訪問者
そうして、翌日は全くいつも通り(怪我しているから全くとはいえないのかもしれないけど)の朝だった。でも、私にはそれがなんだか寂しかった。別に芸能人のように追いかけられたいわけじゃない。ただ、それが二度とマイケルさんと会えないんだなと改めて実感しただけだ。
「月島さん、今朝も芸能レポーターいたんですか?」
朝から無言で仕事を続ける私に、まだ見習い中の智くんがそう言った。
「ううん、どうして」
「だって、月島さんいつもなら誰が聞いてるわけでもないのに、作業工程を説明しながら、ニコニコして仕事してるから。
それが今日はため息ばっかだし、なんか顔も変です」
「昨日櫟原さんが会見開いてくれたから、今朝は誰もいなかったよ」
智くんの答えに、私はムリに笑顔を作って答えた。確かに、大好きな仕事だから社長にも『お前、作業してるときは気持ち悪いぐらい笑顔だな』と言われたこともあるし、段取りを口に出しながらやる方が作業効率が上がるのよね。にしても、『顔が変』って……何気に酷い。
「お前な、先輩に言って良いことと悪いことがあるだろ」
その言葉に庄司さんがすかさずツッコミをいれる。でも、智くんは、悪びれる様子もなく、
「じゃぁ、顔が怖いって言えばいいんですか?」
と庄司さんに返している。さすが平成生まれと言うのか何というのか。
「お前な、機械いじるのより先に日本語もっと勉強しろ」
という庄司さんに智くんは
「へいへい~」
と言いながら表の方に逃げて、ちょろっとドアから首だけ出している。その様子がまるで叱られた犬みたいで、私は声を出して笑ってしまった。庄司さんもそれを見て、
「しょうがねぇなぁ、あいつは。まぁ、更紗ちゃんを笑顔にしたんだから、由としてやっか」
そう言って苦笑している。
「あ、どうも」
そんな智くんがドアに手をかけたまま頭を下げて、
「社長、お客さんです」
と、大きな声で社長を呼んだ。でも、
「すいません、月島さんという方がここにお勤めだと思うんですが」
という声が外から聞こえて、私を含めた作業場にいる全員の顔がこわばった。
「あんたマスコミの人? だったら今すぐ帰んな! こういうのをプライバシーの侵害って言うんだろ」
智くんも一旦は中へと導いた手を一杯に広げて私をガードしつつ、中の面々にそう尋ねる。その場にいた全員がその言葉に頷いた。
「違います。私は月島さんにこれをお届けに上がっただけですから」
すると、その人はそう返した。
「何だ? それ」
智くんが胡散臭そうに荷物を見つめる。座っている私にはドアの外側にいるその人は全く見えない。でも、智くんの様子からして、宅配の業者さんではなさそうだ。
「一昨日、お預かりしたものですので、月島さんにお渡しいただければそれで」
続いてその人はそう言った。一昨日と言えばあのお見合いの日だ。まさか、マイケルさんが着物を返しに来た? 智くんが受け取るのを戸惑っていると、その人はその荷物を智くんの鼻先ににゅっとつきだした。
「うへっ」
と智くんが後ずさりする。その勢いに任せて作業場に入ってきたのは……マイケルさんではなく、幸太郎さんだった。しかも、入ってきた幸太郎さんといきなり目が合ってしまった。
「幸太郎さん……」
「あ、月島さん。そこですか。昨日弟さんからお電話いただいて、取りに来られるってことでしたけど、何か双方に誤解があるみたいなんで、お話がてら私が伺いました。今お時間頂戴できますか」
幸太郎さんは、あのときとは打って変わってすごく丁寧な言葉遣いだった。そう言えば、幸太郎さんって、マイケルさんの後を継いで社長してるんだっけ。
「誤解……ですか?」
双方に誤解ということは、私にもマイケルさん達にも誤解があるということだ。一体、何を誤解してると言うんだろう。
「ええ、すいませんお仕事中申し訳ありませんが、月島さんをしばらくお借りします」
幸太郎さんは肯きながらそう言うと、奥にいる社長の所まで行き、
「私、こういう者です」
と言って、社長に名刺を差し出した。すごい、ちゃんと社長のとこに行っちゃった。庄司さんの方が年上に見えるから(実は社長の方が2つ上だけど)、初めてきた人はみんな庄司さんの所にいっちゃうのに。社長が幸太郎さんの名刺を読み上げる。
「株式会社櫟原 代表取締役社長 櫟原幸太郎……ちょっと待て! いちはらってことは、市原健の関係者か」
「はい、息子です」
社長に聞かれて、幸太郎さんは迷いもなくそう答えた。
「息子? 確か、市原健は結婚してないんじゃなかったのか」
テレビ報道とは違うと、その発言に社長がそう言って幸太郎さんに食ってかかる。
「ええ、義父は独身です。実は義理仲なんですよ。会社を継ぐために、姪の婿である私が養子に入ったんです。義父は一度も結婚したことがありません」
それに対して、幸太郎さんは笑顔そうで答えた。えっ、幸太郎さんとマイケルさんって本当の親子じゃないの? しかも、結婚したこともないって…… じゃぁ、アユさんは?? 私の頭の中は疑問符で一杯になった。
「やっぱりご存じなかったようですね。来て良かった」
その様子を見て、幸太郎さんはそう言って微笑んだ。
幸太郎さんから着物を受け取る。その時、幸太郎さんのポケットで携帯が鳴った。その着信音はなんと「月夜の伝説」! 幸太郎さんは、
「あ、親父ですよ。何なら直接本人から聞きます?」
と言いながら携帯を取り出した。だけど、
「はい、幸太郎。何だ薫? お前何で親父の携帯で電話してんだよ。えっ? 親父が! うん、ああ、ああ、泣くな。それで……どこに? うん、解った。すぐ行く」
笑顔で電話を取った幸太郎さんの表情が見る見る曇っていく。そして、電話を切った幸太郎さんは、涙目でため息を吐くと、
「月島さん、一緒に来てくれませんか」
と言った。薫さんというのは今の話から考えると、幸太郎さんの奥様ではないだろうか。マイケルさんの携帯で奥様からの電話。すごくイヤな予感がする。続けて幸太郎さんは、
「親父が倒れました。原因はまだ聞いてませんが、危篤状態だそうです」
と震える声で絞り出すようにそう告げた。私は自分の予感が当たってしまったことに、目まいがした。