10
五、六時間目となるにつれて空は黒ずみ、今にも降ってきそうな雰囲気だった。
ホームルームがが終わり次第、あたしは春香の席に向かった。
「春香。今日の部活、ちょっと仕切っといてくれない?」
「え、何で?」
不思議そうな顔を向けてくる春香に、手を合わせて頼んだ。
「ちょっと用事で行くところがあるの。お願い――それが済んだら、すぐに行くから」
「試合の前日ってのもあるけど、キャプテンがチームの志気を乱すような行動はつつしんでもらいたいね」
不機嫌そうな顔を向けてくる。
「ごめん。でもっ――」
「ま、いいけどさ。保坂が何の理由もなく部活を休むようなヤツじゃないってことは、私もみんなも知ってるから。それに天気も――ひょっとしたら途中で降ってきて、練習できなくなるかもしれないしね」
窓の外を見やる。一日前だから、少しでも練習したいところだ。
「……」
「まあ、その、なんだ。よくわからないけど、すぐ帰ってきなよ!」
そう言って笑い、バシンと背中を叩かれた。
「痛っ!」
「……え?」
予想以上に痛がったあたしを不思議に思ったのか、春香が心配そうな目を向けてきた。しまった、何とかごまかさないと……。
「いや――はは、春香ってば力強すぎ」
「あ……ごめんごめん、強く叩きすぎた?」
「ううん、大丈夫。じゃあ行ってくるから……」
「ああ、気を付けて」
軽く手を振りながら、春香は言う。
「うん……ありがと」
そう言ってわざとらしく背中を押さえながら、あたしは春香の教室を後にした。軽快な春香の言葉とは裏腹に、気分は極めて沈鬱だった。
廊下に出て階段を降りる。途中、授業が終わった生徒が横を通り過ぎる。廊下の清掃をしている人の姿も見える。一階にある教室の前を通り過ぎ、下駄箱まで辿り着く。
きつい。ここまで歩いてくるのに相当苦労した。壁に手を付きながら歩いて、左足を引きずってきた。まるで自分の足じゃないみたい。
「何で……何でさっ!」
下駄箱に手を付きながら、息を整える。今日の昼に痛み出した左足。
「痛っ……!」
足元にある下駄箱から靴を取り出そうとしたとき、体重をかけたせいでまた痛んだ。左足は熱を引くどころか、一層の痛みを訴えていた。
汗が頬を伝う。このままザラ板の上に座り込んでしまいたくなったけど、歯を噛み締めてグッと踏ん張った。
この痛みが何なのかは分からないけど、一つだけ分かることがある。あたしはそれを、なるべく考えないように意識の外へ追いやった。
まさかとは思うけど、一応診てもらおう。このままだとピッチングに支障を出しかねない。せめて痛み止めくらいはもらっておくべきだ。
あたしは駐輪所までふらふら歩き、自転車にまたがって漕ぎ出した。漕ぐのは大分楽だったけど、それでも痛いものは痛い。
今から行くのは保健室ではなく、最寄りの整形外科だ。あたしの学校から近いこともあり、部活とかで怪我した生徒がよく訪れる。去年の怪我でお世話になった。それ以来、あたしは常に保険証を持ち歩いてる。
「試合前だってのに――最悪」
漕ぎながらもずっと心配だった。
クラスの子は、応援にきてくれると言っていた。監督にも部員にも期待されてる。あたしがバッターを打ち取って、優勝することを望んでいるんだ。
怪我で投げれません。
そんなこと言ったら、みんなはどう思うだろう?
考えただけでもぞっとする。
「はあっ、はあっ……」
ぽつり、と。
あたしの不安を煽るように、雨があたり出した。
ひどく痛い。
痛い、痛い……痛いよ。
泣いてしまいたい。
この痛みが夢だったらいいのに。
急速に流れてく景色。髪を乱しながら、微弱な雨風を浴びて走る。
「大丈夫……だよね」
左足があたしを嘲笑うかのように、ズキリ、と痛んだ。
ハァハァ。ハァ……ハァ……。ハァ……。
のどからもれる呼吸の音が、耳ざわりに鳴る。
雨の音。風が景色を揺らす音。脈を打つ鼓動の音。
それらが重なって、不協和音を奏でた。