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真田祥子さん、と私の名前を呼ぶ声がした。
私は授業をさぼって、高校の屋上で座りながら、ミサンガを編んでいた。振り返ると、眼鏡をかけてお下げをした、いかにも真面目そうな生徒が立っている。同じクラスの羽柴綾乃だ。私は睨みつけてやったけれど、彼女は堪えた風も無く近寄ってきた。
羽柴は目の前まで歩いてくると、
「ねえ。ミサンガ編んでるの?」
と、言った。私は自分の手元、編んでいたミサンガに眼を落とした。
「見れば分かるじゃん」
私が答えると、羽柴は、あ、そうだよね、ごめんと言った。
こいつ、さては私を授業に出させるためにきたな。優等生だからって、しゃしゃり出て。そんな笑顔に騙されるもんか。
「真田さんって手芸ってイメージじゃないけど、意外と器用なんだ。すっごくかわいいね」
かわいい、とコメントされて自分のことかと思ったけど、彼女はミサンガを見ていたから、すぐに思い直した。
「これ、お気にの柄なんだ。ユニークでしょ」
「ピンクと黒のハート柄かぁ。うっわー、難しそう。よくこんなの編めるね」
かがんで、私の手元に顔を寄せてくる羽柴。急激に距離が縮まり、思わず身を引いてしまいそうになった。
「やる?」
あまりにも興味津々に見てくるものだから、思わず訊いてしまった。
「え、いいの? あ、でも、難しそうだしなぁ。私にもできるかな?」
羽柴の顔には「やります」と書いてある。
「やりたくないなら、別にいいけど」
「やるやる! 真田さん、私初めてだから、編み方教えてね?」
羽柴が嬉しそうに言いながら、馴れ馴れしく横に座った。二人でグラウンドを眺めるようにして、フェンスに向かい合った。
鞄からハサミと糸を取り出しながら、横の子に対して不審を感じていた。羽柴はクラスの中心的存在で、私みたいなはぐれ者と一緒にいるようなやつではない。しかも今は授業中で、こんなところにいてはいけないのに。
「羽柴。今は授業中じゃないの?」
「先生が急用でいないから、二限目は自習。だから教室抜け出して、学校を探検してたの」
羽柴は悪戯っぼく答えた。そういえば確か、朝のホームルームで先生が言っていたような気がする。
「何それ。じゃあ羽柴は適当にぶらついてて、たまたまこの立ち入り禁止の屋上に辿り着いたってこと?」
「うん」
羽柴は素直に頷いたので、私は吹き出した。
「駄目じゃん、ちゃんと教室いなきゃ」
笑いながら、自分のことを棚に上げて注意した。なんだ、そうだったのか。よかった、私を更生させにきたんじゃなくて。
でも優等生が不良とミサンガ作り。これは何とも言えずユニークではないか。さっきまであまり気が進まなかけれど、少しくらい遊んでやるのもいいかもしれない。
「羽柴は、何色がいい?」
「うーんと、真田さんの好きな色」
「じゃ、私のと同じね」
黒とピンクの糸をそれぞれ二本切り取り、数センチ三つ編みする。端をセロハンテープで、羽柴の前のフェンスに留めた。
「今からやるから、よく見てて」
三つ編みから糸が三本出ているうち、一番左を次の行に巻きつけて引っ張り上げる。さらに横に移動して、同じように巻きつけた。
「こうやって、順番に同じ巻き方で巻いていくの。一番右までいったら、今度は一番左にきたやつで同じことをする。それなりにできてきたら、こまめに自分の手首の大きさになるように調整して。作り過ぎると、今度は長くて巻きにくくなるから」
「うん、うん」
と、何度も頷く羽柴。何だか説明を聞くより、早く編みたいような調子でうずうずしている。大人びた雰囲気だが、意外と子供っぽいのかもしれない。私は糸を渡した。
「こうでいいの?」
「ちょっと力弱い」
初めての不安からか、羽柴は恐る恐る巻いたので、編み目がゆるくなっている。私は羽柴の手を握って、
「こう」
と、糸を引き絞った。羽柴はお礼を言うと、いい感じの手つきで確実に巻き出した。
「あ、ちょっとできてきた」
羽柴の嬉しそうな声が聞こえてきたので、のぞいてみると、ミサンガは一センチ程ができていた。うまい、うまいと言いながら、私は綺麗な斜め編みを眺めた。
「真田さんってさ」
「ん?」
「皆が思ってるより、恐くないよね」
「どーかな」
私も、自分の作っていた方のミサンガに手を付けた。
「ねぇ。できたら私のこと『あーや』って呼んで欲しいな。クラスのみんなは、そう呼んでるから」
「やだし」
私はそっけなく断った。
「えー。呼んでよう、さっちん」
しかし、羽柴は、甘え声で強要してきた。
「おい。何その『さっちん』っての」
「真田祥子で、苗字にも名前にも『さ』があるから、さっちん。かわいいでしょ?」
「微妙」
微妙、と私は感想を述べる。確かにさっちんは可愛いかもしれないけれど、私は可愛いというより、むしろ恐いって感じなのだ。喧嘩っ早いし、釣り目だし。化粧も派手だし、茶髪だし、ピアスだってしてる。さっちんなんて小動物みたいな子につけるあだ名は、私にはまるで似合わないだろう。
「かわいいと思うんだけどなぁ。うん、かわいい。もうこれはさっちんで決定。だからそっちも、ちゃんとあーやって呼んで」
なんか、この子、すごく身勝手だ。
「何で私が」
「『あーや』。はい、さっちん、リピートアフタミー」
ずいっと、羽柴が顔を寄せてきた。眼鏡が鼻に当たりそうな距離だ。
「あ、あーや……」
「はい」
返事して、にっと笑って返事する羽柴――もとい、あーや。私は気まずくなって、言いなりになってしまった。
彼女は満足したようで、視線をミサンガに戻し、上機嫌で糸を巻く。何とも言えない恥ずかしさをかみしめながら、同じように私もそれにならった。
しばらく黙って編んでいたら、「うわ!」と声がしたので横を見た。あーやは二センチくらい編めていたけれど、途中に球みたいな塊ができてしまっている。どうしていいか分からず、焦っていた。
「さっちん。何か、変な感じになった」
「ああ、これ、糸巻き込んでんの。ちょっと借して――よっ、と」
ぎゅっ! と巻いていた糸を引っ張り上げた。すると塊が消えて、ちゃんと元の規則正しい編み目に戻る。
「あ、消えた」
「これ裏技なんだ。力づくで引っ張って、ミスったとこを下に強引に入れ込むの。ネットに載ってた」
「おぉー。さっちん、達人だぁ」
「さっちん言うな」
と突っ込みながらも、失敗しないように、時々横に視線を送る。ひとりで編むよりは退屈しなかった。二限目が終わる頃には、あーやがミサンガを編み終わった。初めてだったため、斜めの線は少し不均等だった。




