28話
ーー弥太郎ーー
「もしもおはせば、少しなりとも、和尚に物を申させてくれ」
「言うてはみるがな」
母が厠に立った折に、右平次が草履を履いて立ち上がる。
「右平次、逃げ失するなよ」
妙な返事をして家を出た。
「右平次様はもう出でられたのかい?」
「うん、我も常より早う行かねば」
「和尚の申さるることをよう聞くんだよ」
「分かっておる」
替えの衣を詰めた包を肩に掛け、家を出る。寺に行く前に、見世のある方へ向かう。寒さも和らぎ、朝の日のさしが暖かい。道のほとりには、草が芽吹く。
「おばちゃん」
「おや、弥太郎じゃないか。どうしたんだい、こんな早うに」
「幾日か寺に宿ることになった。おっかぁと右平次を頼めるか?」
節が目を見開き、口を大きく開けて笑う。
「あっはっは、分かったよ。あたしに任せとき」
「ではまたな」
米屋に背を向け、来た道を戻る。
「詮なき男よ、まったく」
「これより参らん。雨降れば一日延びるやもしれぬが、案ずるな」
「弥太郎、掛海様の言いつけを守るのだぞ」
「分かっておる」
琳海が不満げな顔をする。掛海と共に歩み出す。
「たかだか三日四日のことよ」
後より、永海の励ます声が聞こえた。
雨笠を被り、増えた荷を減らす。
「何処まで参ろうか。そなたは海をば見及ぶや?」
「ずっと昔にな。あの水は飲めぬ」
「塩が混じりておる」
「漬物の味は海の味であったか」
「海にも神様はおはすや?」
「見及ばぬ」
「天の中川には、おはすと思うや?」
「行けば分かる」
見渡す限りの枯田と、人の多き町を代わる代わるに過ぎて行く。
「人は多いな」
「人多ければ、苦しみも多し」
「食い物が足らぬわ」
「神様は日も雨も自由になし、人をば苦しめ給うや?」
「さぁな、爺らは、ただそこにおるとばかりに見ゆるわ」
「人には、御心も懸けられぬか」
「人の身の爺には会うてないな。山奥に人は住めぬゆえか」
「その身をば神なりとは、思わぬや?」
「神にてあらば、ちと楽に生きたいわ」
「左様だな」
掛海が笑う。
ーー右平次ーー
「右平次、風呂にお入り」
屋敷の女房より声を掛けられる。
「風呂? 未だ正午にござろう」
「節が’身を清うしとき’とさ」
(はぁ、、清が頼み申したことか? 今朝の弥太郎の物言いはこのことか)
「お前さんには呆れるよ。半年も一つ屋に居ながら何してたんだい?」
「亭主を亡くされたばかりにござる」
「なればこそよ。出づるとても、火は消すんじゃないよ。後も用ずるからね」
薪と火種を運び、水を汲む。燃える薪を眺める。
(もう四年も経つか。菊にも子がおるであろうな)
弥子を思い出す。
(清とは異なり、死に別れをせぬだけこそ幸いか)
気付けば、風呂より湯気が上がっていた。
弥太郎の居ない夕餉。
「少し拵え過ぎてしまいました」
恥ずかしげな清と見合う。
「弥太郎はよう食らうゆえ、大きに育ちましょう」
「右平次様のおかげにございます」
静かな夕餉は、たちまちに終わる。這いよる弥子を抱き上げ、相手を致せば、目を擦り始めた。
「はや、睡たげにござる」
草履を履いて立ち上がり、清に渡す。弥子を抱く手に、清の手が重なる。
囲炉裏に背を向け横たわる。弥子をあやす声が止む。身を起こす音、草履を履いた。その場で足踏みし、衣を静かに置く音。足音が近づく。囲炉裏との間に割り入って横たわり、腕をまわしつつ背に抱きつく。
「御亭主の事は、苦しうござらぬか?」
「右平次様ならば、許してくれましょう」
清の手が衣の紐を解く。指が腹をなぞり衣を開くと、肩を引かれて仰向けにされた。上に跨る清が仄かに照らされる。身を倒し、柔らかな胸を押し付ける。
「少しばらく、共に在りて給う」
鼻に触れる髪と汗の匂い。顔を上げ、見合う。
「清殿」
唇を重ね、指が絡む。




