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96.遊びは終わり


 飛んできたナイフを躱したディガードは、壁に突き刺さったそれを見つめ、次の一撃に備え、マーキュリーへと向き直る――


 ――が、そこにマーキュリーの姿はない。


 ディガードは自身の真横に位置する資料棚の方を見遣ると同時、それを突き破りながら伸びてくる渦巻状の槍。

 しかし、それはディガードを狙ったものではない。


 更にその奥の棚。

 そこを槍は突き刺した。


「なるほど、生き埋めを図ろうと……?」

「これくらいで死ぬなんて思っていないわ。せめて、私が逃げる時間くらいは稼がせてもらうから――!!」


 槍が勢いよく戻っていく。

 突き刺さった棚が引っ張られ、ディガード目掛けて降り注ぐ。


 棚自体の質量が、中に入っていた資料の数々が、それらが襲い掛かってくるのだ。


 ディガードは目を静かに閉じる。

 マーキュリーが逃げていく。


「――しまった……」


 逃走を図ったマーキュリーは、そう言葉を口にした。


 「しまった」確かにそうかもしれない。

 できたかは分からないが、あのまま白を切り続けていれば、あるいはリリステナとの、赤ずきんたちとの関りがバレることはなかったかもしれない。


 しかし彼女自身、ディガードがどこまでこちらの状況を把握しているのかが分からないのも、また事実。


 あの強気な姿勢と、意味深な言及、時間稼ぎとも思えるような回りくどい言い回し。

 それにディガードは、おおよその答えにたどり着いていた。


 マーキュリーは押し黙る。


「考えるのは後ね……とにかく今は逃げ切らなきゃいけないわね……」


 ディガードにリリステナの場所が見つかった。

 このことを早く伝えなければ手遅れになるかもしれない。


 アベリアックが死んだように、今度はフランクウッドが、ヒュースが、アンリーが、狩人たちによって、不意を突かれて殺されてしまうかもしれない。


 マーキュリーは声を殺して、心の中で弱々しく大切な友人の名を叫ぶ。

 「アンリー」と。


 走る。

 走る。

 走って走って走り抜ける。


 オディステラの一件で狩人たちの警戒が強くなっていることを想定し、非常階段の方を向かってただ――


「――…………」


 マーキュリーはピタリと止まる。

 いや、止められた。


 目を大きく見開き、冷や汗を流しながら、マーキュリーはゆっくりと自身の足へと視線を落とす。


 特に異常があるといったわけじゃない。

 それは見て分かる。


 ただ、明らかに違和感があるのだ。

 自身の足が切り離されて、自分の物ではなくなってしまったかのような感覚。


 それはまるで、その部分だけ過去に置いてきてしまったかの様だった。


「な、なんで――! うご、動きなさいよ!!」


 マーキュリーは焦りで取り乱す。

 冷静な判断を欠いていく。


「ごっこ遊びには満足できたか? マーキュリー」


 マーキュリーの肩が跳ね上がる。

 低く重たい声が、背筋に伝う。


 追いつかれた。


 マーキュリーは息を呑む。

 そしてゆっくりと、そう、ゆっくりと振り返る。

 お腹の奥が、キリキリと不快な感覚で満たされて、寒々とした視線が鳥肌を立てていく。


「あんたは……!」


 そこに立っていたのはいつかの写真で見た人物。

 マーキュリーの頭の中で警戒色が、色鮮やかに明滅を繰り広げた。


「へぇ~、同一人物だったってわけ?」


 マーキュリーは引きつった笑みでそう口にした。


「さて、何を言っているのやら」


 長いポニーテールに、傲慢そうな目。

 それがこちらを睨んでいる。


「私に何をしたわけ?」

「……教えてもらえるとでも思っているのか?」


 ディガード。

 彼の本心が何なのか、それがマーキュリーには分からなくなってくる。


「……!」


 回り込み、ディガードはマーキュリーの前へと立った。

 まだ足は、いや――それどころか、腕すら動かない。


 そんな状態のマーキュリーの顔を、ディガードは覗き込む。


 死人のような瞳。

 それが迫力を纏ってこちらを見つめている。


 怖い。


「もう一度言う。マーキュリー、リリステナを潰せ。さもなくばお前をこの場で殺して見せる」


 凄い覇気だ。

 怯んでしまいそうになる。


「…………断るって言ったら?」


 マーキュリーは笑って見せた。


 ディガードは呆れたように溜息をこぼした。


「ずいぶんと薄情な奴なのだな」

「……はい?」


 それは予想外の言葉だった。

 こちらを小ばかにしたような言い方をするディガードを相手に、マーキュリーの頭にははてなが浮かぶ。


「いや、なに……つまりはここで殺されて、祖母のことはきっぱりと忘れるというのだろう?」

「……!!なんで、それを…………?」


 マーキュリーは狼狽える。

 それに対して、ディガードは鼻で笑う。


「ああ、知っているとも……それに、リリステナを潰せば……もっと分かりやすく言うのであれば、それを率いている者を殺せば、他は見逃してやる。それすらもお前は蹴るのか?」


 そんなこと、先ほどまで言っていなかったはずだ。

 だが――


 マーキュリーはまたしても息を呑んだ。


 そして、頭を振りほどく。

 裏切るのか?


「お前の目的からすれば、リリステナを潰すことなどたやすいだろうに、何をそんなに悩むというのだ? もしかして仲間意識でもあるというのか?」

「……仲間…………」


 マーキュリーの頭にその言葉が反響する。


 そうだ、自分とリリステナは仲間じゃない。

 利害関係が一致していただけ………………。


 そう、そのはずじゃないか。

 だというのに何故――


「――!」


 マーキュリーはぐっと言葉を飲み込んだ。


 こんな時に、こんな時に……アンリーの顔を思い出してしまう。


 そんな自分が、馬鹿で憎くてしょうがない。


 いや、正当な理由が多すぎる…………。


 今度はぐっと感情を押し殺す。

 そして――


「――分かったわ……私がリリステナを潰してくるわ…………ッ」

「それでいい」


 ディガードは笑った。


 それに対し、マーキュリーは唇を噛み締めた。

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