第3話:ただの野良犬(フェンリル)に、スコップ一閃!?
その瞬間、動画共有サイト『Dチューブ』のサーバー管理室では、アラートが鳴り響いていた。
とある新規チャンネルへのアクセスが、異常な数値を叩き出していたからだ。
タイトル『【初心者】大根を植えます』。
同接数、一万五千人突破。
配信開始からわずか三十分。SNSでの拡散速度は、既にトップニュース級になっていた。
『おい見ろ、人工太陽だ』
『これマジでCGじゃないのか?』
『国立天文台のアカウントが「新宿の地下から未知の高エネルギー反応を観測」ってつぶやいてるぞ』
『じゃあ、この配信……ガチのマジってことか?』
画面の中では、眩い光の下で一人のサラリーマンが汗を流している。
彼は淡々とクワを振るい、土を盛り上げ、見事な「畝」を作っていた。
その光景自体は平和そのものだ。
――背後の闇から、絶望的な殺気が溢れ出すまでは
◇
相馬耕平は、上機嫌だった。
土が良い。日当たりも(作ったから)良い。
ブラック企業で荒んだ心が、土の温かさによって癒やされていくのを感じる。
「よし、こんなもんかな」
一直線に伸びた美しい畝を見下ろし、満足げに頷く。
次は肥料を撒こうか。そう考えてリュックに手を伸ばした時だった。
『グルルルルル……』
重低音の唸り声が、背後から聞こえた。
空気がビリビリと震える。
耕平は手を止め、ゆっくりと振り返った。
「あ?」
そこにいたのは、犬だった。
いや、犬と呼ぶには少々大きすぎる。
体高は大型トラックほど。闇そのもののような漆黒の体毛。燃えるような真紅の双眸。
口からは紫色の火花を散らし、一歩踏み出すたびに、足元の岩盤がミシミシと悲鳴を上げて砕けていく。
深層の覇者。
古代の文献において『国喰らい』と称される災害指定魔獣。
――神狼フェンリル。
本来ならば、遭遇した時点で人間は発狂死するか、恐怖で心臓が止まる存在だ。
現に、配信画面のコメント欄はパニックで埋め尽くされていた。
【コメント】
:うわあああああああああ!!
:フェンリル!? 嘘だろ!?
:教科書でしか見たことないぞ!
:終わった。これ国が滅ぶレベルだろ
:逃げろ! いや逃げても無駄だ!!
:グロ画像くるぞ、ブラウザ閉じろ!!
一万を超える視聴者が、画面の向こうで男の死を確信した。
フェンリルが大きく口を開ける。
その喉奥に、全てを消滅させるブレスの光が溜まっていく――。
だが。
相馬耕平の反応は、人類の想定を遥かに超えていた。
「コラッ!!!!!」
雷のような怒号が響いた。
フェンリルが「えっ?」と動きを止める。
視聴者も「えっ?」とコメントを止める。
耕平は、ブレスの準備に入った伝説の魔獣に向かって、ツカツカと歩み寄った。
その顔に浮かんでいるのは、死への恐怖ではない。
純粋な、激怒だ。
「お前! 足元! 見ろよ足元を!」
耕平が指差したのは、フェンリルの巨大な前足だった。
その足が、耕平がたった今完成させたばかりの「畝」を、無残にも踏み潰していたのだ。
「今の今まで整地してたんだぞ!? ふかふかにしたのに、踏み固めるなよ!」
彼は右手に持っていた園芸用スコップ(ステンレス製・目盛り付き)を高く振り上げた。
フェンリルの赤い目が、そのスコップを捉える。
ただの鉄の塊だ。魔力も感じない。
魔獣は鼻を鳴らした。人間ごときが、我に挑むか。愚かな。
しかし。
フェンリルは知らなかった。
この男が、この空間において「絶対的な管理者」であるということを。
そして、彼が握るスコップには、スキル【領域改変】による「障害物除去」の概念が付与されていることを。
「そこを! どけっ!!」
カォォォォォンッ!!!!!
乾いた金属音が、深層に木霊した。
スコップの腹が、フェンリルの脳天を綺麗にスイングした音だ。
ズドォォォォォォォォン……!
衝撃波が走った。
後ろの空間にあった山が一つ消し飛んだ。
伝説の魔獣の巨体が、まるでゴムボールのように地面にめり込み、白目を剥いて痙攣する。
【コメント】
:…………は?
:え?
:今、何が起きた?
:スコップで殴った? あのフェンリルを?
:特級呪具か何か?
:いや、あれホームセンター『カインズ』のPB商品だぞ(特定班)
:音がおかしいだろwww 隕石落ちた音したぞwww
土煙が晴れると、そこにはお腹を見せて完全に降伏(服従のポーズ)しているフェンリルの姿があった。
尻尾をパタパタと振り、情けない声で「クゥ~ン」と鳴いている。
圧倒的な暴力の前に、野生の本能が「このオスには絶対勝てない」と理解したのだ。
「……たく、分かればいいんだよ」
耕平はため息をつき、スコップの土を払った。
そして、ポケットから何かを取り出す。
間引きしたばかりの、大根の葉っぱだ。
だが、この超高濃度の魔力空間で育ったそれは、一枚でエリクサー十本分の効能を持つ「世界樹の若葉」と化している。
「ほら、これやるから。二度と畑に入るなよ」
ポイ、と投げる。
フェンリルは空中でそれをキャッチし、咀嚼した。
カッ! と魔獣の体が黄金色に輝く。
全身の傷が癒え、毛並みがツヤツヤになり、あろうことか「進化」の予兆まで見せ始めた。
フェンリルは感動した。
なんだこれは。美味すぎる。こんな高エネルギー体は食べたことがない。
この男についていけば、毎日これが食えるのか?
魔獣の忠誠心が、食欲によってカンストした瞬間だった。
「ワンッ! ワンッ!」
「おう、元気になったか。……デカい図体して、野良犬も大変だな」
耕平は、自分にすり寄ってくる国崩しの魔獣の頭を、ワシャワシャと撫でた。
「そうだな……お前、黒いし。『ポチ』でいいか」
【コメント】
:ポ チ
:ネーミングセンスwww
:フェンリル(ポチ)
:S級魔獣が野良犬扱いww
:しかも懐いたwww
:餌付けされたの草。てかあの大根の葉っぱ何? 光ってなかった?
画面の向こうの視聴者たちは、もはやツッコミを諦め、ただこの異常な光景に見入っていた。
恐怖の対象だった魔王クラスの怪物が、サラリーマンに撫でられて尻尾を振っている。
そのシュールかつ平和な映像は、見ている人々に奇妙な安心感と、強烈なカタルシスを与えていた。
『スパチャ(投げ銭)¥10,000』
『スパチャ¥50,000「ポチの餌代にしてください」』
『スパチャ¥1,000「とりあえずチャンネル登録した」』
画面端のカウンターが回り始める。
この瞬間、相馬耕平は、人類史上初めてS級モンスターをペットにした男として、歴史に名を刻んだ。
本人は「野良犬を追い払ったら懐かれた」としか思っていないのだが。
「よしポチ。飯食ったなら働け。そこの岩、どかしてくれ」
「ガウッ!」
ポチが嬉々として岩山を粉砕し、開墾を手伝い始める。
最強の重機を手に入れた耕平は、さらに効率よく畑を広げていく。
その様子を、物陰からじっと見つめる視線があることに、彼はまだ気づいていない。
古代の遺跡から目覚めた、美しき先住者。
エルフの姫君が、震える手でその口元を押さえていた。
「……あの方こそ、予言にある『豊穣の御使い』様に違いないわ……!」
勘違いの連鎖は、まだ始まったばかりである。
(第3話 完)




