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好きになるから近づくな (当方、恋愛経験なし)

作者: ミズアサギ
掲載日:2026/03/12

 

 莉央はトラックに撥ねられた。気づくと、異世界にいた。



「本当に貴女、何の特技もないのね」


 がっかりした様子で、中世ヨーロッパ貴族のようなドレスを着た女性が言う。莉央は黙って俯いた。


「我が国は数十年に一人、異世界人と呼ばれる人が落ちてくるの。聖女様だったり、すごいお料理を発明する人だったり、法律や教育を整えた方もいらしたわ。素晴らしい特技がある異世界人は、国や公爵家が囲っていたの」


 お前には何の取り柄も能力もないから、うちの子爵家が面倒を押し付けられた……子爵夫人はそう言いたいのだろう。莉央に反論は無い。元の世界の莉央は、大学受験に失敗して就職もままならず、短期のバイトを繰り返す喪女だった。子爵家を気の毒にさえ思う。


「さすがに働いてもらわないと、貴女もうちに居づらいでしょう。何かできないの? 家庭教師とかお裁縫とか」


「流れてくる料理に花を載せる仕事とか、穴を掘って石を見つける仕事とか……」



 莉央は楽しかったバイトを思い出す。工場のライン作業は誰とも話さなくて済むので楽だった。遺跡発掘のバイトも似たようなものだった。


 そんな莉央を見て、夫人は大きなため息を吐く。莉央の肩が跳ねる。莉央は人とのコミュニケーションが苦手だ。特に中年女性の不機嫌は、母を思い出し萎縮してしまう。莉央は唇を結んだ。こうなったら莉央は話さない。

 夫人はソファーに深く腰掛け、侍女を全員下がらせた。莉央は俯いたまま目も合わさない。ただ、嵐が過ぎるのを待つ。


「いきなりこちらに来て可哀想とは思うわよ。でもね、私の人生もそんなに幸せではないのよ」


 侍女を下げた途端、夫人は誰にともなく身の上話を始めた。それは莉央に聞いて欲しいというより、鬱憤を晴らしたいだけのようだ。

  話はというと、莉央がよく知る家庭板の内容そのものだ。莉央は夫人を気の毒に思ったが、気の利いたことなんて言えるはずもない。


 そこで莉央は思い出した。コミュ障の自分が編み出した会話法を。



「あぁ、なんて酷い」

「いくら何でも」

「嘘でしょう?!」

「えー。信じられない」

「お辛かったですね」



 その名も『五十音合いの手』だ。

 五十音の縛りをつけるだけで、後は適当なことを大喜利のように合わせればいい。「ぬ」やら「を」やら意外と頭を使うので、その間は相手の顔色を気にしなくて済むし、案外違和感は無いようだ。

 現に、誰に話しているのかわからなかった夫人も、いつの間にか莉央の手を握って涙さえ浮かべて夢中で話している。

 正直、どちらが悪いかなんて莉央にはわからない。だから合いの手のみ。莉央の合いの手がマ行にきた頃、ようやく夫人はすっきりした様子で話を終えた。


「リオ。貴女、話を聞く才能があったのね。すごく楽になったわ、ありがとう」




 翌日の午後、莉央は馬車に揺られていた。夫人が莉央の話を子爵にしたところ、子爵の甥の屋敷に派遣することが決定したのだ。屋敷を出る時、夫人は一人の騎士を護衛につけた。


「子爵家騎士のウォルターだ」


 これは参った……莉央は思わず唸った。ウォルターと名乗る騎士はイケメンだった。とにかく顔が良い。彫りの深さ、短髪に刈られた頸の青さ、奥二重の鋭い目に薄く大きい唇……刺さった。


「……チェンジとかって」


「ない。子爵家には女性騎士はいない」


「そうですか」



 莉央は自分のチョロさを自覚している。バイトリーダー、塾の講師、アニメショップの店員。軽率に恋に落ちたこと数知れず。しかし、その恋は秒で破れてしまう。だって私、どこに出しても恥ずかしい喪女だもの……

 莉央の頭に警戒レベル4(全員避難)が鳴り響く。が、喪女には喪女の対処法がある。莉央は心のヘルメットを被り、気持ちを切り替えた。


 __私はウォルターには恋をしない。彼はただの推しである。


 莉央の心が凪いだ。最近はこうして自分の心を守っている。莉央はウォルターの後ろを歩く。

 スッ。ウォルターが手を差し出した。エスコートだ。騎士のお仕事、推しのお仕事。推しに触るな、近づくな……


「お構いなく」


 莉央はウォルターの手を無視して、ドレスの裾をたくし上げるとヨイショと馬車に乗り込んだ。

 ウォルターは少し驚いたようだ。向かいに座る馬車の中でも、莉央はウォルターと目を合わさない。匂いだけで十分。ウォルターからの視線は痛いが、あちらも自分みたいな女に好きになられても災難だろう。

 そして馬車は無言のまま、目的地へと到着した。



 ***



 子爵の甥ロビンは、爵位を継げば男爵になる。しかし三十路を迎えようとしても結婚していない。早く結婚して爵位を継げとの雑音にうんざりしてしまった……青白い顔をした痩せた男は莉央にそう言った。


 応接室には、ロビンの向かいに莉央、後ろに控えるウォルターの三人だけだ。

 莉央は黙ったまま話せない。そのうち、無音の空気に耐えられなくなったロビンが口を開いた。


 要するに、初恋を拗らせたまま三十路になってしまったらしい。莉央は自分のことを棚に上げて情けないなと思った。しかも、お相手の女性は最近出戻ってきた。ロビン、確変中だ。


「ああ、なるほど」

「家を継ぐのにお相手は問わないのですよね、ご両親は」

「うんうん」

「ええ?! 子供も養子でいいのですか」

「落ち着いてる場合じゃないですよ」


 急に話し出した莉央に、ロビンは面食らった様子で尋ねた。


「そんなに急がないとダメかな」


「かなり」

「聞いた限り」

「悔いを残さないためにも」

「結果を出しましょう」

「今夜がヤマです」


 莉央が淡々と言い終えた瞬間、ロビンの顔色が変わった。ロビンはすぐさま侍女を呼び、着替えの準備を言いつけた。キビキビ動き出したロビンに呆気に取られていると、ロビンは莉央に頭を下げた。


「ありがとう。本当は勇気がないだけだと理解していた。どうなろうと、今夜当たって砕けるよ!」


 そう言うと踵を返してロビンは颯爽と応接室を後にした。砕けてどうすんだよ……そう呟く莉央を、ウォルターはじっと見つめていた。



 ロビンが無事、幼馴染との恋を実らせた頃には、莉央に話を聞いて欲しいとの申し出が殺到した。こうして、莉央は一応の職を得た。


「貴女、何というか、新しいお仕事見つけたわね」


 莉央の相談はたちまち評判になった。すっかりご機嫌の子爵夫人が、新しいドレスを莉央に見繕いながら言った。莉央が話を聞く度に、子爵家には少なくない謝礼金が入る。それに、普段は寡黙(コミュ障)な莉央のことも気に入っている。どれだけ聞いても他家での内容は話さない。莉央は口が固く、信頼に値すると思ったからだ。



 ホーリー伯爵家の次男ピーター(八歳)は、学園でいじめに遭い不登校になっていた。


「さぁ、もう我慢しなくてもいいですよ」

「知らない人の言うことなんて気にしない」

「スンって無視しちゃいましょう」

「先生にも間違いはありますよ、人間だもの」

「そんな学園、今無理して行く必要あるのかしら」


 学生時代の自分に言い聞かせるように、莉央は熱心にピーターを励ました。五十音で。

 これに関しては伯爵夫妻と衝突した。夫妻は子爵家にまで押しかけた。伯爵家の息子が情けない、学園に行かなくていいとはどういう見識だと。


「立場があるとは思いますが」

「近くにいる大人まで責めちゃうのはどうかと」

「つって私も学校には行けませんでしたが」

「手に職つければ何とか生きていけますって」

「とにかくピーターを信じてあげて下さい」


 あの頃、母に言いたかったことを莉央は伯爵夫妻に熱心に訴えた。五十音で。

 ピーターは学園を休み家庭教師を付け必死で勉強しているらしい。莉央は生まれて初めて、充実感を味わった。



 仕事を始めて三ヶ月。

 相変わらず莉央はウォルターと目も合わさない生活を送っていた。ウォルターも話し掛けてくることはなかったが、その日は違った。


「なぁ。アイウエオ、カキクケコって何だ? ワヲンまで行くと、またアイウエオに戻る」


 莉央は飛び上がらんばかりに驚いた。ウォルターに話し掛けられたのはもちろん、まさか『五十音合いの手』がバレているとは。

 ここで隠しても子爵家には報告されるだろう。最初とは違い、最近の莉央は真摯に相談に乗っていた。不誠実だと思われては堪らない。

 莉央は五十音の仕組みから、話下手な自分が誠実であるために編み出した話法だとウォルターに説明した。

 ウォルターは黙って聞いていた。



 ***



 その日はある男爵家に派遣されていた。

 激しい通り雨で道がぬかるんだせいか、帰りの馬車は揺れに揺れた。寝たふりを決め込んでいた莉央も、体が跳ねるほどの揺れには敵わない。慌てて窓枠にしがみつこうとした。


「失礼」


 向かいにいたウォルターが、莉央の左隣にピタリと座り、さらに左腕を莉央の前に通して窓に手をついた。


 __ま、窓ドン!?


「警戒情報は発表されていません」状態だった莉央に緊張が走る。推しに触るな、近づくな。心臓が持たん……莉央は力いっぱい、ウォルターを押し除けた。


「なぜ俺を避ける。そんなに俺が嫌いか」


 ウォルターはムッとした様子で、向かいの座席にドカッと腰を下ろした。

 ウォルターは気分が悪かった。今まで女性に近づかれることはあっても、距離を置かれることなどなかったからだ。たじろぐ莉央を睨みつける。


 一方莉央は、推しに不快な思いをさせたと頭が真っ白になっていた。

 避けなければこちらが焼け野原。嫌いじゃなくてむしろ好き。好きになっちゃいけないから困っているのだ。誤解を解かなければ干されヲタになる。誤解を解けば、ガチ恋勢の痛い女だと思われ干されヲタ不可避。

 なかなか問いに答えようとしない莉央に、ウォルターの苛立ちは激しくなるばかり。


「リオ」


「ひっ! 名前呼び?! 認識されてる、無理、しんどいぃ」


「俺に名前を呼ばれると、そんなに気分が悪いのか」


 女性からこんな扱いを受けたことはない。プライドを傷つけられたウォルターは、思わず座席から立ち上がった。


「す、好きになるから近づくなっ!」


 両手で顔を覆った莉央の悲鳴が、ウォルターの動きを制止する。


「は?」


 何だ、こいつは。好きになるから近づくな、だと? 訳がわからん……ウォルターには莉央の言葉が全く理解できない。

 不自然に動かない二人を乗せた馬車は子爵邸に到着する。不穏な様子に、御者は心配そうに馬車の扉を開いた。


「名前も呼ぶなっ! しんどいっ」


 扉が開いた瞬間。莉央はウォルターにそう叫ぶと、ドレスのスカートを捲し上げ見事なジャンプで馬車から飛び降りた。そして脱兎のごとく、屋敷に向かって走り去った。

 綺麗なフォームで駆け去る莉央を呆然と見つめていたウォルターは、やがて唇の端を上げ不敵に笑いながら呟いた。


「なら、好きにさせてみるか」



 ***



「カイン」


「何? 交代の時間はまだだよ、ウォルター」


「俺のこと、好きになってしんどいか?」


 同僚騎士のカインは目をまんまるにして、そしてウォルターから一歩離れた。


「何、気色の悪いこと言ってんの? 好きになるわけないじゃん。馬鹿馬鹿しい」


 カインは少し戸惑った。ウォルターは冗談を言うタイプではないからだ。


「そんなことより、侍女のサラ。明日友達連れてくるってさ。久々に朝まで飲むよ」


 ウォルターはカインの言葉に適当に頷いた。名前を呼ばれても何ともないらしい。ウォルターもカインに何も感じなかった。


「やっぱり、あの女はおかしい」


 馬車でのイライラは鳴りを顰め、ウォルターは感じたことのない仄暗い興奮に目を輝かせた。



 ***



 翌日の仕事は午前と夕方。

 朝から馬車の中でウォルターは攻めた。今までかすりもしなかった膝をわざと当てる。驚いた莉央が馬車の窓際に寄ると、隣に座り肩を触れさせる。


「か、神ファンサ……」


 莉央は顔を真っ赤にする。その表情に気をよくしたウォルターは、さらに顔を近づけ覗き込む。


「目線、いただきました」


 莉央が涙目になる。それを見たウォルターは満たされた。しかし、ふと考える。好きにさせた後はどうすればいいのかと。

 異世界人は貴族ではない。手を出しても何の咎もないだろう。手を出す……隣の莉央をチラリと見る。

 莉央は何やらブツブツと呟きながらプルプル震えていた。相変わらず様子のおかしい女だと思ったが、その珍しい黒い髪には触れてみたいし、その黒い瞳に映る自分を見てみたい。

 そして莉央は、また違う男に近づかれて、名前を呼ばれて好きになって……


 ガンッ!


 急に前の座席を長い足で蹴り上げたウォルターに、莉央はヒッと小さな悲鳴を上げた。

 ウォルターの眉間には深い溝が刻まれ、過去一番不機嫌な顔をしている。何があったか知らないが、過度なファンサをされるよりかはいい。レアな表情ごっつぁんです、莉央は心の中でウォルターに礼を言った。



 仕事から戻り昼食を済ませた莉央は、昼寝をすることにした。そして、ウトウトしながら考えた……あのイケメンは危険だ。莉央は寝返りを打つ。


 __リオ


 脳内リピートされる低い声に、莉央はガバッと体を起こす。

 ウォルターに対しては、ただの強火担だと自分に言い聞かせていた。が、もう限界だ。これは推し活ではない。恋だ。

 予感通り、チョロくも好きになってしまったと自覚した莉央は、ベッドを右へ左へゴロゴロと転がるだけの時間を過ごした。

 そこへ、子爵夫人から部屋まで来るようお声が掛かった。



 莉央は一人で夫人の部屋に向かう。今日も家庭板の続きが聞けそうだ。

 ウキウキしながら廊下の窓から外を見ると、木の陰にウォルターを見つけた。莉央は慌てて窓から離れようとした。が、ウォルターの隣に美しい侍女がいるのに気づくと固まった。見たくないのに、目が離せないのだ。

 女性はウォルターの腕に両手を絡ませて、何やら親密そうに話している。ほとんど密着だ。


「今日は朝まで一緒よ」


「ああ」



 莉央の体温がすっと下がった。一歩、一歩とゆっくり後ずさる。視界がぼやける。胸には久しぶりに味わう、あの重い痛みが広がる。また好きと自覚した途端に打ち砕かれた。

 莉央は手の甲でグイッと涙を拭き、前を向いた。

 やはりウォルターは推しなのだ。推しに女がいて当然。何なら推しの彼女ごと推せる。推しは公共財産だし……ブツブツ呟きながら、莉央は子爵夫人の部屋へと向かった。



 ***



 夕方。派遣先に向かうため、莉央は子爵邸の前に立っていた。

 莉央の中でウォルターは無事、推しに降格した。吹っ切れた様子で、莉央は同行するウォルターを待つ。


「えっと……」


「私、騎士のジェームズと申します。しっかりお供させていただきます」


 莉央の前に、ウォルターではなく初老の男性が現れた。ジェームズはスッと莉央の手を取ると馬車に乗せてくれた。


「サ終のお知らせキタコレ……」


 運営からの突然のお知らせに、課金はしていないのに莉央はしっかり落ち込んだ。



「リオ様、お寒くないですか。膝にショールを掛けましょう、少し近づきますよ」


 動かない莉央に、ジェームズは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。これは推し変しろってことだろうか。

 莉央はジェームズを見上げる。ジェームズがニコリと笑う。定年後に天下ってきた工場長みたいな優しい笑顔だ。

 推すか、工場長なら家族ごと推せる。孫もいるし……莉央は瞳を閉じた。



 ***



「私、結婚するの。相手はね、残念ながら貴族じゃないけど大手商会の次男坊よ」


 下町のパブでエールを飲みながら、サラはウォルターとカインに嬉しそうに報告をしていた。


「おめでとう」


 ウォルターはジョッキを持ち上げサラを祝福する。カインはサラの友人と意気投合したのか、そちらとばかり話していた。


「彼とはお互い良い人が現れなかったら結婚しようって話してたんだけど、まさかこんな早く一緒になるとはね」


 サラが嬉しそうに言った。


「ま、お互い好きだったからね」


 少し照れながら言うサラに、ウォルターは莉央を思い浮かべながら質問した。


「女は、男を好きになると困るのか?」


「何、それ。困る訳ないじゃない」


 サラが笑う。異世界人である莉央の感性がおかしいのか、とウォルターは首を傾げた。


「私のこと、好きになって困っているの?」


「全然」


 いたずらっぽく聞いてくるサラに、ウォルターは即答した。


「では、名前を呼ばれたら無理か? しんどいか?」


「あなた、大丈夫?」


 いつもと違う様子に心配したサラだったが、ふとウォルターを見つめた。


「ウォルター」


「何だ」


「名前を呼んだわ。しんどい? ドキドキした?」


「全然」


「最後までブレないのね」


 サラはまた笑って、エールを飲み干した。


「そうそう、結婚と言えばね。子爵夫人が話していたんだけど、あの異世界人、結婚するらしいよ」


 莉央のことを考えていたウォルターは、手にしていたジョッキを落としそうになった。


「結婚?」


「夕方、奥様のお部屋の前を通ったら聞こえてきたのよ。あの人、ああ見えて二十三歳なんだって」


「えっ、俺とウォルターの二つ年下なの?! てっきり十六、七だと思ってたよ」


「なになに? 異世界から来た人? どんな人なの、私も見てみたい〜」


 友達の問いに、サラはしばらく考えた。


「そうねぇ。体型はカリカリしていて魅力はないわね。でも黒い髪がツヤツヤで、肌がびっくりするほどきめ細かいのよ」


 ウォルターは頷いた。黒い髪と肌は触ってみたくなる。


「でも大人しい人だから、何考えているのかわからないわ」


 とんでもないこと考えてるぞ、アレは。ウォルターは笑いを堪えた。カインはウォルターを見て、不思議そうに呟いた。


「ウォルターもそんな顔して笑うんだな」


「私の予想ではヤード男爵家の三男坊ね。相談のお礼をさせてくれってって執拗に手紙が届くし」


 ウォルターは過去に莉央が話を聞いた優男を思い出した。ウォルターほど逞しくないが、顔は悪くない。甘い顔で女にはモテるだろう。何より莉央に好意を向けていたので覚えている。

 あいつに腰を抱かれ引き寄せられた莉央は、好きになってしまうのだろうか。名前を呼ばれた莉央は、真っ赤になって涙目になってあいつを見つめて……


「帰る」


 険しい顔をしたウォルターが、派手な音を立てて椅子から立ち上がった。引き留める間もなく去っていくウォルターを、三人は黙って見送った。


「執着しないところがウォルターの魅力だったのになー」


 サラはつまらなそうに、ウォルターの残したジョッキを煽った。



 ***



 莉央は子爵家の庭園が好きだ。夜は、ランタンの光に照らされた庭園がテーマパークを思い出させる。莉央は肩にショールを掛けて散歩を満喫していた。

 新しい推しには五人の孫がいるらしい。推しカラーも考えなければ。こりゃ忙しくなるぞ。

 莉央がふふふと笑った瞬間。

 莉央はいきなり腕を掴まれ、ガゼボの中に引き摺り込まれた。


「誰っ……元推し?!」


 目の前には、ものすごく怒った顔をしたウォルターがいた。莉央の両手はガッチリとウォルターに掴まれている。


「何を笑っているんだ。もう、そんないい仲なのか」


 ウォルターが莉央を見つけた時、莉央は見たことのない柔らかな笑みを浮かべていたのだ。ウォルターは激怒した。


「俺のことが好きではなかったのか?!」


 自分のことを好きにさせたはずだ。それは勘違いだったのか。ウォルターのプライドは、また莉央によって傷つけられる。


「でも今度は箱推しだから」


「お前の話は半分がわからんっ! それに、俺のことは避けるのに結婚はするのか。相手はアイツかっ?!」


「いやいや、ジェームズさんとは結婚できませんよ」


「ジェームズさんっ?!」


 ウォルターは頭を抱えたくなった。何がどうして、あの退役間近の爺さんとの結婚話が出るのかと。


 突然現れたウォルターは、ずっと訳の分からないことを吠え続けている……莉央はウォルターをじっと見つめた。


 __やっぱり、顔面が強い……


 莉央の耳にはウォルターの言葉など入らない。


 __綺麗な瞳だな。まつ毛長い。唇、よく動く。あ、舌見えた……


 莉央の喉がゴクリと鳴る。


 __ウォルターとはもう会えなくなるだろう。だったら、一度ぐらい許してくれないだろうか。ここは外国だし犯罪には……なるのか? 一生に一度ぐらい、好きな人とキスしてみたかったな……あ、歯も見えた……


「おいっ。さっきからボーッとして、人の話をちゃんと聞いてい」



 チュッ。



 しようとした訳ではない。気がつくと、莉央はウォルターにキスをしてしまっていた。


「や、柔らかいもんですな、へへへ……」


「な、なんでキス?!」


「わ、わからないです。当方、恋愛経験なしなので……」


 勇者爆誕だ。莉央はいそいそとガゼボから出た。意外なことに、ウォルターは何も言ってこない。

 てっきり怒られるものだと思っていた莉央は、斬られるのかと不安になって振り返る。


「え?」


 莉央の目に、へたり込んでいるウォルターの姿が飛び込んできた。その顔は、首まで赤い。


「み、見るな」


 片手で顔を覆ったウォルターが情けない声を出す。


「もしかして、ウォルターも初めて……」


「違う! ……しかし、心を奪われたのは初めてだ」


 今度は、莉央の顔がみるみると赤くなる。


「ウォルターしか勝たん……」


 二人は黙ったまま、ただモジモジと顔を赤く染め続けた。




「何をしてるのだ? あの二人は」


 見回りに来たジェームズが、不思議そうに二人を眺めていた。


 訝しそうに二人を見ながら、ジェームズは子爵夫人との会話を思い出していた。

 それは夕方、馬車に向かう前のこと。子爵夫人はジェームズを見つけると、異世界人の話をした。


『結婚の申し出があったのよ。異世界人ったって平民扱いでしょ? お相手は男爵家の三男だし悪い話ではないのよ』


 夫人曰く、夫人なりに莉央の幸せを思って結婚話を進めようとしたらしい。莉央の年齢を知り驚いたのもある。しかし、莉央は受けるどころか訳のわからないことを早口で述べるのみ。どうやら結婚の意思はないらしい。


『本当は子爵家から出したくないのよ、いい子だし、うちも潤うし。ウォルターあたりと結ばれてくれれば万々歳なんだけど』


 ジェームズは首を横に振った。


 『いやぁ、あいつは遊ぶばかりで人を愛することを知らない。ウォルターに結婚はまだまだ早いですよ』



 その直後、ジェームズは莉央と顔を合わせた。引き継ぎの時、ウォルターに、


 『近づくと嫌がるし、名前なんて呼んだ日には暴れますよ』


 と聞いていた莉央は、すんなりとジェームズの手を取り、近づこうが名前を呼ぼうが無反応だった。だいぶ時間が経って孫の話をした時に、ようやく笑ってくれた。


 そんな二人が、今不可解な状態で目の前にいる。ジェームズは身を屈めて観察を続けた。

 しばらく動かなかった二人だが、ウォルターが立ち上がりゆっくりと莉央に近づいた。

 抱きしめて熱い口づけでもするのだろう。以前、ウォルターが侍女としているのを何度か見たことがある。ジェームズはほくそ笑む。しかし、ジェームズの予想は裏切られた。


 莉央に近づいたウォルターは、莉央を抱きしめ口づけをするどころか、ぎこちなく莉央の手に自分の指を絡めた。


 二人はますます赤くなる。莉央は俯いてしまい、ウォルターは恥ずかしそうに、しかし愛おしげに莉央をみつめた。


(だ、誰だ、お前は……)


 ジェームズは息を呑んだ。そんな顔、見たことがない。目の前で甘い空気を纏っているあの男は、俺の知っているウォルターではない。

 あの顔は、人を愛した男の顔だ。愛を知らないウォルターが愛を知ったのだ。



「お、奥様! 大変ですっ」


 退役間近とは思えない足の速さと美しいフォームで、ジェームズは子爵邸へと走り去った。



 子爵家一同から心配そうに見守られながらも、やがて恋愛経験無しの女は恋愛初心者になり、愛を知らない男は唯一の愛を知ることとなる。

 そして……

 ジェームズの推しカラーは茶色に決まった。




 

あなたの推しカラーは何色ですか。


(いつも誤字脱字報告ありがとうございます!)


うちは昔から箱推しカラーは黒です。が、最近は赤箱の黒を推しています。箱推しカラー白の白も(早口)……


ええ、春高で戦ったあのチームです。


お読みいただきまして、ありがとうございました。


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