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「ほら、見えるかい?」
白髪の老人はその腕に小さな女の子を抱えて視線を促した。
二人がいるのはここドーレイミ国の大聖堂の真裏である。今日その大聖堂では大きな式典が催されていた。
――新王の即位と、結婚である。
明り取り用の小窓からこっそり覗いているけれども、今日は事前に厳しいチェックを受けたものはこうして大聖堂で見ることを許されていたからお咎めなしだ。
聖堂の中は国内外の貴族や賓客を、一線を隔した上で取り囲むように国中から慶事を祝おうと国民が集い溢れていた。小さな子供では人ごみに埋もれて見えないだろうと思って真裏に回った老人の考えは成功だったらしい。
「見えるよ!凄い!!キレイ!!……本物のお姫さまだぁ」
幼い少女の純粋な憧れと賞賛の眼差しに、老人は笑みを深める。
「私も一度でいいからあんなドレスを着てみたいなぁ」
女の子ならば大抵誰もが一度は夢見るその言葉に、老人は笑みを苦笑に変えた。
「本物のお姫様って言うのは、物凄く大変なんだぞ?」
「そうなの?どうして?キレイなドレスを着て、おいしいものをたくさん食べられるんじゃないの?」
老人は抱えていた少女をそっと足元に下ろしてやる。
「さっき見えたお姫様は、どんな格好をしていたかい?」
「えっとね、新しい王様の隣で王妃様の冠を戴いていたわ」
「同じようにやってごらん?」
老人は子供の目線の高さにしゃがむと、少女が見ていた『お姫様』の所作を教えてやった。
「両手はドレスを摘んでいるんだ。それから右足を引いて。……もっとだ。そしたら両膝をそのまま曲げてごらん」
「……うん」
「もっと深く曲げなくてはいけないよ」
「こう?」
「そうだ。そこから頭を深く下げて。冠を戴くのだから」
「……っ、うわっ」
少女は不安定な体勢を支えきれなくてよろける。
「無理だよ、爺様。足が震えて苦しい」
あんなにキレイで優雅に見えた『お姫様』の格好がとんでもなく大変な事に気が付いて、少女は情けなく眉尻を下げた。
老人は笑いながらもう一度少女を抱き上げると、再度視線を子供の言う『お姫様』、今日この日を持ってこの国の王妃となった少女に向けた。
「あの新しい王妃様は、あまり背がお高くないんだ。だから物凄く踵の高い靴を履いてらっしゃるんだよ」
このくらい、と示した手の動きを見て、少女は顔を顰める。
「その上、今肩に掛けてらっしゃるマントは式典用のものだからトレーンが優に二馬身はあっただろう?金糸や銀糸でしっかりと刺繍された豪華なドレスとあのマントを合わせたら、ワシの体重よりも重いんだぞ?」
「爺様よりも?」
驚きに目を見開いた少女に、老人は鷹揚に頷く。
「そうだ。その上にあの重そうな冠を被るんだ」
想像した少女は苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んだ。
聖堂内ではもったいぶった態度と重々しい手付きで、漸く神官が王妃の頭に冠を載せたところ。つまりはまだ王妃は少女の言う苦しい体勢のままだったと言う事だ。
新王に隣で見守られながら、王妃はゆったりと優雅な動作で身体を起こす。苦しさなんて微塵も感じさせずに、笑顔で。
「……私はお姫様にはなれないなぁ」
「諦めるのが随分早いな」
小窓を覗いていた少女がしみじみと言った言葉に、老人はからかい混じりの眼差しを向ける。
「だって、ほら見てよ。王妃様、王様の手にご自分の手を添えていらっしゃるだけなのに、羽が生えているみたいに軽やかに歩いていらっしゃるのよ?爺様が言った事が本当なら、私には到底あんな事出来ないわ」
「本当だとも。昔は王宮の倉庫の管理をしていたんだから」
そこには当然、式典用のマントもしまわれていた。
少女はもう一度小窓から聖堂内を覗く。新王と新王妃は並んで聖堂を出ようとしていた。これから王宮に向かってパレードをするのだろう。
「お姫様って、大変なんだね」
小さく溜め息と共に吐き出された少女の言葉に、老人は苦笑と共に頷いた。