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次話投稿しましたが、次の話ではありません。修正を加えた際、長くなったので章として追加しただけです。
久しぶりに泣いたような気がした。
後輩は家までついてきてくれた。親に車で迎えに来てもらってからも、車の中で、後輩の胸の中でみっともなく泣き続けた。
結局あたしはギプスをはめた。
こうなってしまっては、もう大会で投げることはできないけど、もうそれで納得した。
蚊帳の外で呆然としていた先生は、すすり泣くあたしに苦笑いしながらギプスを巻いてくれた。恥ずかしいことこの上ないから、しばらくあの整形外科に行くのは控えよう。ほんとにごめんなさい。
で、現在あたしの部屋。
ついてきてくれた後輩と、ベッドに座ってふたり。
「何で、あたしが足診てもらいに行ってるってわかったの?」
嗚咽混じりのあたしは、嗄れた声で聞いた。
「今日は朝練行かなかったんで、その分放課後にがんばろうと行ってみたら、先輩がいなかったんスよ。それで副キャプテンに聞いてみたら、用事があるから行けないらしいって言ってて。妙に思って詳しく聞いてみたらわからないって言われたんスけど――その後、左足を引きずってる感じがしたって言っていたッスから、もしかしたらって思いましてね。そんで整形に行ってみたら案の定、やっぱり先輩がいたんス。で、診察室の近くで耳をすましていたら……って感じッスね」
そっか、それで。
全く春香め、余計なこと言って。
「ごめんね、あたしん家までついてきてくれて」
「自分が慰めないと、先輩がいつまでたっても泣き止まないでしょ?」
意地悪そうな顔で、後輩は言った。
そんなこと……あるね、うん。
「ははっ……情けないとこ見せちゃった……」
力なく笑う。
車の中でむせび泣くあたしの頭を、後輩は優しくなでてくれた。家につくまでの間、ずっと。今思えば、かなり恥ずかしいね、あたし。
「先輩はそれくらいが一番いいんスよ」
「そんなわけないよ。かっこ悪いな……『ヒーロー』なのに。ああ、もう違うかも。大会、出られなくなっちゃったしね……みんなの期待、裏切っちゃった……」
「『ヒーロー』じゃなくても、先輩はかっこ良いッス。がんばってる先輩は、あのミシェルよりもかっこ良かったッス。下手だった頃からずっと、そんな先輩が好きでした」
「――知ってたんだ」
もしかすると、って思っていた。これはもう間違いないみたいだ。
「ええ。あれは、自分が小学校二年生の頃ッス」
後輩は懐かしそうに、昔のことを語り始めた。
「いつも自分の家の前を、必死に走って通り過ぎる子がいたんスよ。時間は決まって夜ごはんのときだったんで、窓からよく見えたッス。毎日毎日、雨の日でも関係なく、その子は走ってたんス」
あ――小学生のあたし。
上手くなるようにって、必死にがんばっていた。
「で、そのころから自分はソフトボールやってて、先輩の小学校と試合したことがあったんスよ。自分は低学年だったんで、まだベンチでしたけど」
「そっちの小学校とは、何度かやったよね」
「はい。で、そのとき、その走っていた子が試合に出てまして。ポジションはピッチャーでした。毎日見ていたから顔はしっかり覚えていたんで、少なからずびっくりしました」
ん?
ちょ、ちょっと待てよ……。
も、もももしかして、この流れは……。
「でも、その後にもっとびっくりしたんス。その子、全くストライクが入らないんスよ。球もそんなに速くないのに、うちのチームは誰一人としてバットを振らないんス。振らないというより振れないって感じで、ワンバウンドしたりデッドボール当たったりでそりゃもう酷い有り様で。結局アウトが取れなくて、試合が終わらなくて。向こうのチームもこっちのチームもぐだぐだになって、まるでやる気のない状態で――それでも、その子だけは泣きながら必死に投げてました。最終的には、その子のチームの監督が、試合を中止してもらうように言いにきて――」
う、うわああああああ!! だめだめだめだめっ――!?
知ってたし! こいつばっちり知っていたしぃ!
「ちょ、ちょっと! 涼子、ストップっ……!」
あたしは両手をつき出して「止まれ」のサインを出す。心なしか顔が熱い。
「え――何スか?」
「何スかじゃないっ! あたしの古傷ほじくり返さないでよ! あれはもう綺麗さっぱり忘れた過去なんだから! あーもうっ、超恥ずいんだけど……!」
髪を振り乱して、恥ずかしさをまぎらわせる。
あたしの黒歴史。後輩はそれを掘り返して、あたしに現在進行系で突きつけている。わかる、この恥ずかしさ? 半端ないよ。
でも後輩はとぼけながら、
「何言ってんスかー先輩。あたしは『その子』って言ってるだけで、それが『先輩』とは言ってないッスよ? 言いがかりッス」
「へ、屁理屈を……!」
抗議しようとするあたしをよそに、後輩は「で、その恥ずかしい子は――」と構わず続ける。あたしは「や、やめて……あぁあぁあっ――!」と頭を抱えて、声にならない悲鳴をあげた。
「ぼろぼろに負けたにも関わらず……その日の夜も、いつものように走っていたッス」
「え……」
「あのときは本当にびっくりしましたね。そのときッス、自分がその子を好きになったのは。それから毎日、その子が走ってくるのを楽しみに待ってました」
え……うそ。
小学生のあたしって、全然かっこ良くなかったじゃん。
むしろ最高にかっこ悪かったじゃん。
なのになんで、好きになっちゃってんのさ。
「そのときから毎日、外で素振りするようになりまして。先輩にスイングの音が聞こえるように思いっきり振ってたンスけど――先輩前ばっかり見てて、全然気づいてくれなかったでしょう? ちょっと悲しかったッス。まあ、そのおかげで打力が上がってレギュラーになれたわけッスけどね?」
すねたような顔を向けてくる。
「そ、そうだったんだ……ごめん、あたしが中二のときまで全然気付かなかった」
「もうっ、全く先輩は……。ま、いいッスけど。――それからも休むことなく、その子は走り続けてました。で、次に会ったのが三年後だったッス。自分んとこはもう一度その子の小学校と試合して、自分もレギュラーで出て、ピッチャーのその子と勝負したことがあるんスよ」
「え、打ったことあるの?」
後輩は、首を横に振る。
「いえ。全打席三球三振、見事に打ち取られたッス。三回打順が回ってきたんスけど、ボールにかすりもしませんでした。あのかっこ悪かった面影はどこにもない、正真正銘のピッチャーになってました。自分、打ち取られて悔しいどころか、むしろ嬉しくて……。それで感動して、その子がもっと好きになって――その子の球、受けてみたくなったんスよ」
あ――、そういえば……。
『おおー。こうして受けると、やっぱ速いッスねー!』
初めて会ったとき。あんたはあたしのこと、知っていたんだね。
ちゃんと見てくれていたと気づかずに、ほんとの自分は後輩の視界の外にいると思っていた。なのに、後輩はあたしをずっと見てくれていた。
「う、うえっ……」
「先輩!?」
ああ、マズいな。
鼻がツンとする。
またあたし、泣いちゃってる……。
「ああもう……泣き虫ッスね、先輩は」
嬉しかった。
なのに涙が出た。
後輩はあたしを胸に抱き寄せると同時に、優しくなでてくれた。
「ごめん……ごめんっ……」
ごめんね。
大会で投げてあげられなくて。
ごめんね。
あたしはマガイモノだから。
ごめんね。
「あたしじゃ、ミシェルみたいにはなれないや」
「でも、先輩にはなれます」
「……?」
「先輩は先輩なんス。先輩はミシェルになれないかもしれません。でも――〝先輩〟にはなれます。他でもない、先輩なんス」
あたし?
ヒーロー(ミシェル)じゃない、あたし――?
……そっか。
後輩の言葉は、不思議なくらいあたしの中に染みた。
名残惜しむように、後輩から頭をはなす。
世界が滲んでいる。涙が止まらない。
それでも、まっすぐ後輩を見た。
「高校になったら絶対、会いにきて。待ってるから。涼子が来るまで、あたしずっと待ってるから。涼子にあたしの球、受けてほしい。涼子じゃないと嫌。だから、約束」
あたしは右手の甲を差し出すと、後輩は左手を重ねてきた。
「はい、約束ッス。自分も先輩と、ずっとソフトボールしたいッス。絶対先輩と同じ高校に入ります。そんで今度こそは、一緒に優勝しましょう」
「うんっ。――ありがとう、涼子」




