誤解スパイラル
私が、おぼつかない足でタックルするようにマイケルさんにすがりつくと、
「ゲホン、ゴホン……」
と激しく咳き込む音がして、
「く、苦しい……」
という弱々しいうめき声が聞こえてきた。見るとマイケルさんは赤い顔で息も荒いけど、生きていた。
「マイケルさん……」
マイケルさんが生きている! 私はただ、彼がが生きていたことが嬉しくて、思わず自分から彼を抱きしめた。でも、マイケルさんは身を捩ってもがき、その仕草でまた咳き込む。その様子を見た幸太郎さんが、
「重いんですよ、月島さん」
と言って、慌てて持ってきた折りたたみの椅子に私を座らせた。そして、『重い』というワードに私の顔がひきつったのを見て、
「すいません、決して月島さんが太ってるとかそういう事じゃないんですよ。元々気管が弱いし、肺炎で負担がかかってるから、今は着ている布団ですら重いと感じるようなんです」
と補足した。マイケルさん、肺炎だったのね。すごい病気とかじゃなくてホッとした。幸太郎さんは、私が体型を気にして顔に出したと思ったらしい。確かにボトムの方が大きい下半身デブだけど。実はそうではなく、私は私の気持ちが重いと言われてしまったのだと思ったのだ。
そして、座って改めてまじまじ見たマイケルさんは何とも複雑な表情をしていた。
「更紗ちゃん、どうして来たの?
どうせ、幸太郎君が大げさな事言って連れて来たんだよね。ごめんね、昨日はちょっと酷かったけど、今日はもう大丈夫だから」
心配しないで早く帰ってと、マイケルさんはそう言うと、また2~3回咳をして私から目を逸らした。
「迷惑ですか? 私お見舞いに来てもダメなんですか?」
私なんて、マイケルさんからすればがきんちょみたいなものだろうけど、私たち、お友達にもなれないの? 悲しくて涙があふれてくる。ぐすっと鼻をすすった私に、
「な、泣かないで。迷惑だなんてとんでもない。……僕は嬉しいよ。でも、ここに来たことが分かったら、更紗ちゃんが旦那さんに怒られちゃうでしょ? 電話で僕もう会いませんって彼に約束したもの。
だから、僕に妙な期待を持たせないで」
と、私の涙に慌てた後、マイケルさんは沈痛な面もちでそう返した。妙な、期待って……私もそういう期待してもいいのかな。ただ、さっきのマイケルさんの言葉の中に聞き捨てならないワードがあったんだけど。
「は? 旦那さん??」
独身の私に旦那さんなんていない。誰と勘違いしてるんだろう。待てよ? 今、電話って言ったよね……
「旦那さんって誰のですか?」
私は改めてマイケルさんにそう聞くと、
「もちろん、更紗ちゃんの旦那さんだよ。『俺の更紗に洋服なんて贈るな』って、すごい剣幕だった」
マイケルさんから予想通りの答えが返ってくる。間違いない、犯人は正巳だ。私は、
「それ、正巳って言う2つ下の弟です。あいつ、姉を姉だと思ってなくて、いつも呼び捨だから。私は正真正銘独身ですよ」
と言った。付け加えないけど、彼氏いない歴=年齢だよ。
正巳め、絶対にわざとだわ。わざと弟だと名乗らずに電話したのに決まってる。こんなことなら自分で電話すれば良かった。
まったく、自分はさっさと嫁をもらっておきながら、人の恋路は邪魔するなんて、最っ低。腹黒だとは思ってたけど、『まっくろくろすけ』じゃん。しかも、かわいくないし。
すると、マイケルさんも私が独身だと分かってすごくホッとしたよな泣きそうな表情になった。
「更紗ちゃん、独身だったの? 彼、玄関先まで迎えに来てたし、すごい目で僕のことをにらんでたから、てっきりそうだと思ってた」
あのとき、マイケルさんから私をひったくったしね。だから、電話番号も捨ててって言ったのか。私の中で一つ一つの誤解が解けていく。
「でもね、最後に直接一言だけでもお詫びが言いたくて、僕、記者会見の後、こっそり電車で更紗ちゃんの家の前まで行ったんだ。だけど、いざ着いてみるとインターフォン押せなくて……ずっと、あの近くをうろうろしてたんだ。
そしたら、夜、更紗ちゃんと旦那さんが仲良くお家に戻ってきたから……望みはないって解ってたけど、それを見たらなんか糸切れたみたいなって、後は、どこをどう歩いたか覚えてない。で、気がついたら、ここにいたんだ」
だから、私に夫はいませんって。それに、昨日は正巳にも会ってないんですけど。一体、誰のことを勘違いしてる?
あ、昨日は庄司さんに送ってもらったんだっけ。そう言えば庄司さんと正巳とは背格好が似ている。ぜんぜん別人だけど、夜の暗がりでは正巳も庄司さんも同じように映ったのかもしれない。
「俺が見つけたとき、親父は朦朧としてしきりに月島さんに謝ってました。
で、ピンときました、弟さんのことだなって。今後のこともあるから、月島さんの家族構成は調べてありましたし、俺にも実の姉貴がいますからね、気持ちは分かるんです。でも、これはおイタが過ぎます。俺が見つけるのがもう少し遅ければ、命に関わることだったんですから。
それで、そっちがそうくるなら絶対にくっつけてやるって思った。親父の気持ちは分かってましたから、あとは月島さんがどう思ってるか。それを確かめるために、今回こんな芝居を打ってみました。
月島さんも、親父のこと……」
「パパ、それは武叔父様に任せたら。パパは武叔父様にちょっと過保護すぎるわ」
私の気持ちを確かめようとした幸太郎さんをそう言って制した奥さんは、
「あ、自己紹介が遅れました。私、この櫟原の妻の薫です」
と、立ち上がって私に深々と頭を下げた。
「あ、月島更紗です」
私も慌てて立って挨拶しようとしたら、薫さんにやんわり止められた。
「お怪我されてるんですからそのままでどうぞ」
「あ、すいません」
「ってかさ、薫、おまえさっき俺に何言おうとしてた?」
そして、薫さんに『過保護』と言われた幸太郎さんは、ムッとしながら彼女にそう尋ねた。
「そうよ、パパ、何でもう少し早く帰って来てくれなかったのよ。大変だったんだから」
それに対して、薫さんはため息混じりでそう答える。
「一体何があったってんだよ。親父、落ち着いてるじゃん」
「今は終わったからよ。さっきまで看護師6人がかりだったんだから」
私も手伝ったから7人よと薫さんが言う。7人がかりで一体何をしたって言うんだろう。しばらく首を傾げた幸太郎さんは、答えに気づいた途端もっと不機嫌な顔になって、
「親父、いい加減注射器に慣れろよ。ただの採血だろ」
ぼそっと、そう吐き捨てた。ち、注射器? 採血??
「だって、怖いんだもん」
幸太郎さんにそう言われて、マイケルさんはしゅんとなりながらそう答えた。
「だからって、全力で逃げないで欲しいわ」
薫さんが呆れ顔でそう言う。
「怖いんだもん!」
マイケルさんは涙目でもう一度そう言った。50歳を過ぎた大の大人が注射器から逃げてる図って……でも、マイケルさんならなんとなくそれもアリかもしれないって思うから不思議だ。吹き出してげらげら笑いだした私に、
「あ、とんでもないこと聞かせちゃったかな」
と蒼くなる薫さん。マイケルさんも、
「そうだよ、フロリーちゃん。コレで更紗ちゃんに嫌われちゃったらどうしてくれるの」
と、真っ赤な顔で薫さんをたしなめる。
「嫌わない嫌わない。なんだかマイケルさんらしいですもん」
それに対して私がそう言うと、マイケルさんの顔がぱぁっと輝いた。だけど、
「月島さん、甘やかさない。そうだ、次の採血には月島さんもいてもらおう。そしたら、親父頑張れるよな」
間髪入れずそう言う幸太郎さん。マイケルさんは、
「うっ、それは……頑張ってみる」
口をへの字に曲げながら、渋々肯いた。相変わらず、この親子は逆転してるな。でも、本当に良い親子だ。ずっと、側で見ていたいと思う。
「そう言うわけで、月島さん、こんなヘタレな親父ですけど、面倒看てもらえないですかね」
私は相変わらず『過保護』な幸太郎さんの発言に笑顔で頷いた。
ホント『過保護』な幸太郎です。
でもなぁ、こうでもしないと、武くんと更紗ちゃんじゃ一生くっつきませんから。