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グラウンドに出ると蝉がけたたましく鳴いていた。マジで暑い。
更衣室を出て間もなく、部活の時間になった。あたしと後輩は滑り込みでセーフ、なんとか監督に怒られずに済んだ。実に危ないところだった。
予定通り、ソフトボール部は二つのチームに分かれて紅白戦をした。後輩とはバッテリーを組んでることもあって、あたしたちは同じチームに分けられた。
試合は速いペースで進んだけれど接戦になった。なかなか点が入らなくて、0対0のまま四回まで進んだ。
だけど五回表。あたしが塁に出て、盗塁して。そんで後輩がバントして送ってくれて――あたしのチームは、何とか一点を取ることができた。
それ以降両チームは点を取れず、現在七回裏。ソフトボールは野球と違って七回までだから、あたしのチームの守備で最後。
守備につくため、あたしのチームがグラウンドにかけだす。あたしはピッチャーだからマウンドに上がった。
ノーアウト、ランナーなし。一対0、抑えたらあたしたちの勝ちだ。
最初のバッターが右打席に入って構える。打順は九番。
「プレイ!」
審判をしている監督の声に応えるように、プレートに足をかけた。ホームベースのむこうには後輩の姿が。あたしが二年の頃から組んでるバッテリー。向けられたミットを見据えながら、あたしは投球フォームに入った。
体重をぐっと後ろに乗せ、大きなタメを作る。ゆっくりと降下してきたピッチャーミットを後方へ引ききった――瞬間。全体重を左足へ移動し、地を蹴って爆発的に跳ねた。同時に左腕を風車みたいに回転させて、あたしの身体は大きく前方へ飛び出した。
キャッチャーのミットが大きくなった。腕が一回点しかけたとき、先に地面についた右足を踏ん張った。勢いを殺さずミットを引きしぼって腰を回転、左手首のスナップをきかせて投げた。
白球は風を切って進んだ。左投げの球は、右打ちバッターの外側から内側へえぐり込むように入っていく。
乾いた音が、グラウンドに響いた。
「ストライークっ!」
放たれた渾身のストレート。内野手から「ナイスピッチ!」の声があがる。
「バッター! 何とかして当てて!」
攻撃側のベンチから、九番の子へ声がかかった。
「でも、キャップテンの球なんて打てるわけ……」
「いいからバット振って!」
いやいや、振ったらバットに当たっちゃうかもじゃん。できればそのまま立っててほしい。
後輩からボールを投げ返されるなり、二球目を投じた。
「ストライーク、ツー!」
九番の子はバットを振ったけど、全く違うところを通過した。
「ストライク! バッター、アウト!」
ふぅ、よかった。何とか三振とれた……。
これで1アウト。そういえばこの子、全打席三振だったような気がする。かわいそうなことしちゃったかな。
そんなこと思っていたら、次のバッターが左打席に入った。
「お願いします!」
そう言って、春香は力強く構える。一球目を投じ、打球に備えて構えた。
すると――バットが横に出てきて、コンっと軽い音がした。
「ピッチャー!」
後輩が叫ぶ。セーフティバントだ。
自分の方に転がってきた球をできるだけ早く拾おうと、姿勢を低くして前にかけた。あたしのミットがボールを捕えようとしたとき、ガクンと目線が下がった。
何なの!? と思ったときには遅かった。急ぎすぎたためか、七回連続で投げていた疲れかはわからないけど。あたしはつまずいて転びそうになった。
何とか踏ん張って、転ぶことだけは避ける。とっさに体勢を立て直し、急ぎにボールを拾って一塁へ送球。間に合え! という願いを込めて、ファーストが捕球するのを見つめていた。
「セーフ!」
塁審は両腕を水平に伸ばした。ほとんど同時に見えたけど、間に合わなかったらしい。しくった、久しぶりのエラーだ……。
頭をかいていたら、間近の後輩がキャッチャーマスクを上げて声をかけてきた。
「先輩、熱さにやられたッスか?」
「いや、まだまだ行けるよ。ごめんね、ちょっと足が滑ったみたい」
「この回抑えれば終わりッスから、それまでがんばってください」
そう言って後輩は、左手につけたキャッチャーミットの甲を差し出した。それに力強く、右手のピッチャーミットの甲でタッチする。これをすると勇気をもらえるみたいで、あたしと後輩のお決まりになっていた。後輩のにっと笑った顔がマスク超しに見えた。
「1アウト、ランナーファースト!」
後輩の確認に味方全員が応える。みんなあたしのミス何て気にしていないようで、飛んでくる球に備えて姿勢を低くしていた。
バッターは二番の三年生。
プレートを踏み、ランナーを気にせず投げた。
するとバットがまた横から出た。コンっという音がデジャヴした。
「キャッチャー!」
あたしは叫んだ。バットの下の方に当たったみたいで、球は前に転がらなかった。
すかさず後輩が球を拾い、そのままの勢いで二塁へ投げた。ショートが二塁ベースの上でそれを捕球。
「アウト!」
ショートはステップして一塁へ送球。ファーストが一塁ベースの上でボールを捕った。
「アウト!」
その声を聞いて味方がわっと湧き、キャッチャーの方へかけ寄った。綺麗なゲッツーだった。
一緒になってかけ寄る。これでゲームセット、あたしたちの勝ち。
「ナイスボール、涼子!」
「先輩のストレートほどじゃないッスよ」
そう言いつつも、後輩は嬉しそうだ。キャッチャーマスクを取り、いつもの笑顔を向けてくる。その様子が何とも言えず愛らしくて、頭をくしゃくしゃとなでてあげた。くすぐったそうで、かわいい顔。
監督が整列の支持を出したので、両チームがホームベースを挟んで整列した。監督が試合終了の宣告をする。
「互いに礼っ!」
「ありがとうございましたっ!」
そうして礼を終えると、あたしたちはグラウンドを整備するためにトンボをかける。マウンドを整備していたら、トンボを持った部員が口々に声をかけてきた。
「先輩、もうちょっと手加減してくださいよー……」
さっき三振にした九番バッターの子だ。苦笑いしながら、二回ごめんと言った。
「久しぶりに保坂のエラー見た。かっこ良かったよ」
そうやって意地悪く笑ったのは、バントした春香。試合でしないように気をつけると返した。
「今日もたくさん三振とりましたね!」
「さっすが我らがキャプテン。ソフト部のヒーロー」
「相変わらずいい球投げるね。かすりもしなかった」
様々な部員の賛辞に、あたしは照れながら笑みを返した。明後日もこんな感じだといいんだけどね。
「おつかれッス」
「うん、おつかれ。どうだった? 今日のあたしの球」
「いつも通りの良いストレートだったッス!」
おいおい。即答――ですか。
「……あたしの球が軽くなったとか抜けてるとか言っていたのは、どこの誰だったかな?」
「ひ、ひはいっふへんはいっ!」
後輩のほっぺを左右から引っ張る。柔らかくびよーんって、よく伸びた。
「でも、そう言ってくれて安心した。試合前に球がにぶるとか、笑えないしね」
「いだだ……全くッスね。すいません、自分の思い違いみたいだったッス」
「……あのね、涼子――」
「何スか?」
「いや……やっぱいいや」
後輩が不思議そうな視線を送ってくる。あたしは喉のあたりまででかかった言葉を飲み込んだ。言う必要のないことだから、胸の奥にしまっておくことにした。
ぶっちゃけた話。後輩の言ってたことって、ほんとは当たってたんだよね。
ソフトボールの投球フォームは大きく前にジャンプする。スパイクの跡が残っていたからはっきりわかったのだけれど、なぜかジャンプした後の着地点がいつもよりプレートの近くにあった。
つまり、ジャンプの距離がいつもより短かったってこと。だからバッターからその分遠くなって、球速が落ちたように感じられたんだと思う。
自分自身でも気付かなかったこと。あたし以上に、あたしのことをわかってくれてるんだ。さすがキャッチャー。あたしの相棒。でも面と向かっては言わない。何か恥ずかしいし。
そんな感じのこと考えていたら、いつの間にかグラウンド整備が終わっていた。トンボを片付けて、道具片付けて。そんで監督の話聞いて解散。
明後日の試合勝てるかなー、いやいや絶対勝つって考えなくちゃとか思いながら、自分のバッグをかつぎ上げる。直後、監督に呼び止められた。
「今日もいいピッチングだったな、保坂。お前のストレートは、県内でもそう打てる選手はいないだろう。明後日は遂に大会だから、気を引き締めて行けよ。頼むぞ、ソフトボール部のヒーロー」
その言葉と同時に、肩を叩かれる。あたしは「はい!」と返事し、自分が頼りにされているんだと実感した。
別に望んでなったわけではないけれど、あたしはいつの間にか『ヒーロー』になっていた。なってしまったからには、紛い物でもやるっきゃない。
あたしの球には九年分の努力が詰まってる。必殺のストレート、あたしの得意球。というか変化球は投げれない。まっすぐ一本!
これで勝つんだ。勝って勝って勝って、優勝するんだ。
「保坂先輩、帰るッスよー」
「うん、行こっか」
並んで駐輪所まで歩く。他の部員と挨拶や雑談を交わしながら、あたしと後輩はグラウンドを後にした。