49.出現
※約2500文字ほど
協会の宿舎の中。流石にこんな状況では警備の人間もいないらしい。
「たぶん、この辺り……」
一階の端の方、出入り口と階段からある程度離れた位置にある、床面に円形のタイルが敷き詰められた掃除用具置き場。
掃除用具置き場から出てすぐの位置には、曲道が存在しており、中に入ると意図的に壁が薄くなっているようで、外の物音がよく聞こえる。
そこの見つかり難く、入った後に元の状態に戻せるような場所。それも、これはただの避難経路じゃない。
「何かを隠しておくための通路……それなら、どこかに鍵穴があるはず……」
シェリーは床のタイルに指を滑らせる。
「――あった」
一箇所、一箇所だ。
小さな、一つタイルが床へと沈む。それを入り口へと向かって、軽く手前へとスライドさせる。
抵抗はない。
「これは……鍵穴でしょうか?」
「違うと思う」
タイルの下にあったのは、指が一本入る程度の小さな穴だった。
そこにシェリーは指を入れ、時計の様に回転させる。
タイルの下から歯車が動くような音がする。
音がしたと同時、赤ずきんは壁際まで歩いていく。そして――
「ワクワクするね。フーちゃん」
――赤ずきんが立っている場所のすぐ真横、そこに敷き詰められたタイルが開き、その下からは階段が顔を覗かせたのだった。
「うん、ワクワクするね」
顔の見えない白いフードの少女を夜空を描いたかのような、深い紺色のローブに身を包んだ少女が見上げる。
互いに顔は見えない。広がる闇。読めないフクロウ。しかし、二人は互いに分かるのだ。
お互いに、笑っているのだと。
「じゃ、行こっか」
「うん」
◇
「パターンは一通り組めたな……」
整理された机の上を見つめながら、フランクウッドは考える。
十数個ほど浮き出てきた可能性。後はそれらを再度整理するだけだ。
そうすれば、いつもは自ずと答えにたどり着く。そう、いつもは――だ。
「師匠! アンリーとエレナさんがいません……!」
「ヒュースまずは、本題を言いなさい。伝え終わったらエレナさんの捜索を頼む」
外の警戒を命じたヒュースが戻って来た。つまりは、何かそれほどの事態が起きたということだ。
エレナに関しては予想外だが、アンリーが居なくなることは予測できていた。まずは、状況を聞き出す。それが最優先だろう。
「はい……民間人が避難した方向から、ここからでも視認できるほど巨大な結晶が形成されています。おそらく、魔女かと……」
「……ヒュース。君はどうしたい?」
「俺は報告に来ただけです。先生の命令に従います」
フランクウッドは、目を閉じ考える。
これは、彼をよく見てこなかった結果なのだろう。
指導者として、もっと導いてあげるべきだったのだろう……。
「ヒュース、エレナさんの捜索を頼む」
「はい!」
ヒュースはマスクを再度取り付け、エレナの捜索へと向かって行った。
「やはり、私もまだまだ……と言った所か……今は、今と今後のために尽くす他ないか……私が……」
フランクウッドは押し黙る。
「私が……いつ、死んでもいいように――」
◇
避難場所から街の方を見つめるカトール。
今は夜中だ。それなのに、空は明るい。いや、そういった次元の話では収まらない。
月は空へと沈み、その空は水面の様に揺らめき、雲は鳴く。
街では轟々と猛るように、パレードが繰り広げられている。
皆の日常が、思い出が、明日が、生活が……何もかもが崩れ去っていく。
既に何人が命を落としたのだろうか。
どれだけの人間が、十年前の惨状を思い出したのだろうか。
消えることのない炎が街を飲み込み、全てを灰へと変えた。
手を差し伸ばした人間が、助けを求めた人間が、二人仲良く灰へと変わった惨状をまだ覚えてる。
彼らは知らない人だった。それでも、あの時吸い込んでしまった、彼らの灰で咽せた感覚を覚えている。
今思い出すだけでも、どうしようもない怒りと気持ちの悪さで、吐きそうになってしまう。
他の所でも、同様の被害があったのだろう。それこそ、あの時現れた魔女の数だけ、悲劇が……何百、何千と生まれたはずだ。
「やっぱり……魔女は全て死ねばいい……」
そう、怒りを吐露した時だった。
「誰か! 人が倒れた! 助けてくれ!!」
「我々に任せて、落ち着いて」
向こうで人が倒れたらしい。そこに狩人が救助に向かう。
まあ、無理もない。こんな惨状なのだ。
「何か、手伝えることは……」
カトールは歩き始める。しかし――
「なっ! これは――皆さん!! 離れて!! こいつは魔女――」
狩人が言い終わるよりも前だった。
白い結晶が辺りを走る。首が飛ぶ。
白の先へと付着した赤が、風に従い伸びていく。
白かった結晶は一瞬にして赤へと染まり、その先端には魔女の傍にいた人々の体がぶら下がっていた。
「――ッ!!」
カトールの首筋に冷や汗が走る。
腕をだらんと前へと垂らした、顔から結晶が伸びている悍ましい姿の魔女。それと目が合ってしまったのだ。
嫌な予感。
走る。
死の恐怖が、白い結晶が、カトール自身がそれから逃れるために、走る。
しかし、人の本気と言うのは存外遅いらしい。
「あ……死にたく、ない……」
ぐちゃぐちゃな姿勢で、死を恐れて逃げながら、腹の底から込み上げてきたもの。
それは、怒りでも、吐き気でも、悔しさでもなかった。ただの、恐怖。死にたくないという純粋な思い。
ただそれだけだった。
カトールは結晶に飲み込まれそうになりながらも、最後まで一生懸命に走る。
「――! なんで……」
カトールの前に現れた小さな渦のような歪み。
そこから延びる細い指が、その空間を引き裂いていく。
カトールは絶望した。
その歪みから、魔女がもう一人現れたのだから――




