19.目標を見失いそうになる
申し訳ございません。予測変換に誤りがあったようで、前話に引き続き、誤字を修正いたしました。
マーキュリーは気が気じゃない様子で、ドルクのパン屋の梯子を上る。
震える手でそっと扉に触れたところでマーキュリーは躊躇してしまう。
自分がアンリーたちの心配をしてもいいものなのだろうか……自分は……。
「マーキュリー様、そこで何を?」
急に開かれた扉に、マーキュリーは驚き、梯子の上でバランスを崩しそうになる。
「おっと、大丈夫でしょうか?」
それを咄嗟に掴むシュバリエ。
「え、ええ……ありがとう」
マーキュリーを軽々と持ち上げるシュバリエ。それに一番に気づいたのはアンリーだった。
「あ、マーちゃん!」
「アンリー! あんた怪我は? 動いて大丈夫なの……?」
アンリーの無事に安堵したマーキュリーは、彼女の元へと近づきへたり込む。
「わわっどうしたの? らしくないじゃん……ほら、私は全然元気元気! まあ、めっちゃ痛かったけど、ただの掠り傷だしね」
「……バカ……」
「う~ん……」
「アンリー、そういう時は、素直に感謝するといい」
しおらしいマーキュリーの様子に思い悩むアンリー。そんな彼女に手を差し伸べたのは、無精ひげを生やした、やつれた眼鏡の男だった。
「あ、先生……マーキュリー、心配かけてごめんね。それと、ありがとう」
「……フランクウッド、余計なこと言わないで頂戴……」
「すまないね。どうやら無事ではないが、皆生きてるようで安心したよ」
フランクウッドは床で横になって眠っているヒュースと、ベッドで目を覚まさないシェリーの様子を確認して周る。
その表情は、曇っていたが、それでも後悔の色はなかった。ゆくゆくは上級狩人たちとも命のやり取りを行う必要が出てくるかもしれない。
アズレア・ノノハは人の域を超えた強さを有しているが、こちらの命を取ることは稀だ。これは幸いだったと取るべきだろう。
仮にシェリーがリリステナを離れたとしても、上級狩人の恐ろしさを身をもって経験していれば、取れる行動も変わってくる。
現状は劇的に変わりつつある。それこそ巨大な歯車が……。
「……はぁ、考えすぎも良くないね。私はドルクさんと話がある。少しの間ここを外すよ」
去り際、フランクウッドはポツンと佇むシュバリエの方へと気をかける。
「すまない、シュバリエ君……」
「お気になさらないでください。フランクウッド様」
息が詰まったまま、フランクウッドはシュバリエとすれ違う。
その後ろ姿にシュバリエは少し考えた後、声をかけた。
「フランクウッド様。私は、お嬢様と向き合うと決めましたので」
「――ふふ、そうだったね。ありがとう、シュバリエ君」
目を見開いた後、フランクウッドは微笑んだ。
◇
何も見えない。暗い。冷たい。息が、苦しい。寒い。死にたくない。体がどんどん沈んでく……。
闇の中で溺れるシェリーは一縷の光を見た。
ゆらゆらと揺らめく、淡い炎。
ああ、早く、温めて……。
そんなことを願いながら、手を――伸ばし、シェリーは気づく。
それは温もりなどではないことに。燃えるように熱く滾る復讐と、孤独のようにどこまでも冷たい炎。
自分はそれに手を伸ばそうとしている。そう、気づく。
ああ、寒い。苦しい。早く、楽になりたい。
「なら、触れてみて」
囁くような声が聞こえた。
無数の手がシェリーの腕をがっしりと掴み、その炎へと触れさせる――。
――パチリ。そう、火花が飛び散る。
「シェリーちゃんは、大人になったら何したい?」
「……たぶん、何にもできないよ」
キッチンで料理をしながらこちらへと問いかけてくる義姉。
ことことと、クリームソースの濃厚な香りと甘ーい人参の匂いが立ち込める。
おそらく今夜はシチューなのだろう。
「もしも、何かになれるとしたら?」
「……わからないよ」
「じゃあ、私と一緒だね」
彼女はとても嬉しそうに喋る。そんな姿にシェリーは何も言えなくなってしまう。
いつもそうだ。お姉ちゃんはいつも、いつも……私に寄り添ってくれる。こんな不愛想で、不貞腐れた自分なんかに、優しくしてくれる。
「でもね、なんで私を探してくれないの――?」
「――ッ! 違う!」
「エレナさんに夢中になって私の事なんか忘れちゃった?」
「そうじゃない!! 今でも、私にとって……お姉ちゃんは大切で!!」
ボロボロと大粒の涙を流しながら、今のシェリーは心から叫び声をあげる。
ちゃんと伝えなければ、失ってしまう。それは嫌だ。お姉ちゃんともう一度、一緒に笑っていたいから……――。
「じゃあさ。シェリーちゃんは、私の名前わかる?」
「当たり前だよ! ユニ・フローラ……それが、お姉ちゃんの名前」
義姉の表情が見えない。鍋がガタガタと震える。炎が燃えあがる。
巻きあがった炎はやがて――シェリーの背後で囁いた。
「ブッブー。不正解」
「え?」
「ああ、やっぱりシェリーちゃんは、私のこと、よく知らないんだね」
燃え盛る炎が義姉を飲み込む。シェリーは慌てて手を伸ばしたが、その手は闇の中へと飲み込まれ、とうとう義姉の姿を見失ってしまった。
「なんで……なんで、私……」
シェリーは蹲り、助けを求め、泣き崩れる。
「お願い、誰か、誰かいないの……?」
頬を伝う涙は、やけに冷たい肌を焼く。熱い、痛い。シェリーの心が完全に折れそうになった時だった。
温かな何かが、彼女の頬の涙を拭って言ったのだ。
「――お嬢様、私はいつまでも、貴方様のことをお待ちしております」




