運命の歯車は……回り始めると早かった
家に戻ると正巳がなんとも言えない表情で出迎えてくれた。
「更紗、悪かったな」
と言うので、
「謝る人が違うよ」
と返す。
「その……あいつは? 今日、行って来たんだろ」
続いてこわごわと言う感じで聞いてくる正巳。あの幸太郎さんのことだ、『意趣返し』と言っていたくらいだから、きっと正巳にも危篤状態で明日をも知れないように言ったに違いない。私は、ちょっと意地悪な気分になって、
「うん、なんとか。でももう大丈夫みたいだよ」
と、さもマイケルさんが九死に一生を得たように正巳に言った。案の定、正巳はそれを聞いてホッとした顔になっている。
「俺さ……あの歳であのルックスだろ。今は独身でも、バツの一つや二つは付いてる。むしろ、バツを付けずに遊んでるとか。とにかく、絶対に更紗が騙されてると思ってたんだ。そんな奴にはちゃんと一発かましてやらないとなって思ってさ。
あいつがそこまで真剣に更紗のこと考えてるとは思わなかったから、ゴメン」
そして素直に謝った正巳に、私は、
「いいよ。マイケルさんも弟だって言ったら、正巳の気持ち解ってくれたよ。マイケルさんも、姪御さんの旦那さんはすんなり受け入れても、妹さんの婚約者はなかなか受け入れられなかったんだって。
それに、『もう誰にも渡したくない』って言ってくれたから。正巳のおかげだよ」
と笑って答えた。
でも、その後、
「にしてもさ、どこで知り合って、何でこうなったんだよ。更紗とあいつって接点なさすぎじゃん」
と、正巳に言われて、私は一気に冷や汗をかいた。ホントはたった3日前、お見合いを逃げ出してコケていたところを助けられたんだけど、それを言ったらこの子また反対しかねない。なんか適当な理由ないかな。私は慌てて考えを巡らせ、
「あ、あの……そ、そう、私の会社の人の紹介。マイケルさん、その人の学校の先輩なんだ」
と庄司さんを思い浮かべながら口から出任せ。このあと、本当に高校の後輩だと判るんだけど、庄司さんとマイケルさんは5歳違い。当然接点など何もない。
「でね、櫟原先輩と月島は絶対に気が合うだろうからって」
そう言いながら私は携帯を取り出してメロディーを検索する。流れてきたその曲を聴いて、正巳は頷きながらも呆れていた。曲はもちろん、『月夜の伝説』
「もう俺、何も言わない。更紗、幸せになれよ」
正巳は、あっけないほどあっさり折れた。だけど、相変わらず上から目線なのは何故? 私、姉なんですけど。そりゃ、先に結婚したけどさ。
正巳は言いたいことを言うとさっさと帰っていった。
そして夜、社長から電話があった。あんな早退の仕方をしたんだから、一言報告を入れなきゃと思っていた矢先だった。
「月島、おまえもう今週中は来なくて良いぞ。ミュートスの副社長からのお達しだ。それから、来週でてきたら、智にできるだけ早く引き継ぎしろ。期限は1ヶ月だ」
「へっ、どうして?」
で、いきなり切り出された話に私は蒼くなる。
私、何か致命的なミスでも犯した? すると社長は、
「どうしてだぁ? おまえ、市原健と結婚するんだろうが。ミュートスの副社長がな、『相談役が大変なときに、婚約者殿をウチの仕事に駆り出しているのは申し訳ない、看病に専念してくれ』だとよ」
と、ちょっとムッとした調子でそう言った。
「は、はぁ」
私はそう返事するしかなかった。
この時まで知らなかったんだけど、マイケルさんは今も相談役と言う形で櫟原に一応籍があるらしい。確かに幸太郎さんはミュートスの副社長を舎弟だって言ったけど、本当に圧力? かけちゃったんだ。
「んで、明日の朝も櫟原の秘書が迎えに行くらしいからその車に乗れとよ」
「それで……良いんですか?」
「良いも何もおめでたいことだろうが。
そりゃ、月島は俺にとって妹みたいなもんだ、いつまでもいて欲しいよ。けどよ、だからこそ幸せになってもらわなきゃな」
社長は私にそう言って電話を切った。
でも、一ヶ月で引き継ぎ? そこから結婚準備に入れというんだろうか。
確かに私はマイケルさんのプロポーズを受けたけど、私、パパやママには何も話してないわよ。ママは私を結婚させたかった張本人だから、相手が変わったところで一も二もなく大賛成だろうけど、問題はパパ。パパに言う前に仕事を辞める算段をしてたと分かったら……更に反対されそう。
生まれて36年、さび付いて動かない感のあった私の運命の歯車。マイケルさんという潤滑油を得て回り始めたそれは私が考えていたよりもずっと高速で、私自身が一番付いていけてないって感じ……
でも、こんなのは序の口で、私はこの先もっともっと櫟原家に振り回されることになるのだった。