す!」
田中の声をかき消すように、俺はそう言った。
5秒の沈黙があった。その間俺は、誉めたたえられる自分の姿を想像していた。
しかしその妄想はまたも打ち砕かれる。
「…だ、誰だ!裏切り者は誰だ!誰なんだよ!名乗り出ろ!早く!」
「そ、そうだ!そいつはここから今すぐ出て行け!絶対に許さないぞ!」
皆が狂ったように互いを攻め合い始めた。
本人さえ分かるはずのないことなのに、何故こうも意味の無い争いを繰り広げるのか。
あの笹原さえも、その時は大きく取り乱していた。
俺は何かを勘違いしていたようだ。
戦友。俺はこいつらをそう思って一緒に戦ってきた。
しかし、こいつらにとって、お互いは敵でしか無かったのだ。
呉越同舟。どうせ義理しかもらえないという同じ船に乗っているからこそ味方だっただけの話。
船を下りればすぐさま矢で撃ち殺される。
本命を貰うと言うことは、そういうことなのだろうか。
「やめろ!」
俺は感情の赴くままにそう言った。
「俺等は何のために戦ってきた?義理チョコを貰うため?違うだろ!」
俺はそう続けた。皆はそこで手や口を止めた。
「…モテる…ため……。」
「そうだ遠藤。俺等はモテるために戦ってきた。それ以外、なにもよそ見せずに戦ってきたんだ。
なのに、やっと赤旗を立てた仲間に対しお前らが贈った言葉は『出て行け』だった!
それは見送りの言葉ではない。妬みそのものではなかったか!?」
「あ…あ…!!」
その時、涙する者もいれば、その場にしゃがみ込む者もいた。
そう、俺等は入学して間もなく同じ意思を強く持ち結成した「モテ隊」なのだ。
決してブレることのない夢。『童貞卒業』を目指して、これまで頑張ってきた。
たとえ敵同士であったとしても、そこには何にも例えられぬ『絆』という物が生まれていた。
それを今、この瞬間、みな思いだしたのであった。




