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走っていたら、いつの間にか神社の前だった。
すぐそこには後輩の家。近くの外灯が、後輩ん家の庭を照らし出す。ようやく涼しくなった風が家の前に生えている夏みかんの木を揺らして、ささやかに揺れていた。
近くから、風切り音が聞こえた。音のする方へ足を向けてみると、後輩は木の向こう側でバットを振っていた。小さい身体なのに力強いスイング。凄まじい打力で、後輩は二年なのにレギュラーだった。
走るペースを落として近寄って、後輩に声をかけた。
「がんばってるね、涼子」
「あ……先輩っ!」
後輩はあたしの声に気付くなり、ぱっと顔を輝かせた。素振りをやめて走ってくる。
「先輩こそ、練習後なのに精が出るッスね」
「ピッチングは足腰が大事だから。で、涼子」
「何スか?」
「話があるんだけど」
「話っていうと? あ、もしかして――先輩、やっと……」
後輩が赤くなって、期待の眼差しを送ってくる。こんな時間にひとりで来て、それもあんなことがあった後だから、あらぬ誤解を招いているらしい。
「いや、あのっ……」
後輩が小首をかしげながら、それでいて期待を眼にしっかり宿しつつ、こちらを見つめてくる。
そうじゃない。悪いけど、後輩の期待に応えてあげられない。
さて。それにしても、何と言ったものか。できるだけソフトに伝えるべきなんだけど……ヤバい、言葉が浮かばん。口下手だとほんとに苦労する。
「あのね」
後輩はじっとこっちを見ていた。息がつまる。胸の中が不安で一杯になる。何でこんなに苦しいのだろう。
「もしかしてあたし……涼子のこと、好きじゃないのかもしれない」
あたしがそう言ったとき、後輩の表情が固まった。人形みたいに瞬きをしてない。
って、しまった!! ストレート過ぎたっ!?
うわっ、やばいやばいっ、早く何か言わなくちゃ――!
「いやっ!? その……涼子のことが嫌いってわけじゃないよ! これはほんと!」
「……」
「でも、……でも、やっぱあたし……涼子のどこが好きなのか、よくわからなくて……」
「……」
「ほら、あたしとあんたってバッテリーじゃん。だからあんたから告白されたとき、それでオッケーしちゃったのかなーって……」
「……」
「だから……その、……えっと」
「……」
ああもうっ、上手く言えないよ!
いい言葉を探そうにも、頭の中が真っ白になってしまってどうしようもない。しかし言うに事欠いて、『好きじゃないのかも』はなかったんじゃないだろうか。
ぽつり、と後輩は言った。
「……そうッスか」
「……え?」
「じゃあ、別れましょうか」
いつものように、にっこり笑う後輩。
いつもの、ように――?
「涼子?」
それは、私の予想外の反応だった。涼子の性格からすれば、てっきり大声出したり、泣いたりするのかと思っていたのに。
というか、何、これ。
涼子。あんた私と別れるの、何とも思わないわけ?
「コイビト」って関係にドキドキしてたのは、私だけだったってこと?
「いやいや、気にしないでください。先輩のお荷物になるのも何スから……。短い……間、でも、先輩と付き合えて、よかった、……ッス。グスッ。それに自分………………先輩とバッテリー組めただけで満足ッス」
私のさっきまでの考えは、涼子の顔を見て一瞬で払拭された。
……嘘言わないでよ。
あんた、思いっきり泣いてんじゃん。
「だから、いいんスよ」
後輩は目から溢れる液体を隠すように、私に背を向けた。
「もう夕ごはんッスから……中、入りますね。また明日、学校で」
「……え……ああ……うん……」
遠ざかっていく背中が、家に入って見えなくなる。一人になると同時に、暗い影が心に落ちたような気がした。
呆気なかった。思ったより自然に、あたしたちは別れた。
いたたまれなくなって、来た道を走って戻った。走って、走って、走って――何かをごまかした。酸素が足りない。頭がくらくらする。
自覚はある。あたしは後輩にひどいことをした。後輩はあたしに好きって言ったんだ。でも、あたしは一度も好きって言ってない。その上、どこが好きなのかわからないとか言って。自分のわがままで、後輩に辛い思いをさせた。あたしは馬鹿だ。こんなの、先輩失格だ。
後輩は、無理して笑ってたんだ。
きっと試合前だから、私に心配かけないように。
でも――しょうがないんだ。ほんとのあたしは知られちゃいけない。知ったら、きっと後輩はもっと傷付く。幻滅する。それだけは絶対に嫌だ。何としてでも、隠し通さなきゃ。だから、これでいいんだ。
走るスピードを上げる。生温い風に包まれながら足を動かした。身体中が汗でべたべたする。
もう考えるな。もうすぐ大会なんだから、今はそれに専念するんだ――そう自分に言い聞かせた。