100.無機質
「たっだいま~!!」
明るく玄関の戸を開いたアンリーを、シュバリエが出迎える。
「おかえりなさいませ、アンリー様」
「ねえ、シュバリエ。先生って今、仕事場?」
アンリーの何気ない質問にシュバリエは答える。
「ええ、ただ……今はお疲れのようで、フランクウッド様は眠っておられます」
アンリーはシュバリエのその言葉にピクリと反応する。
「え! 珍しい!! あの先生が?!」
アンリーの声量にシュバリエは人差し指を突き出して見せる。
「アンリー様、ですからお静かに。大人はそんなことをするでしょうか?」
アンリーは溜まっていた、憂鬱を吐き出すかのように笑う。
「あっはは……ごめんごめん。最近は色んな事がありすぎたからさ……」
普段の彼女からは想像できないほど、アンリーは穏やかにそう言った。
「だから、こういった小さな日常は大切にしたいじゃん?」
それに対して、シュバリエは少し言葉を詰まらせる。
「……ですが――」
「――と言うことで! 先生の寝顔を拝みに行っちゃいます!」
「しまった――!」
そんな一瞬の隙を突き、アンリーは階段を上がっていく。
ルンルンと、子供のように、ただ無邪気に、音を立てずに駆けていく。
そしてフランクウッドが眠る扉の前へと立った彼女は、ピタリと動きを止めた。
何かがおかしい。
「…………」
「……アンリー様?」
「ねえ、シュバリエ。確認なんだけどさ?」
アンリーは不安交じりの、何処か気持ちの悪い唾を、いっきに飲み込んだ。
「先生は、寝てる……だけなんだよね?」
「……ええ、おそらく……」
嫌な予感がする。
アンリーは思う。
――ああ、またか。
…………また……?
「なんで……?」
アンリーは、そうポツリと呟いた。
感情が自身から遠のいていく。
自分でも驚くほど、冷静になっていく。
「ねえ、シュバリエ。先生が寝ているだけならさ、どうしてこんなにも、血の臭いが漂ってるの?」
振り返ることなく、アンリーは言った。
それに対して、シュバリエは少し臆したように、言葉を返す。
「それは……私にはわかりかねます」
「そっか」
アンリーはゆっくりと、ドアノブに手をかけた。
そして、その手を次第に強めていく。
――ガチャリ。
「ああ、やっぱり」
アンリーは淡々と、事実を自身の言葉にのせる。
「ねえ、シュバリエ」
そこには温度も何もない。
それは彼女が、彼女自身を守るための、そんな小さな現実逃避だった。
「先生、死んでるよ」
それは、シュバリエにとって、とても受け入れられるような言葉ではなかった。
「……なにを……アンリー様。そのような冗談は…………」
アンリーはシュバリエの方を少し見た後、再びフランクウッドの方へと視線を向ける。
そして、一歩。また一歩と、毛布がかけられた死体へと歩み寄っていく。
「ねえ、先生。起きて……起きて……起きて!!」
アンリーはふと思い出す。
アベリアックが亡くなったあの日も、シュバリエは彼の死が分からないでいた。
「アンリー様……」
「先生! 起きて!! 起きてよ!! …………起きて」
アンリーの手は、すっかりとフランクウッドの血で濡れていた。
暫くして、アンリーは死体をゆするのを止めた。
「……流石に分かった? 先生はもういないの。死んじゃったの……」
「…………ええ」
はたから見れば、それは狂気的に映るだろう。
だが、シュバリエは思う。
人の傷つき方というのは、それぞれだと。
「…………」
シュバリエはフランクウッドの方を向く。
体が震える。
しかし、それをぐっと堪えて見せる。
自身だけが辛いわけじゃないはずだ。
自分よりも、彼女の方がフランクウッドと共に過ごした時間が長いはず。
「正直なところ、とても信じがたいです……」
「それは、目が見えないから?」
「気づいておられたのですか?」
「……ついさっきね…………」
「そうですか」
そう、フランクウッドが死んだ。
そう言われたとしても信じがたい。実感が湧かない。
もう、彼と話すことは叶わないのだろうか。
そうか、叶わないのか。
ふと、寂しさが悲しみが、色んな感情がシュバリエを襲う。
でも――まだ、自分が悲しむわけにはいかない。
もし、本当にフランクウッドが亡くなっているのであれば、彼が最後に願った想い。それを叶える一助となるのが、彼への恩返しになるのだろう。
「まあ、いいけどさ……」
アンリーがまたしてもボソッと呟いた。
「アンリー様」
「…………ん?」
アンリーはただ、冷ややかにシュバリエの方を見つめた。
「なに?」
「……私が言うべきことではないのかもしれませんが。今は、泣くべきだと思います」
その言葉に、アンリーはハッとさせられる。
「…………もう、うるさいなぁ~……そんなこと、分かってるよ……」
アンリーのその声は、とても震えていた。
今、ここですべき話でもありませんが、シリカたちの物語はこの作品を完結させてから描きます。
今は、この作品に集中していたいのです。




