1.フラワーギフト
血の繋がっていない姉のことを思いながら、彼女からもらった一輪の赤い花を胸に、まだ幼さの抜けない少女、シェリー・フルールは古びた屋敷の中をただ走る。
廃墟と化した屋敷の絨毯を踏みしめる度、月下に照らされた埃が、焼けるような痛みの肺を刺す。
咽び、靴擦れの起きた足で転びそうになり、朽ちた壁に手を付けた拍子に棘が食い込もうと、少女はひたすらに走り続ける。
追いつかれれば、終わる。その乾いた焦りと濁ったような恐怖が、いつまでも消えない狩人の気配から逃げるため、シェリーの体に鞭を打つ。
「お姉ちゃん……私、生きられるかな……?」
涙目になりながら、小さくつぶやいた言葉。それは誰にも届かない祈りのようだった。
◇
いつの日か誰かが言った。「魔女は人に成り代わる」赤子の頃から、はたまた、気づかぬうちに魔女は親しい友人や家族に化けて暮らしてる。
そんな噂が流れ始めた頃。それはただの頭のおかしな作り話だと、気に留める者などいなかった。
魔女による、大厄災が引き起こされるまでは。
ある場所では大地が震え、ある場所では終わらぬ雨が木々を腐らせ、ある場所では火の海が街を襲う。
そして狩人なる存在が現れたのもその時からだろう。
これまで人の世に溶け込み、隠れながら生きてきた魔術師たちが結成したそれは、瞬く間に事件を起こした魔女を殲滅し、人々の平和を取り返したのだ。
魔女に対抗すべく、編み出した魔術で人々を救った魔術師もとい狩人の存在と、片や人々の平穏を壊した魔女なる存在。
そんな混乱の中で生まれた当然というべき価値観。「魔女たちは悪で狩人や魔術師は善である」それを彼ら民衆は疑うことを知らなかった――。
◇
逃げることに必死になり、いつの間にか屋敷を上へ上へと昇ってしまっていたシェリーの足が止まる。
「嘘……」
彼女が逃げ込んだ廊下を曲がったその先に待ち受けたもの。そこは無慈悲なことにも、行き止まりとなっていた。
今引き返したとしても、きっと狩人と鉢合わせになって終わるだけ。膝から崩れそうになりながらも、シェリーは思考を回す。
そして見つけた一つの糸口――シェリーは慌てて脇の扉に手をかける。
が、びくともしなかった。向こう側で何かが塞いでいるのか、それとも最初から開かないのか。
「お願い……! 開いて……!!」
小さな肩を震わせ、汗で滑る手で必死に押し続ける。しかし扉は物言わぬ。
それならと、扉を魔法で燃やそうとしたその時だった。
「あがッ……!」
七色に光る星屑がシェリーの脚を穿つ。血がどくどくと流れ始め、無理をしてきた体がとうに限界を迎え始める。
よろめく体を扉に預けながら、体はずるずると落ちてゆく。
「鬼ごっこは終わりだ。罪火の魔女」
真後ろから聞こえる酷く冷たい声と、鋭い視線。その正体を探るべく後ろをゆっくり振り返る。
そこには、暗闇の中でも存在感を一際放つ、白の制服を纏った青い瞳の男が立っていた。
狩人だ。狩人に追いつかれたのだ。
過呼吸で胸は膨らみ、全身が痛みで悲鳴を上げる。それでも片手に握りしめた赤い花を目にすると、不思議と活力が湧いて来る。
「こんな所で……終わりたくない……!!」
少女は生きたいと強く願う。最後の力を振り絞り、指先に纏わせた炎を狩人へと力強く撃ち放つ。
「小癪な」
「……そんな……」
しかし、すり減った体で最後に放ったそれすらも、狩人に届くことはなかった。
周囲を浮遊する星屑にかき消されたのだ。
「終わりだ」
狩人の指示を受けた星屑が、宙を切り裂き、全てを諦め、朦朧とした意識に取り残されたシェリーを目掛けて飛んでいく。
その時――。
「感心しませんね。こんな夜更けに、それもこんなにも可愛らしいお嬢様を襲うとは」
それは突飛なことだった。頭部が真っ赤な花に置き換わったような、異形の紳士がシェリーを守って見せたのは――。
◇
思えば、シェリーの人生は逃げてばかりだった。
僅か五歳と幼くして両親を病で亡くしたシェリーは、それを見かねて拾ってくれた老父の元で、しばらくの間世話になっていた。
老父は大厄災で亡くした孫とシェリーを重ねたのか、シェリーの事をえらく大切にし、常識や世間の価値観、ちょっとした知恵。それらたくさんの価値あるものを与えてくれた。
シェリーもその優しさに応えるべく次第に心を開いて行った。
シェリーが魔女であると判明したのは、七つの頃。寝込みを襲いに来た賊から老父を助けようとした時だった。
「くッ……シェリー逃げなさい!!」
おそらく物音で目を覚ました老父が、賊と出くわし、抗戦することになったのだろう。
シェリーが目を覚まし、物音の方へと向かった時にはすでに、老父は血まみれになっており、壁際に押しやられていた。
「あ……おじいちゃん……」
「何だ? ガキがいたのか。おい嬢ちゃん、この死にぞこないを助けたかったら大人しくしな」
「そんな奴の言うことは聞くんじゃない……!!」
老父の切羽詰まった叫び声に悪態をついた後、賊は老父の顔を蹴り上げた。
悶える老父の姿は、シェリーに考える暇を与えない。
「やめて……」
「あ?」
「もう、私から何も奪わないで……――!!」
それは咄嗟の事だった。シェリーの思いに応えるべく、魔法が発現した。
その後のことをシェリーは必死になって忘れようとしていた。それから、狩人から追われるようになってしまった日々の苦しさ。
そして何よりも、あんなに優しくしてくれた老父の……言葉では計り知れない表情を。
それからも素性を隠して生きようとしてきたが、七歳の子供が一人で何かから逃げながら暮らしている。それだけで怪しまれ、狩人が何度もやってきた。
心も体もすり減ってきたそんなときに出会ったのが、とある魔女だった。
「ねえ、君……魔女でしょ?」
「…………そう、魔女……」
「……私も魔女だよ? ほら」
石くれに命与えて見せたその魔女は、死んだ目をしたシェリーにこう言った。
「ね、もしよかったらさ。家族にならない?」
◇
「――お姉ちゃん……――」
既に途切れかけていた意識の中で、シェリーは一人そう呟いた。
それが、ここにいない義姉を思っての事なのか、赤い花の異形頭に向けた言葉なのか。それすら彼女は考えられないでいる。
ただ一つ言えることがある。鞭の様にしなる腕で、七色に光る星屑を打ち落とす彼は――何とも悍ましく、それでいて儚げで美しいものだった。
始めに、今作を読んでくださり、誠にありがとうございます。
今作は、作者の異形頭のキャラクターが活躍する物語が見たい!! という思いから生まれた作品です。
もし、楽しんでいただけたようであれば、評価等よろしくお願いします。




