王妃陛下の粛清
お読み頂きありがとうございます。
また、誤字報告をくださった方々、ありがとうございます!とても助かります!
早速修正させていただきました。今後ともよろしくお願いいたします!
王立ラ・ヴァリエール貴族学園のサロンは、未来の社交界の縮図そのものだった。
差し込む柔らかな陽光の中、侯爵令嬢であり王太子の婚約者。
未来の正妃となるべく育てられたエレオノーラは、いつもと変わらぬ完璧な淑女の微笑みを湛えて着席していた。
そのテーブルの上には、彼女が自ら淹れた美しく澄んだ琥珀色の紅茶。
そして、指先で静かに弄んでいるのは淡い魔力を帯びた翡翠の守護石である。
それはエレオノーラが、王家を支える高位魔導師としての義務を果たすために幼少期から研鑽を積んできた証でもあった。
しかし、その静謐な空気を切り裂くようにサロンの奥から甘ったるい笑い声が響く。
エレオノーラの視線の先にいる婚約者の王太子アルフレート殿下の傍らには、別の影がぴったりと寄り添っていた。
「すまない、エレオノーラ。ミーナ嬢の実家であるローゼンバーグ子爵家には、我が王家も多大なる魔石資源の融通を受けており、国王陛下からも『彼女を無下にするな。魔力が不足している今の王家には彼らの支援が不可欠だ』と強く懇願されている状況だ。これは……まあ、ある種の国家的な魔力外交のようなものだ。」
アルフレート殿下は、引きつった笑みを浮かべながらそう弁明した。
彼の隣で桃色の髪を揺らし、いかにも庇護欲をそそる可憐な仕草で、行儀悪く王太子の袖を引いているのは、今年入学したばかりの子爵令嬢ミーナだ。
そのミーナの細い首元には、王族しか身につけることを許されない最高純度を誇る青く輝くペンダントの古代精霊の涙が光っていた。
「まあ、アルフレート様ったら。私のような者のために、大切な王家の秘宝を貸してくださるなんて。私、嬉しいですわ。」
「ミーナは本当に健気で、国の未来を憂いてくれているのだね。素晴らしいことだ。」
最初は付き合いと言い訳していたアルフレート殿下だったが、ここ最近の二人の距離感は明らかに一線を越えている。
王族の特権であるはずの精霊石を、正式な婚約者でもない新興貴族の小娘に預けるなど正気の沙汰ではない。
学園は、貴族たちのパワーバランスを測る天秤だ。
周囲の生徒たちは、これを絶好のゴシップとして面白がり、「魔力なき政略結婚に抗う、真実の魔力結合!」「新興魔石貴族による、まさかの略奪劇か!?」と、水面下で無責任な期待を寄せて盛り上がっていた。
「左様でございますか。殿下が、我が国の魔力基盤の安定のためにそこまで深く心を砕いておられること、婚約者として大変深く感銘いたしました。それでは、私はこれで失礼いたします。本日中に行うべき、大結界の維持調整がございますので。」
エレオノーラは微塵も揺らがぬ、完璧な傾斜角度の優雅な一礼を捧げ、サロンを後にした。
しかし、一歩外へ出た彼女の胸中は、決して穏やかではない。
(……ええ、もちろん、とっても不愉快だわ。未来の王妃となるために、血の滲むようなマナーレッスンもお妃教育も、そして王都を覆う大結界の維持呪術も、すべて完璧にこなしてきたというのに。あの殿下といえば、少し実家が富裕なだけの小娘に『魔石を貢いでもらった』というだけで、随分とだらしなく鼻の下を伸ばしていらっしゃること。おまけに、王家の秘宝を持ち出すなんて、正妃を侮辱するにも程がありますわ)
胸の奥で静かに怒りを燃やしながらも、エレオノーラは冷ややかに確信していた。
新興貴族のローゼンバーグ子爵家と、その令嬢ミーナたちは王家にお金を貸している自分たちが一番偉いと勘違いして調子に乗っている。
だが、彼女たちはまだ気づいていない。
この国で本当に怒らせてはいけないのが誰なのかを。
エレオノーラは学園に手配させた、防音と対衝撃の魔法障壁が施された専用の馬車に乗り込み、真っ直ぐに王宮へと向かった。
向かう先は、現王妃――アデレイド王妃陛下の私室である。
王宮の最奥、厳重な結界呪術と近衛兵によって守られたアデレイド王妃陛下の私室。
そこは、外界の喧騒が嘘のように静まり返り、高貴な香の香りが漂っていた。
「――という状況でございます、王妃陛下。アルフレート様は『魔石外交のための義務』とおっしゃっていますが、王家の秘宝である古代精霊の涙をミーナ様にお渡しになり、少々、常軌を逸した距離感でお過ごしのように見受けられましたので、念のためご報告に参りました。」
エレオノーラは、用意された上質なソファに腰掛け、少し健気に微笑みながらお茶を濁した。
あくまで王太子の婚約者としての立場を守り、味方であるはずの王妃陛下にやんわりと相談し、後ろ盾としての確約を得ようという、極めて一般的な淑女の算段だった。
カチャッ。
最高級の白磁で作られたティーカップが、ソーサーの上で冷ややかな音を立てる。
王妃アデレイドの、実年齢を全く感じさせない類稀なる美貌が見たこともないような漆黒の微笑みに染まっていった。
「……エレオノーラ。」
「何でございますか、王妃陛下。」
「我が夫の国王陛下が幾度も軽率な浮気を重ねて王家の魔力と財政を傾かせ、新興の成金貴族などに頭が上がらなくなったゆえ、その血を引く息子の王太子も、愚かしく真似をして不貞を謳歌している、と言うことね。」
すうっと王妃の周囲の空気が、まるで魔力が凍結したかのように絶対零度まで凍りつく。
エレオノーラは思わず背筋を伸ばし、額に薄い汗を覚えた。
そう、現王妃アデレイド陛下は長年、国王陛下の度重なる浮気に頭を悩まされ、そのたびに微笑みを湛えながら浮気相手の家系ごと社会的に、そして財政的に根絶やしにして王家の威信を保ってきた、まさに対・不貞戦の生ける伝説だったのだ。
「ローゼンバーグ子爵? 新興の魔石炭鉱を掘り当てた程度の浅薄な家柄でありながら、我が王家へ魔石を少し貸し付けた程度で増長し、我が最愛の義娘となるべきエレオノーラを蔑ろにしたってことなのね。あの、甲斐性無しな夫の尻拭いのせいで、どうして私の可愛いエレオノーラが心を痛めねばならないのでしょう? 甚だ遺憾だわ。私は断じて浮気は許しません!!王家の誇り、そして何より不貞に悩まされ続けた私、二十年に及ぶ矜持にかけて徹底的に、灰も残さず、この社会の塵にして差し上げますわ。」
王妃が静かに、デスクの上の金色の呼び鈴を鳴らす。
すると、部屋の隅の影から、気配を一切感じさせずに、全身を魔法消音繊維の黒衣に包んだ男が現れた。王宮直属の秘匿諜報部隊の長である。
「ローゼンバーグ子爵家の資産の流れ、裏帳簿、東方帝国との間で行われている精霊石の不法密輸容疑、および学園にいるミーナとやらの過去の素行。本日これより二十四時間体制で監視し、即座に告発の準備を進めなさい。必要とあらば、王室が秘匿している王室財閥の全資金、および結界捜査権をすべて情報工作に注ぎ込んでもよろしくてよ?」
「御意に。直ちに」
諜報員は一瞬で影に溶けるようにして消え去った。
当初抱いていたアルフレートへのもやもやした怒りは、王妃の暴走を前にして、急速に冷ややかな同情へと変わっていった。
それからの王妃陛下の動きは、まさに電光石火、かつ徹底的な冷酷さそのものだった。
エレオノーラが学園で普段通り、完璧な成績と優雅な態度を維持して過ごしている間にも、王宮の暗部と財務省の精鋭たちは、ローゼンバーグ子爵家の周辺を徹底的に洗い出していた。
新興の成金ゆえに、急激な資産拡大の裏には、無数の脱税と密輸の綻びがあったのだ。
1週間後、エレオノーラは再び王宮の茶会へ呼ばれ、王妃陛下から優雅に進捗報告を受けることとなった。
「エレオノーラ、とても良い報せがあるわ。ローゼンバーグ子爵家だけど、やはり関税の脱税に加え、東方の軍事帝国からの禁輸品――魔力抽出用の有毒ハーブの密輸に関わっていた完璧な証拠が掴めたの。」
「まあ……それは一発で爵位剥奪、および国家反逆罪が適用される重罪でございますね。」
「ええ。それだけではなく、あのミーナという小娘が、実家の父子爵宛に定期的に送っていた手紙もすべて押さえさせたわ。そこには『王太子は非常に扱いやすく、魔石を少し貢ぐだけで何でも言うことを聞きます。間もなくこの国のお妃の座は我が手中に。そうすれば我が家がこの国を支配できます』と、非常に汚らしい筆跡で記されておりました。王家の守護結界の機密にまで触れようとしていたの。」
王妃陛下は楽しそうに、金糸で刺繍された扇子で口元を隠しながら、鈴を転がすような美しい声で笑った。
しかし、その瞳の奥には氷山よりも冷酷な殺意が宿っている。
「王妃陛下、素晴らしい手際でございますが……国王陛下がローゼンバーグ家を庇うことはございませんか? アルフレート様も、陛下からの圧力を盾にしておられましたが。」
「あら、そのことだけれど。国王の『過去の愛人たちの隠し金庫』をすべて物理的に破壊・差し押さえし、今後の資産運営権を完全にわたくしの手に移したのよ。そして陛下には『もしこれ以上ローゼンバーグを庇う、あるいはアルフレートの不貞を黙認するのであれば、すべての件を民衆へ公表し、今後の陛下の趣味の予算を一切絶ちます』とお伝えいたしました。」
「……陛下は何と?」
「『私のことは気にせず、今すぐローゼンバーグを潰すがよい。王国の正義はアデレイドと共にある』と、涙をボロボロと流しながら許可の書状に署名をなさいました。現在は、月、銀貨五枚のお小遣い制で、自室にて大人しくチェスを打っていただいております。とても静かで良いことよ。」
エレオノーラは思わず遠い目をした。一国の主たる国王陛下が、完全にお小遣い制の籠の鳥と化してしまったのだ。
王妃アデレイド陛下を本気で怒らせると、国政のトップすら一瞬で無力化される。
「これで障害は何もないわよ。さあ、未来の王妃たるエレオノーラを侮った代償を、存分に支払っていただきましょうね。」
美しい微笑みの裏で、ローゼンバーグ子爵家という巨大な新興魔石勢力を、外堀どころか彼らが立っている地面ごと消滅させる準備が完璧に整った瞬間だった。
さらに数日後。
学園のサロンは、異様な緊張感に包まれていた。
何も知らないアルフレート殿下とミーナは、今日も今日とて、周囲の注目を浴びながら親密そうに言葉を交わしている。
ミーナの胸元には、相変わらず王家の秘宝がこれみよがしに輝いていた。
「アルフレート様、今度のお休みには、我が実家の別荘へいらっしゃいませんか? 素晴らしいヴィンテージのワインと、特別な魔力回復薬をご用意させております。」
「おや、それは魅力的だ。ミーナ嬢の誘いなら、喜んで――。」
そこへ、カツ、カツ、と冷徹で気品ある足音が響き渡った。
サロンの重厚な防音扉が乱暴ではなく、だが極めて厳かに開かれ、現れたのはエレオノーラ。
そして、その後ろに控えているのは、学園にはおよそ似つかわしくない王宮直属の第一近衛騎士団と、財務省の冷徹なエリート査察官たちだった。
「な、なんだ!? エレオノーラ、これはどういうことだ! 騎士団まで連れて、学園の秩序を乱す気か!」
慌てて立ち上がるアルフレートを完全に無視し、エリート官僚が厳しい口調で羊皮紙の令状を広げた。
「ローゼンバーグ子爵令嬢ミーナ。および、その実家ローゼンバーグ子爵家。王室への不当な高利貸し付けによる脱税の容疑、国境を越えた禁輸品および毒物ハーブの密輸、さらには『国家転覆を狙い、王太子を篭絡して結界機密を盗み出そうとしたスパイ容疑』がかけられておる。これは王妃陛下直属の査察令状だ。」
「な、なんですって!? そんなの、根も葉もない卑劣な言いがかりよ! 私はただ、アルフレート様を愛しているだけで!」
ミーナが顔を真っ青にして叫ぶ。
「言いがかりではございません。我が王宮の諜報員が掴んだ、そちらの裏帳簿の写し、ならびにミーナ殿が実家に宛てた『もうすぐ王太子妃の座は私のもの。王家の結界など我が家の魔石でどうにでもなる』と書かれた直筆の手紙がこちら。インクの鑑定、筆跡鑑定ともに完了しておる。」
官僚が冷酷に突きつけたのは、ミーナの汚らしい字で書かれた手紙の山だった。
「あ、ア、アルフレート様! これは罠ですわ! 私はハメられているのです!」
呆然と立ち尽くすアルフレートの傍らへ、エレオノーラはすっと歩み寄り、冷ややかで美しい淑女の視線を向けた。
「アルフレート殿下。国王陛下からの圧力をご心配されていたようですが、王妃陛下が国王陛下の愛人関係および隠し資産をすべて清算し、完全なるお小遣い制に処されました。陛下は『ローゼンバーグを今すぐ叩き潰せ』と涙ながらに許可を出されております。」
「父上がお小遣い制に……!? そんな、馬鹿な……。」
「ええ。ちなみに、王妃陛下は『不貞という悪質な性質は、一回この王家の血筋から根絶やしにした方が世のため』とおっしゃり、アルフレート様の王位継承権の剥奪手続きも、すでに九割方完了しております。そちらの近衛騎士団は、殿下を『王位簒奪協力容疑』で拘束するために参りました。」
「な、なんだって……!?」
アルフレート殿下の絶望の悲鳴が学園のサロンに響き渡る。
略奪愛や新興勢力の台頭を期待してニヤニヤしていた周囲の生徒たちは、一瞬でこれに関わったら一族ごと消される、と察し一斉に目を逸らして沈黙した。
あまりにも冷徹で、あまりにも容赦のない本物の国家権力の行使を目の当たりにしたからだ。
「お待ちください、エレオノーラ様! 私はただ、アルフレート様と真実の愛を育みたかっただけで、政治的な意図なんて――。」
往生際悪く縋り付こうとするミーナの前に、エレオノーラは完璧なお淑やかさで立ちはだかり冷ややかに見下ろした。
ミーナの首元から、そっと秘宝をエレオノーラの手元へと回収する。
「あら、ミーナ様。愛を育むのは個人の自由ですわ。これからは、ご家族揃って魔力の通わぬ北方の厳しい開拓地での石ころ拾い労働が待っておりますから、そこでお二人で愛の力だけで荒地を耕されるとよろしいのではなくて? 幸い、そちらには魔石は一つも転がっておりませんけれど。」
ミーナはそのまま近衛兵たちによって、抗う術なく引きずられて連行されてゆく。
彼女の実家であるローゼンバーグ子爵家も、本日をもって取り潰し、資産およびすべての魔石鉱山は王家に没収される手筈となっていた。
そして、王位継承権を失い、ただの「やらかした元王太子」としてガタガタと震えるアルフレートの背後に、さらなる絶望が近づいてくる。
サロンの入り口から、美しくも冷徹な満面の笑みを浮かべたアデレイド王妃陛下が、扇子を片手にゆっくりと歩いてこられたのだ。
その後ろには、恐怖に震える国王陛下が小さくなって同行させられていた。
「さあ、アルフレート。我が家系の恥晒しとして、これから王宮の特別室で、じっくりと話し合いをいたしましょうね?
陛下も、教育係として同席を許可いたしますわ。」
「は、母上……っ! お許しを……!」
「ア、アデレイド、何も私まで怒らなくとも……。」
哀れな元王太子と国王は、王妃陛下の圧倒的な威圧感の前に、引きずられるようにして連行されていった。
静まり返るサロンの中で、エレオノーラはふぅ、と小さくため息をつく。
(少し浮気されただけなのに、まさか新興貴族が丸ごと一つ、一瞬で社会的に消滅するとは思わなかったわ。王妃陛下はやはり怒らせるとこの国で一番恐ろしい方ね。)
不実な婚約者は去り、ローゼンバーグ家の莫大な没収資産によって王家の財政と魔石備蓄は完全に健全化した。
エレオノーラは、新しく王位継承者となった優秀な第二王子殿下との新たな婚約が内定しており、未来の王妃としての道は確固たるものとなった。
「エレオノーラ、本当によく耐えてくれましたね。これからはあなたが、この国で最も幸せな王妃になる番ですよ。」
戻ってきた王妃陛下が、先ほどとは打って変わって、慈愛に満ちた本当に美しい母親の笑みを向け、エレオノーラの手を優しく包み込んだ。
「ありがとうございます、王妃陛下。すべては陛下の迅速なご決断のおかげでございます。」
エレオノーラは淑女の微笑みを返し、差し出された温かい紅茶を上品に一口すする。
彼女の未来には、もう二度と、不快な羽虫が寄り付くことはないだろう。
【完】




