50.信じたもの
時は少し遡る。フランクウッドが状況の整理に努めている時の事。
エレナは一人、リリステナの隅で無力感に苛まれていた。
魔女になってからずっと、流されるままに、そうなるように、ただ周りに従って過ごしてきた。
死のうと思っても死ねない。両親やカトールに会いたくても会えない。
そもそも……カトールはまだ、自分を愛してくれるのだろうか。
こんな自分を。魔女としての自分を。
エレナは俯き、隅で丸まりながら塞ぎ込む。
自分よりも若いシェリーが、あんなにも行動的に動いている。
それなのに……自分は……。
「私の可愛い可愛い……エレナ」
自分の前から声がする。
自分の頬を撫でる、その手のぬくもりを感じる。
ああ、彼女だ。自分であって自分でない存在。魔女としての私。
「もう……やめて……やめてよ……そんな、言葉……」
「エレナ。私ともう一度踊りましょう? 貴方が愛した人たちを守るために」
耳元から優しい声がする。
「もう……ほっといて…………」
「エレナ、よく聞いて。カトールが危ないわ……」
「そんな嘘、信じないから……」
頭を穏やかに撫でる温もり。どこからか聞こえる歌声。
「ひとたび塞げば、沼の底。底の見えない沼の中。耳を塞げば手は取れず、そのまま沈んで消えていく。それを誰も見ていない、愚かな愚かな、愚者の棺は沼の底……」
私は……私は、どうすれば……。
「私の可愛いエレナ。貴方は誰に愛された?」
「え?」
その言葉で、無意識に彼女の方を見つめてしまう。
目の前にいる自分の姿をした魔女は、穏やかに笑う。
「私のことは信じなくてもいい。でも、貴方が貰った愛情だけは、否定しないで欲しい。それが、貴方を形づくったものだから」
「待って……それは、どういう……?」
それは急なことだった。何かの流れ、温もり、柔らかな光。それらがエレナの世界に流れこんでくる。
「これは……?」
そして、感じるのだ。両親とカトールが危険だということを。
「でも……私には、何も……」
エレナは頭を振って塞ぎ込む。
「エレナ――自分を信じて」
「――!!」
何故かはわからなかった。でも、何処からともなく勇気が湧いてくる。
だから……だろうか。
エレナは気づいたころには魔女となり、空間を歪めていた。
自分を愛してくれた人たちに報いるために――
「――! なんで……」
最初に目に入ったのは、カトールの怯えた顔だった。
次にその後ろに迫ってくる結晶。そして魔女。
後はただ、あの魔女から彼を救うために、意識を自身に委ねるだけだ。
「私にできるかな?」
「ええ、できるわ。私の可愛いエレナ……さ、また。一緒に踊りましょう?」
「ええ」
エレナは自身の手を取った。
――――――――
――――
――
「ああああああああ!」
エレナが咆哮を上げると同時、迫りくる結晶が捻じれ、そのまま結晶の魔女へと目掛けて向かっていく。
それに対して結晶の魔女は、地面から結晶を突きのばし、その攻撃の相殺を図る。
「エレナ、気を付けて」
刹那に放たれた巨大な一撃。伸びる結晶。
雪崩のように迫りくるそれをカトールや、他の人へと当たらぬように、上へと逸らしていくエレナ。
甲高い金切り音が、空で響いた。
割れる結晶、睨みを聞かせる二人の魔女、慌てて逃げ出すカトール。
交わう死線。
息を呑む。
ハッと。
吸い込むように。
「――キレイキレイキレイ!」
しかし、それを壊す奇声。
声がした方へと、視線を移した結晶の魔女を襲う新たな魔女。
飛び散った血飛沫を回らない脳で見つめるエレナ。
そして、すぐに辺りを見回した。
そこに広がる惨状。魔女だ。
何人もの魔女が、そこらで暴れているのだ。
何が起きているのかが分からない。
「…………」
エレナはその歪んだ顔で押し黙り、決意を固めた。
――私も、自分にできることを……。
◇
カトールは、息を切らしながら逃げ惑う。
何が起きた。分からない。酸欠気味の脳では何も考えられない。血が引いていく。
汗が、夜風に吹かれて冷えていく。
魔女だ。急に現れた魔女が、あの結晶の魔女と争いだしたのだ。
カトールは走りながら考える。海馬の奥がずっと痛い。
振り返る余裕すら残ってない。
息が苦しい。
「――!」
「フゥ……」
首筋に吹きかけられた生暖かい風に、体がどんどん委縮する。
横を並走してくる、包帯だらけの魔女。
それに気づいた瞬間、その魔女の口が大きく裂けた。
走る衝撃。
「な……なにが、起きているんだよ!?」
声にならない声で、カトールはそう叫んだ。
目を開いて移った光景。それが、先ほど急に現れた、歪んだ顔の魔女に掴まれ、上空へと攫われる自身の姿だったのだから。




