98.しかし全ては無情に終わる
昨夜の話が終わり、朝日が昇った。
この時間だと、シュバリエは人目に付きすぎてしまう。
だから、リリステナへと残ってもらうことにした。
ただ、シェリーやユニ・フローラへと連絡を入れないわけにもいかない為、フランクウッドはアンリーにその伝達をお願いした。
夜が来るまでの間、シュバリエには自由にしてもらい、フランクウッドは書類の整理を行うことになる。
シュバリエが扉一枚を挟んだ外で、音楽を楽しんでいるのが分かる。
フランクウッドは少し笑った。
「さて、私も……私のすべきことをしなければ……」
――やけに静かな朝だった。
頭は少し、だるくて重い。唐突な眠気がフランクウッドを襲うのだ。
フランクウッドは額を抑えた。
ガクリと頭が落ちる。
いけない、そう思い目を覚ます。
そんなことをしているからにして、自身が使っていたペンを落としてしまう。
「…………」
――それは、とても静かな朝だった。
風が吹く。
それを受けて、ペンへと伸ばしたフランクウッドの手がピタリと止まる。
窓なんて開けていなかったはずだ。
アンリーは先ほど出たばかり。
戻ってくるにしては早すぎる。
この部屋に、自分以外の誰かがいる。そう、フランクウッドは確信する。
「……」
フランクウッドはただ冷静に息を吐く。
今ここで慌ててはいけない。
相手もこちらの様子を窺っているはずだ。
フランクウッドは、ただ自然にペンを拾い上げた。
そう、姿勢から、指先から、重心の動きから、こうすれば自然に見える。そんな動きをなぞっていく。
フランクウッドの中で、スイッチが静かに押された。
「……ああ……そうか――」
その淡々とした声色に、侵入者の肩が震えた。
「――マーキュリー……君か」
マーキュリーは表情を引きつらせながら、髪の毛をクルリと弄る。
「……なんで、分かったわけ?」
フランクウッドの表情はマーキュリーに見えない。
しかしそれは、フランクウッドも同然だ。彼女の顔など確認できるわけもない。
だというのに、バックアップであるマーキュリーの存在を読み取ったのだ。
それは狂気にも近しいものだった。
「呼吸パターンだろうか……?」
「はい……?」
「君は不安に思った時、自身の髪の毛をよく弄る。そして、それとは別に呼吸も僅かに早くなる」
マーキュリーは押し黙り、髪の毛を弄るのを止めた。
「そう……それが独特だとでも言いたいの?」
「他の誰かと、全く同じ速さで呼吸をする人間など存在しえないさ。一秒未満だとしても差はわずかに生じうる」
「……そこまでいくと気持ち悪いわよ……まあ、前から少し思っていたけれど……」
マーキュリーはフランクウッドにナイフを向けていた。
それに気づいて、フランクウッドはスッと両手を上へと上げながら、穏やかに笑う。
「ははっ、昔の部下たちからもよく言われたよ……」
「…………」
マーキュリーは表情を歪ませる。
「なんで……」
フランクウッドは部屋の隅へと目を向ける。
いつの間にか仕掛けられていた、無数の罠。
「反撃しようとしないわけ? な~にぃ……? ビビってるのかしら………………っ?」
マーキュリーの声は震え、語尾は釣り上がる。
「動けば串刺しになってしまう」
マーキュリーは、少し恐ろしかった。
それは、目の前の人間が、自分の知っているフランクウッドではないのではないかと思えてしまうほどに。
それはまるで、ぬるま湯に浮かぶ冷たい氷のようだった。
「なんで……そこまで分かっているのに、なんで…………」
「シュバリエに助けを呼ばないのか?」
「――ッ!」
マーキュリーは震える腕を片手で押さえつけ、再度ナイフを握りなおした。
「君の魔術は、他人の意識を逸らす……いや、もっと勝手が悪いものか……相手の集中力を高めるそういったものだろうか?」
「……」
「今ここで私が叫べば、おそらく彼は異常に気づいて駆けつけてくれるだろう。だが、そうなれば君は私を殺せたとしても捕まるだろうね」
フランクウッドは、おそらくシュバリエがいるであろう方へと視線を向けた。
「そういうの、いいから……!」
マーキュリーは静かに怒鳴る。
それに対して、フランクウッドは静かに笑う。
「君にも、こうせざるを得ない理由があるんだろう?」
「いいから叫びなさいよ……!! 助けを求めなさいよ…………お願い……」
フランクウッドは目を閉じた。
「マーキュリー。こんなことを言われるのは嫌かもしれないが、私の中では、君も導いてあげるべき子供だった。でも、私はそれを放棄した。挙句の果てに君に酷い言葉を投げかけた……」
「なんで今更」マーキュリーはそう、口にする。
「君は、君の目的で動けばいい。ただ、忘れないでほしい……」
フランクウッドは引き出しへと目を向ける。
「君は一人じゃない――」
「――ッ!!」
それは咄嗟の事だった。
フランクウッドの脳内で、昨夜の出来事が、今までの出来事が、迷いが、後悔が、苦しくも幸せだった妻との暮らしが、鮮明に駆け巡った。
「生きて償わねば」そんな思いに駆られて、フランクウッドの体は動く。
しかし、それは同時に、目の前の少女にも向けられた。
必ず反撃を受けるそんな状況だ。
それでも、フランクウッドの体は動いた。いや、動いてしまった。
引き出しの裏に備え付けられた隠しナイフ。それを瞬時に抜き去り、椅子を回転させ攻撃へと転じたのだ。
フランクウッドの中に後悔が残る。
――グサリ――――ッ……。
鈍く低い音がした。
渦巻状の槍が、フランクウッドの腹部を貫いたのだ。
「…………ああ、痛いな……」
「…………ッ!」
その時のマーキュリーの表情は、どんな言葉で飾り立てることもできなかった。
目の前で消えゆく人間、その命を奪うこととなったのに、看取ることすらできないのだから。
かつての群青。それは、この流れゆく血をもってして錆びつくのであった。




