26話
ーー与吉(父)ーー
(もうよいぞ)
松明の火が小路の向こうへ失せた。
「参るぞ」
たまと共に荷を担ぎ、刀で塀をなぞりつつ闇の中を歩みゆく。
「ピチャッ」
「やや、急に立ち止まらんでおくれ」
地が濡れている。
「血の溜りておるならば、疾う教えて下さりませ」
たまに聞こえぬよう、密かに呟く。
「何か申したかい?」
(二歩分じゃ)
「水溜りを避くるぞ」
「水溜り?」
塀より離れて少しばかり歩みを進め、再び塀を辿る。屋敷の裏口に行き当たり、内へと入り込む。
(土間に身を潜めておる)
戸をそっと引き開けた。
「伊助、与吉ぞ」
「与吉殿! 助けて下され」
「もはや案ずるな。柳は居るか?」
「此処に」
「火を熾してくれ」
闇の中にて手探りに棚を漁る。火鉢の中へ火口を入れ、火種を熾し、灯油を三つ、持ち来れる松明を灯す。
「おかみさんも助けに、、姫様がお一人にて座敷に、、」
「案ずるな。まったく、姫様はいつにても厄介を引き連れて来られるものよ」
「柳は湯を沸かしてくれ。伊助は水汲みを」
松明を掲げ、たまと共に庭の方へ向かいてゆく。打ち捨てられたる鞘を拾い、庭に出でれば、縁に姫様が座りおはす。
「寒いわ」
「この火にて、少しは温うございましょう」
姫様に松明を渡し奉り、草履を脱ぎて縁に上がる。背負いたる荷を下ろし、襤褸切れを幾つも取り出でた。畳に突き立てられたる白刃を引き抜き、襤褸をもちて血潮を拭い去った。刀を鞘に収め、荷の中より鈎を取り出でて、血の染みたる畳に引っ掛け、引き上げる。襤褸をもちて縁を拭いおるたまを避けつつ、汚れし畳を庭の方へと投げ棄てた。
「燃やしてしまおうか?」
「臭みが立ち申すゆえ、お控え下され」
庭側の畳を剝ぎて見れば、床板にまで丸く染みている。座敷の端に寄せ置かれたる衾のうち、染みのあるものを選び、折りたたみつつ染みの上へ重ね置いた。
「姫様、座敷へお直り下されませ」
姫様の手より松明を受け取り、足元を照らす。点々と返り血が染みわたりたる衣を、さらさらと脱ぎ捨て始めた。
「何見てんだい、はよ湯を持って来ぬか」
「はっはっは、今さらなることよ」
たまが襖を閉め切れば、土間へと歩みゆく。
「姫様は御無事に?」
「案ずることはない。生温き湯でよいゆえ、器に取って下され」
土鍋へと湯を移し替える。
「御挨拶が遅れました。柳と申します」
「こちらこそ、常々、姫様と倅がお世話になり申す」
「以前、何処かにて御目に掛かり申したことがござりましょうか?」
「先の家の女房に、この勤めを教えられたのではござらぬか?」
「与吉殿が計らいて下されたのですね」
「積もる話はまたの折に」
鍋に蓋をして片腕に抱え、土間を出る。
「たま、開けてくれ」
襖がさらりと開き、たまに鍋を渡す。裸にて座りおはする姫様が、ちらと目に入った。
「こらっ、見るなと言うておろうに」
襖を勢いよく閉める。荷の中より鑿を一本取り出で、屋敷の入口の方へと歩みゆく。
「此度は、いかなる御方を嚇し申したのでございますか?」
(足利よ)
「はぁ、人の世を乱し奉るは、お控え下さりませ。ようやく天下が一つにまとまり申したものを」
(九条の小童の仕業よ)
「正体をば、明かし奉るおつもりで?」
(案ずるな。祟られたなどと触れ歩ける身の上ではあるまいに)
屋敷を出でければ、塀に飛び散りたる血を鑿にて削ぐ。
「倅は近頃、木刀を振り回すことに打ち興じております。護衛に召し使われますか?」
(それが役目であろう? そなたよりも頼りになるやもしれぬぞ)
「姫様がさように荒ぶる舞はねば、斯様な事にはなりますまい」
(華麗に舞うておるまでよ)
日の昇る前に、血溜りを掘り返し、畳を運び出した。
ーー右平次ーー
清が此方に背を向け、弥子に乳を与えている。飲み終えると、弥子が弥太郎の許へと這う。振り向いた清の衣が乱れ、胸元が露わになった。目を伏せる。
(気を付けねば。近頃は、胸もとばかり目に留まる)
弥太郎が弥子を抱えている。
「明日は弥太郎の生まれ日にて、少しお祝いをいたしとうございます」
清が手を摺りて、畏まりつつ申す。
「十二か」
「十一じゃないのか?」
「腹のうちにいた分を一つと数うる」
「ふーん」
「明日の夕餉には、何やら買うて参ろう。干し肉を食うたことはあるか?」
「肉は旨きものか? 生にては食えぬし、焼けば強うなる」
「干し肉はさらに強きものなれど、十二にもなりなば噛み得るべし。噛めば噛むほどに味が出で、旨きものぞ」
「米に合うか?」
「まずは干し肉を噛み、味の出でなば米を口へ運ぶ。疾う飲み込まず、ともに噛み続けるのだ」
弥太郎が空なる口を動かす。
「楽しみじゃ」
弥太郎を眺むる清が笑みを湛える。
(春になりなば、屋敷へ戻ろう。今しばし、このぬくもりに抱かれていたい)




