07 (終)
ラシッドの街を一望できる大きなバルコニーから城下に向かって、リーリエールとグラウディオはにこやかに手を振る。
今日はグラウディオ王の即位一周年だった。
「グラウ様、どうして今回はレイのご結婚を一緒になさらなかったの?」
この一年で王妃業に磨きを掛けたリーリエールの口元は優雅に弧を描いたままで、すぐ後ろに控える護衛の騎士にすら会話の内容を気取られる事はない。
本当は民衆の前に立つもっと前に聞きたかったのだが、今朝の朝議が長引いたせいで二人の会話が出来なかったのだ。
リーリエールが気持ちを伝えたあの日から、グラウディオがディレインに対して抱いていた嫉妬や羨望は少しの爪痕を残して消えたらしい。リーリエールとディレインが幼馴染で親しいのは仕方のない事だと思えるようになったからか、グラウディオはリーリエールに対して「無理にディレインの呼び方を改める必要はない」と告げた。
そしてリーリエール自身も、自然とグラウディオを「兄様」と呼ぶ事はなくなっていた。
「……ん?『今回は』ってどういう事だい?」
王城のすぐ側まで埋め尽くす、お祝いに駆け付けたたくさんの人をグラウディオも同じようににこやかな笑顔で見下ろしながら、問いに問いで返す。
「あら、知らないと思っていましたの?私たちの婚姻の儀が即位式と同じだったのは、国内外の賓客をお招きしたり、大きな宴を一度で済ませるためでしたでしょう?……経費削減のために」
少しだけ笑顔が引きつったのは、リーリエールに対して熱心に心を砕きながらもその裏で物凄く現実的な事を考えていた後ろめたさに似た何かのせいだ。
少し意味が違うのだろうけど、昔、王族だからとグラウディオに近付く下心ばかりの異性に警鐘を鳴らすために、付いていた数人の家庭教師が異口同音に愛とお金を同じ天秤に載せてはいけないのだと、言っていたせいかも知れない。
「……よく、知っているね」
「いつだったか、お父様が口を滑らせましたから。……宰相として仕事をしている時だと、うっかり父親である事を忘れてしまうのでしょうね」
うふふふ、とちょっと怪しげな笑いを漏らしてもリーリエールの笑顔は優雅な王妃のそれで、やはり王妃として自分の隣に立つのは彼女しかいないとグラウディオは密かに思う。
体調を崩していた先王に代わって政務を執り行いながらもずっと即位しなかったのは、リーリエールが婚姻の可能な年齢になるのを待つためだ。即位してしまえばその時点から世継ぎ問題は発生するわけで、即位してから妃を娶らずリーリエールを待つ事は実質不可能だったとグラウディオは知っている。
だから、即位と婚姻を一緒にした訳だが、そこに莫大に消費される予算を考えなかったとは言えない。寧ろ、リーリエールが言った通りに大幅に予算削減出来るから都合が良いと思った事は否めない。
「……」
ディレインの事は、やはり予定通りに隣国の王女を娶る事に納得はしているが、グラウディオがリーリエールを横から攫うような真似をしたからだろう、少し時間が欲しいと言っているのだ。
彼は彼なりにリーリエールを想っていたのかも知れないと思えば、グラウディオは頷くしか出来なかった。
だが、それをグラウディオからリーリエールに言うべき事ではないから、曖昧に笑うだけで口を噤んだ。
「でも、私たちの時のは、考えてみればそれが一番良かったと私も思います。レイはどうなのだろうと思ったから聞いただけですので気になさらないで下さい」
「……そうか」
本当にあっさりとそう言ったリーリエールの横顔を覗いても、言葉以上の感情は見えなかった。グラウディオがそうであるようにリーリエールもやはり表情を繕うのがとても上手い。それでも嘘を吐いていないと分かるほどには側にいたつもりだ。
「ねぇ、リリ。やっぱり君と結婚して良かったと思うんだ」
脈絡なく話が変わって、リーリエールは続きを促す。
「君が私のところにお嫁に来る時、小説を持って来ていただろう?」
先ほどまでと変わらずに民衆に向かって微笑みながら手を振っていたリーリエールは、けれども同じように隣で表情筋を動かす事なく話していたグラウディオの言葉に、明らかに動揺して横を向いた。
「っ!!」
まさか知られているとは思わなかったのだろう。結婚当初、侍女に零した事をリーリエールもまだ覚えている。
「リリこそ、私が知らないと思った?君の部屋の本棚に、明らかに一冊だけ読みつぶしたと分かる本があったら、誰でも気になるんじゃないかな?」
民衆に向かって笑顔を作る事も、手を振る事も忘れてリーリエールは頬を真っ赤に染め上げた。
何か言わなくては、と思うのに、開いた口から言葉が出て来る気配はない。
「身分違いも価値観の違いってさ、きっと後々まで二人の間に破局の要素として残ると思わない?」
喧嘩をしても、些細な意見の違いも、きっと本当の原因に目を瞑ってそれのせいにしてしまうとグラウディオが言うと、リーリエールは確かに、と頷く。
「私たちにはそもそもそんな要素は初めからないんだよ」
グラウディオ言うところの、流行のお話の行間に含まれているだろう『破局の要素』なんて存在しない自分たちを思い返して、リーリエールは笑った。
その笑みは作られたものではなく、歳相応の少女らしい笑みだ。
「グラウ様、私、グラウ様と同じ景色を見られて嬉しいです。……とても、幸せです」
「私も、隣にいるのがリリで幸せだよ」
ここが民衆に見守られたバルコニーである事を忘れて笑顔で向かい合っていた二人は、磁石に引き寄せられるように顔を近付けると唇を重ねる。
その瞬間、流行の恋愛小説ではなく昔からある童話のように仲睦まじい王と王妃の姿に歓声が揚がった。
――そうして、いつからか始まっていた二人の日々は、これからも続く。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
本当の王道ってこう言う事だろう?と途中の話で侍女がリーリエールに言った言葉を言わせたくて書き始めた物語でした。
おまけと言うか番外編として、あと一話書くので、よろしかったらそこまでお付き合い下さい。