57.真っ青な本性と、愚かな人影は今日も笑う
その戦いの始まりを覚えている人はどれくらいいるのだろうか。
気づいた頃には、到底人とは思えないような、魑魅魍魎が跋扈する戦線で、アズレアは剣を握りしめていた。
父は農作物を育てるのが好きな人だった。
温かくて、大きくて、分厚い手。少し土臭くて汚いその手で、頭を撫でてもらうのがアズレアは好きだった。
農業を手伝っている際に、父はよく語っていた。
「昔は俺も、人を守りたくて騎士を目指していたんだ。でも、騎士になって初めて気づいたよ。剣は人を守る物じゃないって」
いつも、少し沈んだ口調でそう言った後に、明るく伝えてくる。
「アズレア。何もかもが人のためになるとは限らない! だから、まずはお前の好きなように生きなさい」
くしゃくしゃと髪の毛を揺らしながら、分厚い手で撫でられる。
「……まだ、そんなこと言われたって、何も分からないよ」
僕は争うことが苦手だった。だから、こんな少し沈んだ日常が、明日も明後日も、ずっと、ずっと続けばいいと思っていた。
父さんが、農業をして、僕がそれを手伝って、街に売りに行って、父さんと気持ちが沈むような話をした後に、母さんの墓参りに向かってその日の愚痴をこぼす。
そんな日常が、ずっと続けばいいと思っていた。
静かな夜に響いた騒音で、目が覚めた。
部屋の中に父さんが入ってきて、外から他の人が入って来れないように、扉にもたれかかった。
暗くて辺りは良く見えなかったけど、血の臭いが酷くて咽そうだった。
「父さん……?」
「……アズレア……ごめんな。やっぱり、俺はお前を守れそうにないな……」
「え……?」
家の外から何やら騒がしい音がした。
父さんが息をしていない気がした。
煙のにおい。
窓の外から明かりが漏れてはなだれ込む。
朝日じゃない。明日があるかも分からない。悪意に満ちる渇きの空気。
何故か、視界が明瞭になっていく。耳が研ぎ澄まされる。感情が失せていく。
「助けて……!!」
「やめッ……!!」
遠くから声がした。
それで、なんとなく理解した。
他国の騎士が攻めてきた。
「……父さん」
目に光がない。背中から腹部にかけて貫かれたような傷跡と、手に握られた一本の剣。
人を守ろうとした剣はとても脆かった。
「…………」
人を殺すために剣を磨いた者の方が強かった、それだけなのだろう。
悲しい。でも、悲しめない。感情がごっそり抜け落ちてしまったようなそんな感覚。
僕が、気づいた頃には、父さんの剣を持ち、外へと向かっていた。
やることは簡単だった。
まずは敵の位置を確認する。視線の先から死角になる位置を暴き出し、距離に関係なく一番殺しやすいと感じた奴を殺すだけ。
音を立てれば気づかれる。だから音を殺す。
「ぐあッ!!」
例え捕捉されたとしても、不規則に揺れながら、動きに緩急を付ければ、相手の視界から外れやすかった。
「ヒッ! や、やめ――!」
鎧は硬くて隙間が無いから、剣の柄で殴打してから、相手が転んだ所を奴らが持っていた火であぶり殺す。
「く、来るな!! 化け物が……!!」
なんでだろう。
気づいた頃には、もう誰もいなくなってしまっていたんだ。
途中で、色んな火だるまが僕に縋って来た。
敵も住民も、関係なく、等しく皆が手を伸ばして僕に助けを求めて縋って来た。
熱い、熱い、熱いよ、助けてって言っていた……。
その日僕の中では、音もなく何かにひびが入ったような気がした。
その隙間を補修するために、決して心が落ち着くことのない焚火の前で、僕は復讐心を利用した。
◇
楽器頭が燃えるのを見つめる度、また、僕の中で何かが壊れていくような感覚に襲われる。
この心が、ズキズキと痛む。
また、何もかもが溶けてしまいそうだ。
「…………」
「ノノハ様、私が付いております」
その言葉に、思考が止まる。
「オディ……」
いつの間にかそこに立っていたといった方が正しいだろうか。
隣に立って、僕を見るでもなく、ただ息をするかのように自然に吐かれたその言葉。
「……」
その言葉が、妙に胸に沁みたような気がした。
彼女を見てると、あの戦場に立つ前の僕を思い出す。
ただ、重ねてみてしまっているだけなのだろう。
それこそ色々と思うこと、思いたいことが星の数ほどある気がした。
でも今は――
「うん。そうみたい」
――そんなことなど、どうでもいいのかもしれない。
彼女が傍にいると言ってくれたのだから。




