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87.なんで?


 コンコン、とそんな優しく小さなノックが廊下に響く。


 それをしたのは華奢で美しい手。

 透明で、透き通るかの様に、美しく、儚げで、朧気で、それはまるで幽霊の様であった。


「ノノハ様、一緒にご飯でもいかがでしょうか?」


 オディステラだ。


 彼女は今日も、健気にアズレアの元へと出向き、声をかける。

 しかし、返ってくる言葉はいつも同じだ。


「……ごめん、今は気分がすぐれないんだ」

「…………」


 喉の奥へと差し掛かる唾の重さを形を鮮明に感じる中で、オディステラは言葉を砕いてみせる。


「また来ますね」

「…………ごめん。ありがとう」

「いえ」


 扉越し。この薄い板切れ一つを挟んだ先で、二人は何を思うのか。


 片や……否、互いに思うことは一つなのだろう。

 ――己の無力さが憎くて憎くて仕方ない。


 オディステラは扉に耳を当て、少しもたれかかる。

 迷惑だろうか。


 そんなことを考えながら、どうも、やたらと騒がしく泣き続ける心音、その寄り所を探しているのだろう。


「……それでは」


 途切れるような沈黙。その先で小さな声が聞こえた。


「うん」


 オディステラは目を閉じた。

 瞼を開けば扉が開いているのではないか、そんなあることもない事を考えながら。


 ――アズレア・ノノハは扉の奥で耳を塞ぎ、蹲る。


 あの日から……そう、あの日からだ。

 魔女たちの行進、アレの対処に当たった日から、どうも頭から離れることのなくなった、虚像たち。


「お前が殺した奴らにも家族がいた……それを分かっているのか?」


 アズレアは沈黙を貫いていく。


「何とか言ったらどうなんだ? そうやって黙っていれば救われるとでも?」

「……僕は…………」

「お前が殺したんだ!!」

「――!」


 アズレアの肩がびくりと震える。


「助けて」

「助けて」

「助けて」

「助け……」


 肩がびくりと動き、反射的に目が開かれる。


 扉の奥から聞こえた温もりは過ぎ去った。

 そんな安心できるモノなど一つもない、薄暗い部屋の中で、自身の足へと縋る無数の屍。


 それを見て、アズレアの目は大きく見開かれるのだった。


 無数の騎士たちの骸。

 その中に、自身の姿を見てしまったのだ。


「ねえ、助けて……助けてよ…………お願い、お願いだよ…………」

「な、なにを……違う。僕はここにいる」


 アズレアの瞳にじんわりと浮かぶ涙。

 そんなモノなど構いもしないで、それは言う。


「……!!」


 顔をしかめ、鬼のような形相の自身。


「お前が、お前が父さんを殺したんだ!! 返せよ! ねえ、返してよ……!!」

「いや、違う……違う、違う、違うんだ……僕じゃない、僕は、僕じゃ、いや……僕…………が……?」


 「なんで?」そんな言葉が頭を過る。


 ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっとずっとずっと……!!!


 頭から離れない……。

 苦しんで、戦って、忘れようと頑張って、狂って狂って狂って狂って、狂ってやろうとしてるのに、なんで、忘れられないんだ。


 限界とでもいうのだろうか、気づけばアズレアは子供の様に涙を流し、その場で崩れ落ちていく。


「もう、いいだろう? たくさん人を助けたじゃないか!? たくさん魔女を殺したじゃないか!!? たくさん狩人を救ったじゃないか!! これでもお利口にしてきたさ!!」

「魔女だって生きていた」

「……いや、だって……人にとって害になるって言うから……」

「お父さんを殺された」

「――ッ!! やめろやめろやめろ!! それ以上は言うなよ、言うんじゃない!」

「だからお前たちを殺したんだ。だろ?」


 自分の顔をした何かが、自身へと縋るように腕を伸ばし、それを遠くから無数の騎士たちが眺めてくる。

 その全てが屍と来た。


 気が狂いそうで仕方がない。


 結局のところ、狂った何者かを演じているだけでは、押しつぶされていく一方なのだろう。


 だから――


「――だから、大切なものをいつも失うんだよ」

「え?」


 その時だった。

 部屋の外から、廊下の方から、狩人たちの叫び声が聞こえてきたのだ。


「魔女だ!! 魔女が出たぞ!!」

「魔女は、狩人に化けて、協会内を逃走中!! 見つけ次第、即刻殺せ! 決して外には出すんじゃないぞ!」


 アズレアは息を呑む。

 嫌な予感がするのだ。


「魔女……? なんで?」

「いかなくていいの?」

「え?」

「だって、ほら……」


 屍は耳を澄ませる。

 それに釣られて、アズレアも外へと耳を澄ませて見せる。


「魔女はオディステラの姿に化けている! 皆、見つけ次第、彼女を殺せ!」

「…………は?」


 嫌な汗が額を濡らす。

 お腹の奥がキュッとなって、唐突な吐き気に見舞われる。


 始めに思ったことはただ一つ――


「嘘だろ?」

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