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四限目が終わって昼休みになる。あたしは後輩が心配になって、後輩のクラスに足を運ぼうとした。
「保坂さん」
席を立とうとしたとき、隣の子から声がかかった。今ちょっといそがしいんだけど。
「――何?」
「昨日、グラウンドで試合してなかった?」
喜々とした眼差しを送ってくる。
昨日といえば、一対0であたしのチームが勝ったやつだ。見ていたのかな?
「うん、チーム二つに分けて紅白戦やっていたけど?」
「やっぱり。保坂さんピッチャーやっていたでしょ。三階から見ていたの。すっごい格好よかった!」
あ、そっか。この子は確か吹奏楽部だから、音楽室から見えたってことね。
「なになに、何の話?」
その娘の話を聞いて、近くの女子二人が集まってきた。
これはもしかして……時間取られちゃう系?
「聞いて聞いて。保坂さんね、昨日ピッチャーしててすごかったんだよ!」
「ああ、それうちもテニスコートから見てた。超格好いいの」
「保坂さん、もうソフトボールで県外の高校に推薦決まってるんだよね? すっごーい!」
「あ、ありがと……」
女子三人の言葉に、あたしは戸惑った。
「保坂さんはすごいなー。どうやったら、そんなに速く投げられるようになるの? やっぱすっごい練習するとか?」
「ばか。保坂さんは天才だから、そんなことしなくてもできちゃうんだって。才能が違うのよ才能が。ね、保坂さん?」
「はは……」
あたしは力なく笑った。
才能ある人でも練習してると思うんだけど。それにぶっちゃけ、あたし才能とか全然ないし。
そんな考えをよそに、女の子達は構わず話し続けた。
「ねえねえ保坂さん、やっぱり将来の夢はソフトボールの選手?」
「え――ああ、そうなれたらいいと思ってる」
「ってことは、誰か尊敬する選手とかいちゃったり?」
思いついたように言う女の子。
そりゃソフトボールなり野球なりをやっていたら、そういう選手の一人や二人は誰にでもいる。もちろんあたしも例外じゃない。
「ミシェル・スミスかな」
「……誰?」
「私も聞いたことない……」
「それって、どんな人?」
みんなは疑問の表情で、口をそろえて知らないと言った。
やっぱり野球と違って、ソフトボールの方はあまり知られてないらしい。目にするのはオリンピックのときくらいだろうから、しょうがないんだけど。
「アメリカ人で、女子ソフトボールのピッチャー。小学校のときその人の投げ方を真似して投げたら、すっごく速くなった」
「へー、そうなんだぁ……。保坂さんより速い?」
「いやいや……。あたしなんて足元にも及ばないって」
「うわぁ、すごい人もいるのね」
「今は日本リーグで投げてるよ。オリンピックとかにも出てて、今まで獲った金メダルは二つ。アメリカ人で、あたしと同じく左投げ左打ち」
周りは興味深そうに聞いていた。
「じゃあ保坂さんは、そのミシェルっていう選手みたいになりたくてソフトボールをやってるってこと?」
「え――」
なぜか返す言葉が詰まる。
そりゃミシェルのような投手になれれば、言葉通り夢のようなことでしょ。ソフトボールのピッチャーなら、誰しもがあこがれる選手だし。
でも――何でだろう。
その質問は、ひどく胸をうった。
「う……うん。ミシェルみたいな投手になりたいね」
よくわからないまま答える。
それでも、周りはいいように受け取ったみたいで。
「おおー! 保坂さん、プロの卵って感じ? 今のうちにサインもらっとこっかなー」
「保坂さん! 明日の試合、絶対見に行くから!」
「吹奏楽部で応援行くから、がんばってね!」
うっわ、そんなことされると負けれないじゃん。嬉しいけどさ、期待してくれて。
そうだ。勝てば、みんなもっと喜んでくれる。だからがんばらなきゃ。
「ありがと。絶対勝つから、応援よろしく」
「「「うんっ!」」」
声をそろえて、快く言ってくれた。ありがたい。
おっと。そういえば、後輩に会いに行かなくちゃいけないんだった。お昼が終わっちゃうから急がないと。
「ちょっと用事があるから、行ってくる」
立ち上がると、女の子達は笑顔で送ってくれた。
「がんばってね、ソフトボール部のヒーロー!」
「うん」
あたしは軽く手を振って、教室の入口へ向かった。
「あ、あのっ!」
「―ん?」
教室のドアをくぐろうとしたところで、誰かが立っていた。確かこの子は、よく図書室で受付をしている図書委員さんだ。名前は、ええと、なんだっけ?
急いでることもあって、待ちきれなくなって聞いた。
「……えーと、何か用?」
「はい……」
消え入りそうな声だ。
「……要件をどうぞ」
「……はい……」
そこまでは会話になったけど、また止まる。
「?」
「……えっ……あっ……」
ずいぶん初々しい娘だ。しきりにもじもじしてる。あーもう、一体何? 早く言ってよ早く。
それから小さな声で、
「……です」
「え?」
「私、保坂先輩のことが好きです。付き合って下さい!」
「え――」
……。
ええっ、こんなとこで!?
いきなりの告白に、あたしは戸惑った。どこかで聞いたことのある言葉だった。ストレートなそれは、後輩の言ったのと同じ。
でも――何か違う。
『先輩、また無茶してないッスか?』
「……っ!?」
あれ、何でだろう……。
不意に後輩の言葉が頭をよぎって――響いた。
「……ねえ」
自分の言いたいことを言って固まっていた図書委員さんは、あたしの声にびくっと反応した。
「――あたしのどこが好き?」
「……え?」
びっくりしないように優しく聞いた。予想外の質問だったのか、図書委員さんは戸惑った表情になる。
「それは……その……エースで、キャプテンで――『ヒーロー』なところです!」
そう、はっきりと答えてくれた。でも、やっぱり何か違う。
「……君の気持ちは嬉しいけど……その……ごめん」
「えっ――いえっ、私、気持ち伝えられたかけでも十分です。そのっ……明日の試合、頑張って下さいね! ノーヒットノーラン、期待してますっ!」
「うん、ありがと」
そう言い残して、図書委員さんは恥ずかし気に走り去っていった。
ふと後ろを見れば、みんなあたしの方見ていた。うわ、超恥ずかしいんですけど。「保坂さん、また女の子に……」とかひそめた声も聞こえてくる。場所選んでほしかったな……。
というか何でみんな、あたしなんかのことを好きになるんだろう。あたしのこと、何も知らないのに。
ふと時計を見た。昼休みは残り五分。後輩の教室まで、走ればギリギリって感じかな?
そう思って、あたしが廊下にかけ出そうとしたとき。
「痛っ!?」
いきなり左足が折れて、教室の入口で転びそうになった。危うくドアに頭をぶつけそうになる。
「危なっ――! 何……?」
何が起こったのかわからなかった。なんだろうと思い、左足をもう一度踏ん張ってみる。すると激痛が左足の裏に走った。体重をかけるとしきりに痛み出す。こんなこと、前にもあった気がするけど……。
「これって――」
不安が胸に渦巻いた。まさかとは思うけど……ね。
「保坂さん?」
教室の入口に立ち止まっていたあたしを見て、近くを通った女の子が声をかけてくる。
「いやっ、平気だから気にしないで」
「……そう?」
女の子は、不思議そうな表情のまま席についた。
痛い。走るとか絶対無理って感じ。一体何なのこれ……?
そうやって、自分の左足を見ていたとき。
「授業始めるぞー、席着けー」
二つある教室のドアのうち、もう一方から先生が入った。開始より早めの到着だ。
しょうがなくあたしも自分の席へ向かう。他の生徒が教科書を引っ張り出している中、痛みに顔をしかめながら席に着いた。